自己中心的
―――自己中心的に解釈しがちな潜在的な先入観
討論番組やディベートの場ではよく見受けられるのが、論点のすり替えだ。問題の解決に向けて正解に近い結論を出そうと批判や賛同を繰り返すが、自分の提案が否定され、その否定した相手に対して自分が否定された気になり、相手の意見を如何にしてこき下ろすかというような進行に変わる場合がよくある。また、自分の思想を売り物にしている有識者・文化人などのエキスパートは、売り物に傷を付けまいと、徹底して意見を揺るがない。否が応でも「自分は間違っていなかったんだ」ということを認めたく、それが表面的に覆されるときに、防衛反応として相手を否定・マウントを取るといったロジックだろう。
―――独りになり過ぎると行動が短絡的に、批判的になる
―――他責思考で自分は間違っていないと信じて身を守る
―――マウントが己を不幸にする
自分の価値観が揺るがないものであるという考えやそれに類する井の中の蛙的な思考は、ポリシーやこだわりが強い、翻ってプライドが高いと見られる場合がある。頑固者・堅物であるという厄介者だ。
この様な己の保身のため及び自我を保つための独占的な考え方は、己の身をも危ぶむ。その考えに雁字搦めとなり、己自信が苦しむのだ。
―――"上"を見ると自身が惨めに思えてくるのが人間
上記Tweetは下記Tweetのリプライである。たとえば、皆が楽しそうにしている中で自分だけが楽しくないときには不公平感を感じるものだが、そういった不公平を感じる人の感情を無視して「それでも楽しんでる人がいるんだから嫌な顔するな」というのは難しいものだ。良い言い方に聞こえるが、実際には一部の人を犠牲にしているわけで、トロッコ問題においてどちらを選んでも犠牲が出るのと同様、正しいものとして声を大にして言うべきものではないのである。
批判
―――批判の起こるメカニズム
近年ではSNSで主語はないが"自分に身に覚えある悪口"が目に入り、自分が批判されている錯覚に陥るという弊害もある。
―――人はネガティブな情報に敏感
上記の図のようにネガティブな情報の方に意識が持っていかれるのはネガティビティバイアスによるものだ。
―――その発言、リアルでも同じように言えるか?
下記はバーナム効果の良い例である。自分だけに当てはまるように思えるが実際は他の人にも当てはまってしまう良い例だ。逆に言えば、自分のことについての発言でなくても見覚えがあれば自分が批判されていると錯覚してしまうのである。
―――悪い情報は他人を焚き付ける中毒性がある
―――批判のために「良かれと思って…」と相手に罪悪感を与える
―――相手の印象を悪くさせ、支持をこちらに誘導させる
―――自らは行動せず、他人を批判する人々
下記は杉良太郎氏が被災地にて炊き出しをした際に、レポーターから「売名ですか?」と訊かれたエピソードが語り草となっている。このエピソードに限らず、金を持っていれば「寄付しろ」という声が上がるのを目にすることは少なくない。
ダルビッシュ選手はTwitterでのレスバトルに定評があり、メンタルや気構えに見習いたいものがある。
――会ったことのない人を親密な関係だと誤解する ~パラソーシャル相互作用~
■正義中毒
コロナ禍の緊急事態宣言下、正義を笠に着て運営している個人店などに器物破損や名誉棄損にあたる行為が一時問題となった。"自粛警察"と揶揄されたが、自らも外出をしていることについては棚に上げ、他人を批判しているのが印象的だった。
確かに緊急事態宣言初期に皆が一丸になって外出を控えている時期に出歩く人というのは気に食わないだろう。そのフラストレーションが募ってか、出歩く人を敵視する風潮が起こるが、第三者から見れば批判している自分自身も出歩く人であり、相互に心中批判しながら人々が街中を歩くという不可解な期間だったことも否めない。反動で解除後は感染者が増大し、自粛要請を再三繰り返す形となった。ただ、一方的な正義を人に押し付け、それを武器として事情を知らずに相手を批判する人が一定数いることは肝に銘じておきたい。
☟公正世界仮説とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものであると考える認知バイアスのことだ。詳しくは下記リンクを参照。
―――正義中毒、批判には中毒性がある
―――盲目的な正義感に振り回されて本質を損なう
―――誰もが自分の非を責められるのは苦しい、故に正しいという立場によって正論で相手を殴る
―――自分に嘘をついてい生きるのは苦痛、故に複雑な物事にピリオドを打って早く楽になりたい
