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中絶に男性の署名は必要なのか?男子大学生が考える

つらいニュースがありましたね。

中絶には、パートナーのサイン(同意書)が原則必要。

これが現行の母体保護法に基づく決まりです。例外的に本人だけですむ場合もあるらしいですが、以前パートナーのサインなしで中絶を行ったところ、病院が訴えられ敗訴した例があってから、本人のみの意思では受け入れられにくくなっているという話もあります。(判例は結婚相手であったため、未婚または性暴力による中絶での判例ではないですが) 

こちらの記事を引用させていただきました。↓

本題です。

女性の中絶に男性の署名はいるのか?

僕は要らないように考えています。理由は、身体的なリスク、精神的なリスク、法的なリスクが女性に集中しているからです。

身体的、精神的なリスクは言うまでもなく100%。妊娠によって、男性の身体にはなんの変化もありませんし、なんの危険性だってありません。そして法的なリスク。これは、なぜか日本では妊娠をさせるだけさせて、養育費も払わずトンズラする男性が裁かれず、困り果てて子供を遺棄してしまった女性のみが裁かれる現実があるため存在します。法的な責任を取らされるリスクが、男性に比べて圧倒的に女性の方が高いのですから、子供を身籠った際の不安や焦燥感は、計り知れないものでしょう。

それなのに、男性の許可を乞う必要が、果たしてあるのでしょうか?

基本的に、自分の身体は自分で守る権利があると思います。それが、何者かに支配されてよい理由はないはずです。なぜ、命の危険もある出産に関する意思決定を、一人で行わせないのでしょうか。一刻を争う内容にもかかわらずです。(中絶には時間制限があります。)

男性が子供の責任を負わなくてもよい社会なのに、男性が子供をもつ権利のみは担保する。こんなことで良いのでしょうか?

パートナーに同意なく中絶されては困る!という発想から母体保護法が規定されてる気がしてなりません。しかし、男性にはパートナーが産みたいと思うような努力をする義務があるのではないでしょうか。ただでさえ男性は妊娠出産に関してノーリスクなんですから、自分の子供がほしいという願望を叶えたいのなら、その危険性をすべて背負う相手にできる限りの気遣いを行うべきでしょう。そんな署名一つで相手の身体が思いどうりになるなんて、甘く思えます。産めない、産みたくないと本人が思ったら、それを一番尊重すべきだという考えは、自然なものです。

自分が若いだけでしょうか。そんな単純な話ではないのでしょうか。でも、今の僕の感覚ではそのように思っています。

思えば、中絶や、それに関わる母体保護法についての言及は、大学でこそされましたが義務教育ではされてきませんでした。地元で受けた性教育では「あなたはあなたのままでいい!オッケー🙆」という謎の言葉を連呼されたぐらいで、肝心の中絶や妊娠についての知識は付与されませんでした。こういったとこからも、日本の性教育の問題点は、本当に多いと感じています。

妊娠、出産で苦しむ女性の声を聞くたび、本当に切ないし、やるせない気持ちになります。それが社会の制度によるものであれば、なおさらです。

もし僕が女性として妊娠していたら、そして相手に中絶を拒否されたら。性活動をそれ以降楽しいものとなんて思えなくなるかもしれません。そういったリスクすら女性だけが背負っているのです。

僕は男性として、相手が今後感じられていたかもしれない楽しさや喜びを奪わないような、そんな生き方をしたいです。それがひとりの人間としてのあるべき姿だと思っています。性に関することは楽しいものでもあるはずなのに、性に関する恐怖やトラウマは一瞬で心身を壊します。そうなってしまう女性を減らすために、女性の身体を守る権利は社会制度が担保しなければいけません。しかし現行の母体保護法は、母体ではなく「男性が中絶を阻止できる権利」をなんとしても守ろうとしているように見えてしまいます。

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