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素通りのレストラン:写真の部屋

以前、ある人から割と攻撃的な口調で「あなたのこの写真は全然よくない」とコメントをされたことがありました。それは友人と食事をしているところを撮ったものですが、ソーシャルメディアのことがわかっていないと感じました。自分の写真がダメだと言われた反感ではなく、人に見せる写真はすべて「作品であるべき」という凝り固まった考え方への疑問です。

ソーシャルメディアの魅力はライブ配信などに代表されるように、起きていることをリアルタイムに発信できることです。今こうしています、昨日こうしていました、という新鮮な情報を共有することができるので、印刷された写真集やプリントを並べた写真展とはそもそもポジションが違っています。「私が10年間かけて撮りためた膨大な写真からセレクトを重ねた渾身の一枚なので見てください」というような場ではありません。

2017年の『山形国際ドキュメンタリー映画祭』では、会期中に訪れた世界中の映画監督や関係者などをその場で撮影してプリントし、会場に翌日展示しました。これは表現のスタンスをソーシャルメディアに近づけたかったからです。今や多くの人々が待たされることに慣れていませんし、古い情報はことごとく無視されますから。

極端に言ってしまえば、映画祭の会場前で撮ったこれらの写真と、スタジオでモデルを使って撮った写真は、私にとって何も違いがありません。ドキュメンタリー映画祭ということで展示のタイミングだけはライブ感のある表現をしたつもりですが、どんな写真も同じことをしているだけです。ギャラだけは二桁違いますけどねw。

ここから、大事な結論です。

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。