■自己矛盾
―――人は自己矛盾に気付かずに他人を批判する
―――メタ認知の低下、自己防衛のための解離
メタ認知とは、自己の思考・感情などの状態を客観視できる能力のことだ。
―――自己矛盾との葛藤
■コンプレックス
アルバイトやコンビニ店員に偉そうにする年配者、陰謀論を盲信して周囲に勧める人、わざと小難しい言葉を使って知的なアピールをする人、またそれらの人を嘲て馬鹿にする人など、それらは自分のコンプレックスから他人を批判すること、また他人よりも自分の方が優れている立派な人間だと誇示することで自身のアイデンティティを認めているのだと考えられる。
―――相手に持っていないものを持っている自負心を笠に着て自尊心を保とうとする
持つ者が持たざる者を叩く。その持つ者が叩く理由は自分の別のコンプレックスを隠すためであり、そのコンプレックスさえ、別の理由をつけて他者を持たざる者としてまた叩く。
―――自分が抱えるコンプレックスが飽和状態な故に自身の過ちを認められない
―――メサイア・コンプレックス
下記のnoteでも触れているが、誰かに頼らないと不安で生きていけない人と誰かに頼られないと不安で生きていけない人が上手く結びついて相互扶助になっているカップルのような共依存の関係、無意識下でもその人の存在によって自身が保たれている状態は、双方に問題があると言っても過言ではない。
頼られるの関係によって自分はこれだけ優れている、価値があると思いたいが故に、誰かを批判すること、そしてそれによって相手に自身の過ちを認めさせることで自身の存在意義を確かめようとしている。こういったタイプの人は孤独を恐れ、誰かに必要とされたり求められたりすることで充実感を得て、他社を批判することで自身の精神の安定を図っている。
―――コンプレックス広告に批判殺到
少し前に、品川駅のディスプレイ広告「今日の仕事は、楽しみですか。」は炎上騒ぎとなった。個人的になぜこれが批判されるかは「そんな訳ないだろ」という読み手の心理を逆なでするものであるからだと思われる。ただ、実際は広告の一部のフレーズが切り取られて解釈されたことでこのような騒ぎになったようだ。
全体文を見て要約すると「仕事楽しくないだろうからこちらで改善の手助けしてあげますよ」というものだ。ターゲット層は上昇志向を持つ意識の高い人間で、そのコンプレックスを刺激しているのだ。上野クリニックの広告とそう変わりはない。
自己肯定感
下記記事が自己を認められない人の一例として、他人からの賞賛を素直に受け取れないといった特徴を取り上げている。
→腹の内では馬鹿にしているんだろという疑い
→おだてて利用しようとしてるのではという疑い
→自己評価では完全に納得できるほどではないという意識の高さ
といったパターンが考え付くが、時に謙虚も無礼であるということだろう。というより、そもそもこれは謙虚に偽装した、保守的なエゴイズムとも受け取れないでもない。
周囲の意見(マスメディア含む求める人物像や風潮など)や自分より優れた人を見て、劣等感から自己肯定感が育まれずにネガティブ思考になってしまう。あるいは理想やプライドが高くなりすぎてしまうというのは、自己が過度な完璧主義とも言える状況に陥っており、悪く言えば周囲の意見に流され、影響されて自分の意見や自由さを失っていると捉えられる。
―――パワハラ・モラハラをする人の心理
主に、プライドが高い人は得てして自分に自信のない人である場合が多い。ただ、大抵多くの人は自分に満足できずに自信を保持し続けるのが難しいという人が多いため、自信に満ち溢れていて幸せそうな人が自身の脅威の対象となってしまい、防衛機制によって非難を浴びせたり、強く当たってしまうという行動に出ることがある。
パワハラ・モラハラ気質のある人、および虐待やいじめを行う傾向にある人は、自身の過去(幼少期の経験、主に家庭環境など)に起因する場合が多い。
相手に対して執拗に誹謗中傷することで、自身の過去を含めて自己肯定しようと働きかけているに過ぎない。言い換えれば、相手の中に自身のコンプレックスを見出す事で苦しくなり、その相手を責めることで自分をコンプレックスから遠ざけ、離れた存在にしようと逃げているのである。自身の叶えられなかった人生を子供に背負わせ、代行してもらうことでコンプレックスを解消しようとする親も同義である。
―――無知の知
各々、年齢及び経験・キャリアなど自身が通ってきた道があり、その道を通て来たものの得られなかった悔しさや別の道を歩みたいと思っていたものの路線変更せずに来てしまった悔しさなどの感情、ひいては単に自身の努力不足による後悔を酸っぱい葡萄をもってして棚に上げ、他人を否定するという防衛本能が働く。
