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言語とビジュアル:写真の部屋

昨日は『写真の本』のゲラを編集の今野さんから受け取りました。自分で書いた文章も、数日経ってから読み直すとわかりにくいところやおかしなところが見えてきます。「結論を理解している自分が頭の中で考えていることをそのまま文字にしてしまうと、速度が上がりすぎることがある」と古賀史健さんと話したことがありますが、まさにそういった部分が見えてきます。

私は子どもの頃に「文章を書く人」になりたかったのですが、幼稚ながらそのために必要なのはたくさん本を読むことだと思って、ジャンルは関係なく多くの本を読みました。それが直接いま文章を書いていることに繋がっているとは思いませんが、スポーツをする前に足腰を鍛えていたくらいの効果はあった気がします。読書から得られるものは個別の情報ではなく、他者への理解だと感じることがあります。

自分とはまるで違う環境に暮らしていた人が考えていたことを文字を通して時代を越えて知ることができる、その筋肉の訓練です。本の中では「結局のところ、ビジュアルは言語に勝てない」と書きました。これは自分の出発点がビジュアルではなく言語だったからだと推測しますが根拠はそれだけではなく、言語というチェスの動きの法則を知らない人は盤面で何が起きているかを説明することができません。ゲームのルールを知らずにチェスボードを眺めていても、そこには変なカタチをした駒と市松模様のボードの配置しか目に入りません。

だから、つまり!

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写真の部屋

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人類全員が写真を撮るような時代。「写真を撮ること」「見ること」についての話をします。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。