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わたしのあいした店長

青木杏樹

わたしはすこし変わった家庭で生まれ育ちました。両親とは苗字が違います。そもそも結婚とは家同士が繋がるということですから、家の事情で子どもの境遇が変わることもあるでしょう。なので「生まれる前に既に決まっていた」そのルールに対してわたしは仕方がないことだと思っており、不平不満を抱いたことはないのです。けれど、両親とは戸籍上親子ではないので、その事実はすくなからずわたしの性格に影響していると感じています。

わたしは明るく活発的な子どもであったと思います。授業では積極的に手を挙げて黒板に回答を書きました。不正解だったときは照れ笑いをし、誤魔化しました。先生もクラスメイトも笑いました。

小学、中学、高校の成績は抜きん出て優秀ではありませんでしたが、叱られないくらいにはそこそこの子どもでした。

友達は多くもなければすくなくもなかったと思います。いじめに遭ったこともありましたが、毎日普段通りの生活をしていたら自然といじめ行為はなくなりました。

お手本のような普通の生徒。

先生を含め実の両親も、養父母も、友達も、誰もがわたしをそう見ている、と感じていました。

わたしは両親の機嫌を損ねることがなによりも一番おそろしかったのです。だから積極的にお風呂掃除もやりましたし、バイトが入っていない日はご飯作りも皿洗いも手伝いました。「杏樹はいい子だねぇ」と言われることが親孝行だと当時のわたしは信じて疑っていませんでした。苗字は違う。でも、だからこそ、繋がっていたい。この人たちにはどうか迷惑な子どもだと思われたくない。めんどくさい子どもだと思われたくない。わたしのことで悩んでほしくない。喧嘩もしたくないし、叱られたくもない。学校でつらいことがあっても「毎日たのしいよ」と笑っていれば両親もつられて笑ってくれたので、わたしはいつも笑顔の絶えない子どもでした。目を細めて、頬肉を持ち上げて目一杯笑うわたしの写真は、たくさん残っています。

ずっと良い子であることが、わたしのすべてでした。

いまになって思えば、誰の子でもない「青木」という宙ぶらりんな苗字で呼ばれるわたしは、必死で「杏樹」であることを主張している子どもだったように思うのでした。

そこそこな人生に亀裂が入ったのは就職した直後でした。自転車同士の接触事故を起こしてしまったのです。相手は肋骨を折る全治三ヶ月の大怪我でしたし、わたしも全身複数箇所の骨にヒビが入る怪我を負いました。問題はそれが就職した直後だったことでした。警察の事情聴取、保険会社とのやりとり、それから相手方への謝罪……、昼夜を問わず息を吸うだけでも痛む傷。眠りについても相手方にぶつかってしまったあの生々しい衝撃を思い出しては飛び起きる日々。心身ともに使い物にならなくなってしまったわたしは職を失いました。

なにに苦しんでいるのかもわからず、怪我が完治しても半年ほど引きこもっていました。それでもわたしは社会的には20歳を過ぎたおとなです。食い扶持は自分で稼がなければならない。夏も終わるころ、ようやく自分に厳しくそう言い聞かせたわたしは毎日ハローワークに通うようになりました。駅に置いてある就労支援冊子を手にしました。ところが世は不景気で、職歴ほぼゼロのわたしを雇ってくれる会社はなかなか見つかりませんでした。面接に進んでもかならず訊かれるのです「あなたは半年間なにをしていたの?」

わたしはそのとき既に50万円ほどの借金を抱えていました。親に言えばきっと払ってくれたでしょうが、言い出すことはできませんでした。

良い子であることがわたしのすべてだったから。

わたしはとにかくお腹をすかせていました。時給が高くて、まかないが出て、働いたらお金がすぐにもらえて、長く雇ってくれるところならばどこでもいいと思い、条件がそろっている湯葉しゃぶ専門店に応募しました。お返事はすぐにもらえました。すぐにでも面接をしたいとおっしゃっていただけたので、いまから行きますと言って安物のスーツを羽織り、家を出ました。

面接は店長さんでした。わたしよりも背が小さく、眼鏡で、物腰の柔らかい人でした。応募動機を訊かれたので、わたしは素直に理由を告げました。

「明日から来てくれる?」

店長さんはわたしの半年間の空白を訊いてきませんでした。

シフトは自己申告制。お給料は週払い。制服支給なので、どんな服で通おうと構いませんでした。わたしは空いているシフトに積極的に名前を書き、多いときには週7日フルで働きました。条件がとても良いからか、バンドマン、役者、芸人、いろんな夢を追いかける人たちが働いていて、彼らの突発的な休みを埋める要員としてわたしは自然と必要とされていきました。

