ミュージカル
今週はダンスと歌のレッスンがあります。
わたしは昔、ミュージカルの役者をやっていました。
結婚を機に引退したつもりでしたが、結婚後も愛知万博の舞台に立ったり、脚本を書く機会に恵まれ、ダンスの舞台にも復帰したりと表現をする場には恵まれました。
引越したマンションにはアリーナがあるのでダンスの先生のお友達に週1回きてもらってレッスンをしています。
歌の方はコロナでLIVEが延期になって日程調整中ですが、サンダースネイク厚木といういきものががりを育てたLIVEハウスでやる予定です。
今週から歌のレッスンも再開。
まさか44歳になって、まだ歌ったりダンスを踊っていたりするとは思わなかったな。
もうこれはライフワークなのかもしれない。
ミュージカルとは切っても切れない縁。
何よりもわたしの人生を慰めてくれたのはミュージカルだったし、辛い時は歌に救われた。
ちょっと複雑な家庭に育ったので、「アニー」の「Tomorrow」はいつも口ずさんでいて自分を慰めていた。
祖父に連れられて小1で映画「アニー」と出逢ってから、ミュージカルはいつもわたしの傍にいた。
そして、中2の時に同じく祖父に連れられて観たロンドンミュージカル「Starlight Express」
これを観てミュージカル俳優を目指そうと心に決めた。
学校から帰るとミュージカルのCDをかけながら1人全役ミュージカルをやる日々(笑)
本格的なレッスンは高校に入ってから始めて、ミュージカルの専門学校に進み、中退して劇団に所属した。青山劇場で初舞台を踏んでからその劇団は退団し、ミュージカル劇団の研究所で2年間勉強し直した。
結婚するまで、バイトをしながらレッスンを掛け持つ生活を続けていたが、正直その生活にも疲れてきていた。
結婚を機に名古屋に引越しをしたのでミュージカルはきっぱりと辞めて専業主婦になったのだが退屈な日々。。そして、ある日何故か足柄SAで愛知万博のミュージカル出演募集のチラシを見つけてしまった。
オーディションに受かり、モリゾーキッコロメッセの舞台に立たせてもらった。その後も名古屋の劇場の舞台に立ったり、転勤を繰り返しながらも細々と続けていた。
そして、ある日脚本の依頼を頂く。当時、mixiに書いていたわたしの文章を気に入ってくれた演出の子から依頼があった。
初めて書く脚本は試行錯誤だったが、演出の子にアドバイスを頂きながら書き上げた。とても楽しい作業だった。
その舞台にもちょっとだけ出演させて頂いた。
2本目の作品を書いて通し稽古も始まった公演直前に東日本大震災が起こる。苦渋の決断で公演は中止。
わたしは旦那さんの転勤で再び名古屋に向かった。
名古屋では音楽座監修の市民ミュージカルの台本制作に携わった。
そして、再び横浜へ転勤。
バレエのレッスンを再開し、スタジオの記念公演に出演することを決める。
20代の子達に混じって40代のわたしが踊るのは正直キツかったけど、とても良い経験でした。何より、古巣のスタジオの記念公演に出られたことが嬉しかった。
そして今、湘南に引越しまたダンスと歌を再開した。
ブランクがあったり、身体が硬くなったりでなかなか思うように踊れない歌えない日々だけど、マイペースに続けられるんだから楽しんでいこう。
職場も劇場勤務だし、ミュージカルのない人生は考えられない。
わたしの傍らにはいつも舞台芸術があった。
コロナにより、席数を減らしたり形態を変えて徐々に上演する形になってきているけど、これからも「Show Must Go On!」舞台は生きていく。
危機に立たされた劇団、役者も多い。
コロナの終息、公演の再開を願わずにはいられない。
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