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身体のことは身体が決める

 身体のことは身体が決める。「わたし」が身体を支配しようとする時、身体はこわばり「わたし」は硬直する。「わたし」が身体を抑圧する時、身体は歪み「わたし」は崩壊する。「わたし」が全てを決定できるなどいうのは思い上がりと妄想でしかない。身体あっての「わたし」なのだから。身体はどこまでも現実。
 身体のことは身体が決める。「社会」が身体を支配しようとする時、身体はこわばり「社会」は硬直する。「社会」が身体を抑圧する時、身体は歪み「社会」は崩壊する。「社会」が全てを決定できるなどいうのは思い上がりと妄想でしかない。身体あっての「社会」なのだから。身体はどこまでも真実。
 身体をコントールできるなんていうのは「わたし」の妄想。身体を支配できるなんていうのは「社会」の幻想。妄想と幻想のイリュージョンは現実を歪め貶め卑しめ病ませる。
 身体の声に耳をすませば「わたし」が歪む音がする、「社会」が軋む音がする。その音をひとつひとつゆるめていく。ゆるめれば妄想は霧散し、幻想は剥脱し現実が顕現する。無常の身体だけがそこにある。


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