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【第31回東九条マダン 終了しました】『虹とグレーゾーンと大地と血』

【第31回東九条マダン 終了しました】

『虹とグレーゾーンと大地と血』

今回平山は会場内の飾り付けと自分の絵を展示しました。

校舎から長い布を6色垂れ下げて虹に見立てた飾りをしています。校舎の手前のフェンスには白、黒、グレー、赤、青、銀、金の布に生花とドライフラワーを活けました。そして長い布の麓にはミカンとレモンの苗木を置いています。

 この飾りは東九条マダンを通して、平山個人ととある東九条で活動する集団との諍いから生まれた飾りです。集団との関わりともなれば諍いがあるのは当然で、それはとてもつらく狂しいものなのですが、対立することで生じる何かがあることも確かなのです。対立とは第三の何かが生じるための儀式であるようにも思えます。

 対立といえば、『東九条マダン』ということばはとてもおもしろい言葉だなあ、と思います。今年一年東九条マダンに本格的に関わって強くその事を実感しました。「東九条=マダン」ではない。むしろ、「東九条」と「マダン」とは相反する要素や対立する要素が強いように平山は感じました。「東九条」に重心を置くのか、「マダン」に重心を置くのか、両者のバランスを取るのか、はたまたぶつかり合わせることで今までになかった何かを顕現させるのか、それは東九条マダンに関わる人それぞれなのだと思います。

 東九条も平山がこどものころからは随分と変わりました。最近では多文化共生や多様性という文脈で東九条が語られることも多くなったと思います。それは虹のイメージに近いでしょうか。ですが宇賀辺町の原住民である平山にとって東九条という地域は「虹」と言うよりは「グレーゾーン」な地域であったように感じています。平山は、虹も大切にしたいし、白、黒、グレーも大切にしたいと思っています。

 虹には白や黒やグレーは含まれていません。むしろ虹はグレーゾーンを排除するからこそ虹なのかもしれません。ですが大地は白や黒やグレーも含むし、虹の色も含んでいます。故に大地にはすべてを呑み込んでしまう恐ろしさがあります。大地の豊饒さは一様性です。虹は多様性ですが、虹以外のものを排除する排他性があります。虹は虹以外の何かを認めないのです。虹がグレーゾーンを排除しないように、そしてグレーゾーンが虹を呑み込んでしまわないようにすること。それはどのようにすれば可能なのか、まだまだ試行錯誤中です。人間は社会的存在で在ると同時に、生命的存在です。社会には虹がもたらす多様性が必要だし、生命には大地がもたらす一様性が必要なのです。それに無理矢理あてはめるなら『東九条(≒グレーゾーン)+マダン(≒虹)』ということになりますが、この図式はあまりに単純化しすぎかもしれませんが、『東九条マダン』とはこのようなステキな対立を含んだ有機的な何かなのです。この緊張と調和こそが東九条マダンの魅力なのではないでしょうか。

 今年東九条マダンに本格的に関わった平山にとってはその対立の様々をとても感じた一年でした。でも、対立するからこそいつか手をつなぐことができる、はず。対立するからこそ新しい何かが生まれる、はず。平山にとって『東九条マダン』は本来相容れない要素が調和したりひとつになったりできる、またそのような挑戦ができる大きな器でもあるように思います。

先ほどこの布を虹と書きましたが、それはちょっときれいすぎる言葉で、平山の実感としては6色の「血」です。大地は血を求めています。再び豊饒を横溢させるために。大地は豊饒をもたらすと同時に残酷です。誰の事も犠牲にせずに、この大地に血を流すこと。それはこの宇賀辺町に生まれた平山のひとつの宿題のようなものです。今回の飾りにはそのような思いも込めています。

今回、この虹の麓にミカンとレモンの苗が置いてあります。この苗はもともと東九条の道端から生えていたものを地域の方が大切に育てていたものです。山本麻紀子さんという東九条や崇仁地域にある植物を挿し木して移植するという活動をしている方がおられます。この苗は山本さんがまわりに協力してくれるひとに声をかけ、実を採集し種を取り出し発芽させた苗です。
山本さんの「このいま育ってくれる命をすべてまたこの土地にもどしてあげたい」という想いとも共鳴できたように感じています。この苗のおかげでこの布がちゃんと根を張る事ができたように思えますし、想いやあたらしい生命が発芽したように思います。天と地にひとつ筋を通すことができたと思います。立つ、ことができました。

以前にも書きましたが、この飾りには、この東九条の今を生きる人、この東九条を出て行った人、この東九条に残った人、残らざるをえなかった人、犠牲になった人、死んでいった死者たちに捧げています。死者たちとは、生命そのものです。生きている者たちは個別の生命です。お祭りは生命そのものと個別の生命との交流でもあります。そんなお祭りにすこし、この飾りによって花をそえることができたかもしれません。

いやあ、ほんとにほんとにつらかった。こんなにつらかったの何年ぶりやろ。怒りと悲しみで顔に変なあざはできるし、本番3日まえにぎっくり腰になるし、ひさしぶりに狂おしい日々をすごしたわ。でも、他人や集団と関わると自分ひとりではできない表現や顕現ができるのでもう、それも運命として生ききるしかないよね!ですます調で書くのも柄にあわんしね。なんでおれですます調で書いてんねやろ。ふはははは。おれが苦しもうが、怒ろうが悲しもうが狂しもうが、とにかくこの大地が喜んでくれたからそれでよかったわ。来年は、天空までこの命、突き刺したるわっ!!この大地、芽吹かしたるわっ!!!!偽物ども!!おまえらはあっ!この大地の為に踊り続けるがいいいいいいいいいいっっっっ!!!!!おれはあああ、この身を大地にいいいい、捧げるのみいいいいいいいいっいやっほおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいっ!!!


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