批判をする本人も自信が間違っていることにうすうす気づいていようとも、自身を正当化したいがために自己洗脳によって信じて疑わず、自身に嘘をついて生きている。こうなると思考が硬直化し、もう思考の変化を要するのに変わるきっかけさえ失ってしまうのだ。後悔後に立たずの状況を飲み込み、受け入れ、その上でまっとうに変化に向けて試行錯誤するのが良い。
■競争社会
―――はじき出されると居場所がないような世の中に
たとえば、企業で終身雇用で働くとすると、組織内で昇格していく上では手柄となる事象が必要になる。そうすると他人のふんどしで相撲を取ったり、不正に申告したり、隠蔽するという手段も発生してくる。その上で「自分はアイツより勝っている」と感じ、アピールしたいがためにマウントを取ること、自身が優位な立場に立とうとするのは自然な流れだ。そのためには重箱の隅を楊枝でほじくるような揚げ足取りさえいとわず、それでありながら社会通念上、皆が平和で仲が良いように振舞う苦しさが広がるのだ。
―――スケープゴートが作られるのは一番簡単に社会、組織を統制できるから
組織をまとめる際に、スケープゴートとなる存在がいれば共通敵が出来上がるのでそれ以外の人間の結束力が高まるというものがある。
通常、ライバル視というのはお互いが各々自分の持ち味や良さを伸ばすために切磋琢磨していくことであって足の引っ張り合いではないが、世の中早々実力のある人間は少ないため、互いに貶め合う結果になってしまう。エンタメにおいても、対バンやラップバトルで相手の機材を破壊したり演奏を妨害することはしいない。ただ組織の中で比較や序列が発生するため、少しでも自分が優位に立とうと揚げ足取りや重箱の隅をつつくようなことを言ってマウント合戦が繰り広げられてしまう。これらを防ぐのに、全員の意識を統制するために特定の対象をスケーブゴートとして被害を縮小化する事態が発生する。
―――実力主義・成功主義に囚われる
下記はあくまでサンプル程度だが、ホフステード6次元モデルにおいて、日本の評価を調べたところ、非常に大きい値となっているのが「男らしさ(Masculinity)」だ。
―――個人の多様性を考えると衝突は必然
―――自己評価の低い傾向
上記から、理想と現実とのギャップに苦しみ、精神的に苦しくなる人が多いのではないかという仮説を立てることができる。周囲あるいは自身で高すぎるハードルや障害を設け、乗り越えられないことによって挫折・無力感にさいなまれる。またそのハードルを越えるべきものだとして疑わず、耐えること苦しむことを美徳として誇るような刷り込みさえ感じられる。
―――集団主義・同調圧力は日本だけでない
「出る杭は打たれる」ということわざを挙げて、現代の日本の悪しき風潮であるように語られることは少なくないが、フィリピンにも同様の意味合いで「Crab mentality(カニ脳)」というものがある。
―――カーストを想起させる不安が人を貶める
―――生贄を捧げる統治はマネジメント力皆無の現れ
―――嫌われる、底辺になることへの恐怖。
―――他人を見下すことで自分が底辺ではないと自覚して安心する
人々はスケープゴートを作ることで、己の罪から安全地帯へと逃れて生きてきた歴史は過去からも伺える。日本でも穢多・非人のヒエラルキーがあり、ヨーロッパでは魔女狩り。またナチス・ドイツはユダヤ人のホロコーストなどがあった。仮想敵に仕立て上げて集団で非難することで自分側は安全圏となるわけである。これらの原因としては、宗教上の摩擦や政治的な理由とされているが、共通して言えるのはこれらの者はマイノリティにあたるもので強い力を持つ者ではない。これらについて関連文献を調べると、社会的に没落した者(犯罪や自殺未遂など)や貧しく教養がなく、身寄りの少ない者などが見受けられた。
―――周囲の目を気にし過ぎる程己の身を案じる
―――神と無宗教、「場」に裁かれない考え方
下記記事では、日本人選手から見た海外の選手が、なぜ堂々としていてメンタルが大きく見えるのかについて、宗教・信仰による影響が大きいとしている。習慣としてどんな場合でも、審判は神にしか下せないと捉えているのだ。
―――根底にある儒教の考え方
―――人間誰しも叩けばホコリが出るし、各々十字架を背負って生きているが、それを露骨に示すのは野暮
