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写真の部屋・スパルタその4

写真を仕事にしたいと名乗りを上げた14人のメンバー。
一度全員で実際に集まったあと、クローズドなグループページでオンライン勉強会をしています。今回は彼らがどんなことをしているか、「写真の部屋」購読メンバー以外にも読んでもらおうと思うので全文を掲載します。

漠然と写真を撮っていても上達はしません。

メンバーのそれぞれの自主練習によって、アップされる写真が格段によくなってきています。驚きました。正直なところ、自分はこんな速度では上達してきませんでした。

ここでやろうとしている実験には「いかにムダのない努力をするか」という目的があるので、当初の目論見は達成されているような気がします。

ただ漠然と写真を撮っていても上達はしません。マイケル・ジョーダンは「間違ったシュートの練習を何時間やっても、間違ったシュートがうまくなるだけ」と言ったそうです。幸いなことに今回のメンバーには「間違った練習をしている」と指摘すれば、すぐに修正する能力がある人が集まっているようです。

現在の課題はそれぞれが並行して継続するとして、そろそろ次の段階に進んでもいいでしょう。

コンテストに参加する意味。

俺はコンテストに参加することがいいとは思っていません。

そこで賞をもらっても、何も次には繋がらないからです。ただ自分の写真の中から見せたいモノをチョイスする個人作業はとても勉強になるので、メンバー全員で、外国のある写真賞に応募することにしました。

今まで撮った中からこれぞという写真を選ぼうとすると、なかなかないことに気がつきます。それは普段から発表することを前提に撮っていないのと、セレクト能力がないからです。

仲畑貴志さんというコピーライターが書かれた本を若い頃に読みました。そこに「若い人は、自分が書いたいいコピーを見つけられない」という話がありました。課題を与えられた若い人は必死で大量のコピーを書くのですが、まったくいいモノがない。書いたモノをゴミ箱の中からでも全部持ってこいというと、捨てた中にまあまあいいのがあったりする。

自分が書いたモノの善し悪しを判断してピックアップできなければ、書けたことにはならないという話でした。

常に本番であるという意識。

いつも持ち歩くコンパクトなミラーカメラレスでも、素晴らしいレンズに4000万画素くらいの高性能が普通です。これは昔で言えば中判か4X5のカメラのような性能でしょう。それを散歩の時にでも持って行ける。

つまり、2メートルくらいに引き延ばして美術館に飾っても遜色のない性能のカメラを常に持っているということです。それをスマホで撮るのと同じただのスナップにするか「作品」にするかは、単純に気持ちの問題だけです。だからどんな状況においても作品を作れるのです。

メンバーには、写真を趣味にしている人々が使いたがる言葉を決して使わないように、と伝えてあります。言葉の定義は重要で、行動をも支配してしまうからです。よく聞く「作品撮り」という言葉には、それをしていない時間は作品を撮る意図がないという意味で、よくないと感じる、などがそれです。

まずは写真のことを一切知らない、ゼロの状態に戻すこと。これができないのはすでに写真の仕事を引き受けている人たちであり、今まで写真を勉強していない人たちの方が上達が早いこともわかりました。

現像という技術。

メンバーの中にはプロのレタッチャーがいて、彼が他のメンバーに現像・レタッチ講座をしてくれることになりました。メンバーが持っている技能を共有できるのは幸運なことです。これをすることで、皆の写真が格段によくなるはずです。

現像やレタッチは体系的に学ばないと自己流ではうまく行きません。どこをどういじったら何が起きるかは、理由を知らないと理解して応用できないからです。ここは仕事をする段階でできていないと明確に「失格」のハンコを押されやすいところなので要注意です。

「シャッターチャンスがいいですね」なんていうアマチュア風の褒め言葉は、仕事ではまったく聞きません。よくて当たり前だからです。それをどう処理して完璧な状態で見せるかが、職能であり科学の領域です。たまたまこうなったというファンタジーではありません。

「勉強をする方法」を学ぶことは勉強より先にあるべきなんですが、あまりその機会は多くありません。方法を教えられてもできない人は、早めに諦めて別なことをした方がいいです。

マジメに間違えたシュートの練習をしていてもマイケル・ジョーダンにはなれないからです。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。