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1998年の、たまごっち。

NHKのワールドカップ中継のオープニング映像を作るため、パリとバルセロナに行った。1998年フランス大会の時だ。

現地のサッカー少年を撮影するので、スタッフがたまごっちをプレゼントしようと言って大量に買い集めたのだが、結局これは子どもたちにはあげていない。

そこで見たのは、リーガ・エスパニョーラを目指すレベルの、バルセロナの名門チーム、同じく名門のパリのチーム、パリ在住の日本人のチーム、それと周囲にいた貧しい子どもたちだった。

バルセロナでもパリでも、サッカー文化の層の厚さを感じさせる練習環境と、少年たちの「プロを目指す自覚」を感じることができた。小学生ではあるが、自分たちは将来ワールドカップに出るのだという当たり前のような自信がうかがえた。パリのゴールキーパーはほとんど練習をせず、ファンの女の子に囲まれて談笑していた。

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バルセロナのチームは、メルセデスで親に送迎されるような裕福な子どもたちだった。彼らが練習を終えて帰ると、薄暗くなったグラウンドにユニフォームを着ていない近所の子が集まってくる。彼らはユニフォームどころかボールすら持っていない。驚くべきことに、パイナップルの空き缶のようなモノを蹴っている。そしてそれをキーパーが素手でキャッチしている。裸足の子もいた。この子たちの中からもサッカー選手は必ず出てくる。それがヨーロッパや南米のサッカーだ。

現地のコーディネーターは「彼らに、たまごっちをあげないでください」と言った。なぜかと聞くと、「なくなっても、彼らは新しい電池が買えないからです」と言う。裕福な子どもたちは親に買ってもらうだろう。俺たちはたまごっちが詰まった段ボール箱をそのまま日本に持ち帰った。

世界中の、自分たちとは違う生活をする人々に会うとき、自分の盲目を恥じることがある。たまごっちは1998年からずっと壁に掛けてあるけど、これを見るたびに、俺はあのときの恥を思い出すのだ。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。