見出し画像

フィルムとデジタル。

仕事でやっている人からはまったく聞かれず、趣味の人からは確実に聞かれるという不思議な質問がある。

それが「フィルムとデジタルではどちらが優れていますか」だ。

結論から言えば「パーフェクトに興味がない」。優れているという基準を時間で判断するなら圧倒的にデジタル。現在のワークフローに対応するならデジタル。機材の対応で考えたらデジタル。昔はこんな感じだったよね、と懐かしみたいならフィルム。どんなことがあっても記録が残るという安心感ならフィルム。

と、選択する基準によって変わる。ただその評価の多くを満たすものがデジタルだから「仕事の道具」として選んでいるだけ。今後、もしフィルムともデジタルとも違う仕組みが現れて便利だったなら、当たり前だけどそれを使う。

機材の進化はテクノロジーの進化だから、後戻りはできない。2000万画素なんて必要ないよ、4000万画素なんて、と言いながら、時間とともに人は慣れていく。以前は美術品の複写などで使われていたレベルの1億画素のカメラだって、今はもうヨドバシカメラで誰でも買うことができる。

上の写真のように同じ場所で撮ってみると、より精密に情報量を多く記録したいという要求が技術の進化をもたらす、というのが一目瞭然だ。

そこで浮上するのが「写りすぎていると想像力の入り込む隙間がない」というアナログ派人間の言葉。「写っていないところがいいんだよね」「不便だからこそいい」というセンチメンタルなパラダイムに押し戻すわけだ。

技術が進化すると、その速度について行けなくなった人は勝負を降りることになる。それは個人の選択だから全然構わない。プリウスじゃなくて古いカマロに乗るのもいい。個人の選択の自由。

ただ「今はカマロみたいにいいクルマを作る会社がなくて、嘆かわしい」「プリウスは合理性だけで、まるで精神性がない」などという切り口から、自分を正当化し、自分がやっていないことを貶し始めるからダメなんです。

写真は写されているモノがすべてで、それが湿板で撮られてもポラロイドでもネガフィルムでもスマホでも、何でもいい。「フィルムで撮ると、味がありますね」じゃないんだよ。フィルムでいい写真を撮っていた経験がある人はデジタルでも同じようにいい写真が撮れる。

※さっきの写真は両方ともデジタルで撮ったモノです。フィルムで撮ったとは言ってないけどな。

定期購読マガジン「写真の部屋」
https://note.mu/aniwatanabe/m/mafe39aeac0ea




多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。