1.大人こども

うだるような暑さが終わり、夏のオーケストラもいなくなった。

盛り上がった友人関係も、紅葉までもたなかった。

友達の相手はもちろん異性だ、期待だってする。けれど青春真っ盛りの彼女、彼らにはより多くの狩人が取り付いている。厄介な連中ばかりだ。

「人間関係って案外、薄っぺらいもんなんだな」

ふられた男が、言葉をこぼしながらグラスを煽る。コロナ禍は理由に最適だった。穏便に断れて、確実に飲みに行かなくても済む。それに、会えない口実にも、うってつけだ。

しかし、ネット上の友人は本当に恐ろしい。別れて数時間で次のツガイをみつけてはせっせと励む。なにとは言わないが、愛国心が強いようでなによりだ。

といっても特に恨み言を吐くつもりはない。因果応報、私の行ってきたツケなのだ。自分のケツは自分で拭かねばならない。そんなこと、成人式でひとことも言われてないし、約束舌覚えもないのに。

人間社会、特に日本というせせこましい島国は尚更顕著であった。車内では老人がふんぞり返り、権利ガーと叫ぶくせ義務は放棄する輩、煙草を吸えば迷惑そうな顔でこちらを睨んでくる老若男女。

くさいものには蓋をして、危険や都合の悪いことは規則で縛る。世も末だ。末人が量産されるワケだ。私もそのうちの独りなのかも知れない。

生きるとは何か、それをポジティブに考えられるならいい傾向だ。私は真反対で、更に言うなら安楽死推奨派だ。

過去に、親友に頼まれて、彼女を刺し殺した女の子がいたらしい。今は元気に過ごしているんだろうな。良い事だよ全く。と、言っても知っているのは極小数だろう。

他は…そうだ。医学を志したが、多額の奨学金を抱え、返済するべく夜の街で働いた彼女。彼女も漏れなくおかしくなった。その末に自我、肉体を守るべく彼らは生まれた。尊い存在だとも、彼女と彼らは。

はて、なぜこうしてnoteを書いているのか。それは私が人間だからだ。人間は忘れる。人間の記憶は都合のいいように書き換えられる。私は例外ではない、人間だからだ。

相手の受けて次第で私が投げた言葉は刃物になり、柔らかいクッションにもなる。この文字列をみているあなたは、何を感じることだろうか。

私は毎日死んでいる。ねむるという行為を通して、日々わたしというにんげんは息絶える。それは他人が知るヨシもなく、身内ですら分からない。私は日が昇ることに次の私にバトンを渡している、人生というバトンを。

しかしだ、バグが鼠算式に増えていって、今ではもう手に負えない。実に酷い有様だ。記憶や思い出は保持すべきものではない。これを打っているいまでさえ、私の感情にはerrorが出ている。なおる予定もなおす気もない。このままだ。

さて、あしたのために、もう寝よう。じゅうぶんとはいえないが、書き連ねた。偉いぞ私。

こうでもいわないと、わたしがすねてしまう。もはやだれからも褒められない。そもそも、ほめられたきおくなんて、ありはしない。ほめられなかったのだから、あたりまえだろう。

それでは、おやすみなさい。

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