人間関係において、どんなに完ぺきに見えるような人でも弱みは必ずある。八方美人が嫌われる原理と同様で、完璧な人間という矛盾した言葉を分解すると、腹の底ではどす黒い企みを持っているのでは、汚い手を使っているのではという疑念が沸く。かくして、欠点を見出そうと粗探しすることで自分と同様に落ち度のある人間だと納得したい心理が働き、敢えて自分が汚い姿を晒すことで相手にも同様に腹の内を見せて欲しい、相手の弱い一面を見て自分を納得させたいという欲が表面に現れるのだ。実際、相手と距離を詰める際にはどす黒い話題が手っ取り早いケースは多い。それと同時に相手を見極めるフィルターにもなるのだ。
―――己を俯瞰で眺める
■嫉妬
―――嫉妬は根源的なもの
―――他人の不幸は蜜の味
他人が不幸に見舞われたときに生じる喜びや快感といった、シャーデンフロイデ(黒い喜び)と呼ばれる感情がある。自尊心の低さや自信のなさに苦しむ人及びほとんどの人が抱く感情であり、いたって正常である。一方でフロイデンフロイデという、他人の成功から喜びや快感を得るといった感情もあるが、うつ傾向のある人にはあまり沸かない感情だという。
この感情に対しては科学的に傾向が認められている。心理学の研究にも利用され、MRIで脳などの活動を血液の流れから視覚化する「fMRI」を用いて実験された結果が下記引用、もとい記事の内容である。
道理
―――正直者が馬鹿を見るなら馬鹿になるほうが得
囚人のジレンマというものがあるが、正直者が報われるためには正直者が一定数いる必要がある。無人レジや無人販売所など人間の良心によって成り立っているシステムは多く、基本的にそれによって治安及び平穏な日常が保たれている。多くの人間は己の中に十字架を抱えて生きているため、正直者というのは不誠実な人にとっては脅威として映る。討論番組で専門家同士が自分の商品である思想に傷を付けないために意地でも主義主張を曲げないということと同義であるように思える。それが生業であればなおさらであるし、それによって今まで生きてきたのであれば、それに反論しないことは己の罪を認めたことになり、罰せられる恐れがある。
一方で、正直で真面目な人間であっても、ある程度の力となる地位や財力、発言力や人望などを持たない者は割を食う場面が多く、そのほとんどは良いように扱われてそれを素直に信じてしまうことによって巻き起こる。その事例の際たるものがオウム真理教が巻き起こしたテロ行為である。周囲の共感を得てそれを力とすることが出来れば、それが最も手っ取り早い。
■無敵の人
―――明日は我が身
一般的にニュースになるような無敵の人の事件は一見衝撃的だが、塵が積もってそうなるのであれば内心他人事とは思えない。ストレスが溜まったとき、不安が募ったときなどのネガティブな精神状態の場合、どこか精神的な安らぎや安定を求めるが、もしそれがなければ気持ちの矛先が突発的な行動に向く恐れがある。
たとえば、ストレス解消のためにいつも通っていた店や愚痴を言っていた友人などの拠り所を無くした場合、不安定を埋める要因が消えて積もるため、不安が溢れて精神を保てなくなってしまう。友人や家族、貯金や趣味などの衣食住とは直接的に関係のない要因が生きる糧として存在している場合が多いため、酒や煙草で寿命を縮めてもなお明日を生きるために必要であればそれを絶って大事に至るよりはましなのだ。
―――自分の立場が落ちた時、その発言の矛先は自分に向く
―――景気が悪ければ治安が悪くなり、無敵の人が生まれる
―――失うものがない人は目的も目標もない、唯一自身のコンプレックスに対する反動・反逆として短絡的な発想が事件を引き起こす
下記は「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人による意見陳述の一部である。かなり詳細に事細かく述べられているので経緯や心境がわかりやすい。全文を読むと、幼少の頃からいじめや家庭環境に問題があったことが伺える。ここから、世の中のSNSでの著名人に対するバッシングなどの行為もこれに起因するのではないかと推察でき、本人から被害を受けたことも面識もないが、そういった有名人を手玉に取って一連のイベントごとを中断させることをゲーム感覚で行い、それを達成した達成感と自負心で何とか己の自我を保とうとしているということだ。
―――無敵の人を生み出さない社会
―――貧乏は敵
価値観
―――継承される価値観、歴史は繰り返される
―――宗教的価値観の創り方
■生存者バイアスと外的コントロール
■ダブル・スタンダード、マッチポンプ
―――すべての人から納得を得るのは不可能
―――根底にあるNIMBY(ニンビー)の考え
―――複数の価値観が入り乱れる世の中に、気にし過ぎる程正解は一つに定まらない
関連・参考文献