大塚警察署刑事課第2取調室
12月3日。1日目。
今まで人生の中で、2度警察の取調室に入ったことがある。1度目は営利誘拐の参考人として、2度目は強制わいせつの参考人として、もちろん、いずれも任意聴取だ。そして今回が3度目だった。今回は殺人容疑の参考人としてこの取調室に入っている。1度目も2度目もどういう経緯で警察に呼ばれたのかはっきりとした記憶はないが、全く身に覚えのないことだったので、1回の聴取で終わった。もちろん逮捕も起訴もされずに聴取だけで終わった。しかし今回は殺人事件の重要参考人の任意聴取だ。もちろん今回も全く身に覚えはない。座らされたパイプ椅子はパイプ部分が変形しているのか、座っていると少しぐらつく。そして硬く、冷たかった。小さな窓から見える空からは雨は降っていなかったが灰色の雲に覆われていた。太った年配の刑事と痩せた若い刑事のコンビはまるでテレビや映画のようだ。太った年配の刑事が口を開いた。疑っているのだろう。彼は高圧的な態度で話している。
「で、お前は昨日の夜、つまり12月2日の夜、映画を見てたんだな」
「はい」
「どこでだ」
「高田馬場です」
「高田馬場のなんて映画館だ」
「早稲田松竹です」
「ふーん、なるほど、で、何を見ていたんだ」
「マルホランド・ドライブ」です。とタカシは答えた。
「マルホランダ?」
「マルホランド・ドライブです」
「マリホランド?」
「マ・ル・ホ・ラ・ン・ド、ド・ラ・イ・ブです」
「テネットだな」
「マルホランド・ドライブです」
「マルホランド・ドライブだな」と刑事は言った。
「はい、マルホランド・ドライブです」
「で、そのマルホランド・ドライブは、それは洋画か日本のか?」
「アメリカ映画です」
「で、どんな内容なんだ?」
「どんな内容?」
「そう、映画の内容だよ、昨日見た映画のストーリーだよ」
「一言では非常にむずかしいんですが、、、」
「なあ、お前、昨日の夜見た映画の内容が言えないのか?」
「いや、ちょっと難解な映画というか、、、」
「難解って言っても、ざっとしたあらすじくらいあるだろ」
「ハリウッドに女優を目指してやってきた女の子と、交通事故で記憶を失った女の子がなんかわけわかんない感じで、小人が出てきたり、黒縁メガネの映画監督が出てきたり、現実と幻想と現在と過去がバラバラな感じで、、」
「お前、何言ってるのか全然わからん。お前、本当に見たのか?」
「観まししたよ。ちゃんと映画館で、ちょっと難解な映画なんですよ」とタカシは答えた。太った刑事は「難解ねえ」と言って、腕を組み目を逸らした。話始めてから目を逸らしたのはその時が初めてだった。
「お前知ってるか、こいつの言ってる映画」と若い刑事に話しかけた。「いえ」と一言だけで答えた。
「簡単にあらすじを言えない映画だってあるでしょう。その、、、現代美術みたいなもので」
「現代美術ねえ」
「ハリウッド映画か? 監督は誰なんだ」
「ハリウッド映画ではありますね。監督はデビッド・リンチです」
「デビッドなんちゃらって知ってるか」と太った刑事は若い刑事にまた聞いた。「いえ、知りません」若い刑事はあまり喋らない役割なのか、無表情にまた一言だけだ。
「刑事さんも観てくださいよ、そうすれば僕の言っていることが分かると思うんですけど」
「馬鹿野郎、そんな暇あるか」そう言って太った刑事は脚を組み換えた。
12月10日。2回目。
その日は晴れていた。取調室に入ってくる太陽の明かりに照らされたホコリの粒を見ているとあまりの多さに、口呼吸をやめて鼻呼吸に切り替えた。用意されていたガタガタするパイプ椅子に座っているとこの前の刑事が入ってきた。年配の方だ。前回、名前を名乗っていたが忘れてしまった。しかし、覚える必要などない。彼の情報など体だけで十分だ。そう、彼はハゲでデブだ。どちらかというとデブの印象が強い。そのデブが目の前の席に座った。そして口を開いた。
「昨日なぁ、ネットフリックスでマルホランド・ドライブ見たんだよ」と刑事は言った後、大きなため息をついた。そしてまた口を開いた。
「まったくわからん」デブデカは言い放った。「なんなんだあれは、さっぱりわからん。何が言いたいんだ。というか、そもそも何が起きているんだかがさっぱりわからん」
ドアがノックされた。若い刑事が入ってきた。昨日の無口な若い刑事だ。ヤマダさん、とタカシの名字をいうと「観ましたよ、マルホランド・ドライブ」と言ってニヤッと笑った。
つづく
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