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わたしのあいした店長

わたしはすこし変わった家庭で生まれ育ちました。両親とは苗字が違います。そもそも結婚とは家同士が繋がるということですから、家の事情で子どもの境遇が変わることもあるでしょう。なので「生まれる前に既に決まっていた」そのルールに対してわたしは仕方がないことだと思っており、不平不満を抱いたことはないのです。けれど、両親とは戸籍上親子ではないので、その事実はすくなからずわたしの性格に影響していると感じています。

わたしは明るく活発的な子どもであったと思います。授業では積極的に手を挙げて黒板に回答を書きました。不正解だったときは照れ笑いをし、誤魔化しました。先生もクラスメイトも笑いました。

小学、中学、高校の成績は抜きん出て優秀ではありませんでしたが、叱られないくらいにはそこそこの子どもでした。

友達は多くもなければすくなくもなかったと思います。いじめに遭ったこともありましたが、毎日普段通りの生活をしていたら自然といじめ行為はなくなりました。

お手本のような普通の生徒。

先生を含め実の両親も、養父母も、友達も、誰もがわたしをそう見ている、と感じていました。

わたしは両親の機嫌を損ねることがなによりも一番おそろしかったのです。だから積極的にお風呂掃除もやりましたし、バイトが入っていない日はご飯作りも皿洗いも手伝いました。「杏樹はいい子だねぇ」と言われることが親孝行だと当時のわたしは信じて疑っていませんでした。苗字は違う。でも、だからこそ、繋がっていたい。この人たちにはどうか迷惑な子どもだと思われたくない。めんどくさい子どもだと思われたくない。わたしのことで悩んでほしくない。喧嘩もしたくないし、叱られたくもない。学校でつらいことがあっても「毎日たのしいよ」と笑っていれば両親もつられて笑ってくれたので、わたしはいつも笑顔の絶えない子どもでした。目を細めて、頬肉を持ち上げて目一杯笑うわたしの写真は、たくさん残っています。

ずっと良い子であることが、わたしのすべてでした。

いまになって思えば、誰の子でもない「青木」という宙ぶらりんな苗字で呼ばれるわたしは、必死で「杏樹」であることを主張している子どもだったように思うのでした。

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