「青木さんっていつも笑っているよね」

「ありがとうございます」

「笑顔は努力の証だよ」

店長さんの言葉がうれしくて、わたしはもっと頑張ろうと思いました。

けれどわたしはいつもお皿を片付けながら思うのでした。お客さんが残した高級な湯葉を青いポリバケツに捨てるとき、上質な鰹節からとったお出汁のお味噌汁が一口も飲まれていないとき。張り付いた笑顔のまま、ありがとうございました!と明るい声で言いながら、それらを平然と捨てる自分がいる。

わたしは湯葉しゃぶもお味噌汁も一度も口にしていない。

なのにこれは今日のおすすめですよと笑って勧めている。

なにか矛盾しているな、と感じていました。ご飯を残すのはお客さんになにか事情があるのだろうし、お金を払っているのだから食べようが残すまいがお客さんの自由です。わたしはただの配膳係で、それ以上でもなければそれ以外でもないのです。お正月の団体客がいなくなってほとんど箸がつけられていないお皿を片付けていると、わたしの目に豪華な伊勢エビが映りました。伊勢エビなんて食べたことありません。ちょっとだけなら、という気持ちでわたしは伊勢エビを食べました。おいしい……。

それからわたしは他の店員さんの目を盗んでは、お客さんが残したご飯を盗んで食べるようになりました。わたしがシフトに入っているとき、青いポリバケツに捨てる残飯はすこしだけすくなくなりました。

悪いことをしているという自覚はありました。

誤魔化すみたいにわたしの接客はますます元気になり、いつしか誰からも頼られる「青木さん」になりました。新しく入ったばかりの女の子に絡むちょっと面倒くさいお客さんもわたしが担当しましたし、理不尽なクレーム電話の対応もわたしが済ませましたし、新人教育も任せられました。厨房の人も、フロアの店員さんたちも、困ったときにはわたしに相談してきました。そのたびに笑顔で応える「青木さん」は陰ではずっとお客さんが残したご飯の盗み食いをし続けていたのです。

そんなある日、わたしはついに、忘れ物を取りに戻ってきたお客さんにその姿を見られました。

激怒したお客さんは残した味噌汁をわたしにぶっかけました。

すかさず店長さんが出てきて、謝り続けました。わたしも頭を下げました。申し訳ありません。教育しなおします。この度はご不快な思いを――。

閉店後、わたしは店長さんに呼び止められました。この後ちょっと残れるかな、と。もちろん叱られると思っていました。だから最初に「本当にすみませんでした」と謝りました。すると店長さんはなにも答えずにこりと笑うだけでした。あぁわたしはここを辞めることになるんだなと思いました。

着替えて戻ってくると個室に店長が座っていました。テーブルの上にはこの店で一番高い湯葉しゃぶのセットが用意してあります。どういうことなのだろう、とわたしは思いましたが、向かいの席におずおずと腰掛けました。店長さんは慣れた手つきで湯葉を出し汁にくぐらせ、わたしに食べるようすすめてきました。罪悪感から本日のまかないのチャーハンを食べなかったわたしにもしや気づいたのかと思い「お腹すいてないので」と言えばタイミング悪くお腹が鳴ってしまい、わたしは言い訳を貫き通せず、小皿を受け取りました。

「おいしい?」

初めて食べる湯葉しゃぶに、わたしは素直に「はい」と答えました。ぜんぶ食べていいと言われたのでがっついて飾りのパセリまでたいらげました。

「悔しいね」

と言われたので、わたしは唇を噛みしめました。首を振りました。わたしが悪いのです。たとえ残飯だろうと、わたしは盗み食いをしたのです。

店長さんはわたしがすっかりたいらげたお皿を見て「気持ちいいね」と言いました。それから店長さんはわたしを採用した理由を告げました。この子ならお店を明るくしてくれると思った、と。

「明日からも来てくれる?」

わたしはその場でぼろぼろと泣きました。

「でもわたしのせいで、あのお客さんはきっともう来てくれません」

「僕は青木さんが来ないほうが悔しい」

なにが悔しいのだろう。店ならば、客が離れるほうが痛手じゃないのだろうか。悪評が広まるほうが嫌なのではないだろうか。

「これからも一緒に頑張ろうね」

そう言って店長さんは立ち上がり、わたしの肩を軽く叩いてレジまで行きました。ポケットから財布を出して湯葉しゃぶの代金を入れていました。

それからというもの、わたしはお客さんが残した湯葉しゃぶもお味噌汁も伊勢エビも、青いポリバケツに入れることに躊躇いを覚えなくなりました。けれどときどき店長さんから「またか。悔しいね」と声をかけられるようになりました。わたしは「悔しいですよ!」と怒りました。たまに笑顔じゃなくなるわたしを、店長さんは「青木さんは怖いなぁ」と言いながら微笑ましく見守ってくれました。

お店が本部の意向で無くなるその日まで、わたしはバイトリーダーとして働き続けました。

店長さんは最後にわたしに手紙をくれました。

『青木さんがいなければ僕はとっくに辞めていました。続けさせてくれてありがとう。青木さんのすべてに感謝しています』


#我慢に代わる私の選択肢



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