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なぜ人はマウントを取るのか?【生き方のコツ】


自己中心的

―――自己中心的に解釈しがちな潜在的な先入観

人は自身の先入観を裏付ける証拠を探し求める傾向があり、自分の仮説に反するかもしれないデータは無視しがちだ。データがどのようにつくられたのかに関する重要な側面には目を向けない。より一般的には、たとえ最も重要なデータが欠けていても、目の前にあるデータを重視してしまう。ノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンが言ったように、「自分が見たものがすべて」になりがちなのだ。

相関関係と因果関係を混同して、誤った意思決定を下していないか

討論番組やディベートの場ではよく見受けられるのが、論点のすり替えだ。問題の解決に向けて正解に近い結論を出そうと批判や賛同を繰り返すが、自分の提案が否定され、その否定した相手に対して自分が否定された気になり、相手の意見を如何にしてこき下ろすかというような進行に変わる場合がよくある。また、自分の思想を売り物にしている有識者・文化人などのエキスパートは、売り物に傷を付けまいと、徹底して意見を揺るがない。否が応でも「自分は間違っていなかったんだ」ということを認めたく、それが表面的に覆されるときに、防衛反応として相手を否定・マウントを取るといったロジックだろう。

"プライドの高い人”とは、一般的に自己評価の低い人である。だから、他人からの評価によって傷つくのである。逆にいえば、他人からの評価によって揺らぐような低い自己評価所持者が「プライドの高い人」と周囲から認識されることになる。

中井久夫「世に棲む患者」

誰にでも嫌いな人というのがいます。私の場合はおおむね、人を見下す人間が該当します。 本人に理屈があってこき下ろしているのなら、「見下してる」とは感じません、でも「批判する理屈さえ持たずに」こき下ろすのは、本人が気持ち良いだけで、そばにいて嫌な気分になるだけです。  よくあるのが、最初は論理的に非難していたのが、途中から攻撃する根拠が曖昧になり、過去の事やら、「嫌いだった」とかに論点のすり替えを行い、なおも続けようとする人。わたしは恥の上塗りと思っています。

見苦しいひと: オタク商品研究所plus

―――独りになり過ぎると行動が短絡的に、批判的になる

―――他責思考で自分は間違っていないと信じて身を守る

―――マウントが己を不幸にする

「他人との関係で自分が常に『上』で、相手が『下』だと信じて疑わない人は、『下』の人間が自分より得をしている場面に出くわすと発作を起こすように攻撃的な感情を抱いてしまうことがあります。平等意識も同じ構図です。みんな平等だと思っているかもしれませんが、この世の中で何から何まで全員が平等なんてあり得ないですよね」

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く

「宗教には、ある超越的な存在と出会うことによって自己の有限性を知り、自己を相対化させる機能があります。ところが、宗教が弱体化している現代において、人間は自己絶対化の度合いを増します。さらに、テクノロジーの進化でこれまで制御できなかったものを人間が制御し始めると、人間の絶対化は進みます」
 技術の進歩で得た万能感が「自分中心の心」を生み、かえって人間を苦しめているのだ。

「他人の得が許せない」人々が増加中 心に潜む「苦しみ」を読み解く

自分の価値観が揺るがないものであるという考えやそれに類する井の中の蛙的な思考は、ポリシーやこだわりが強い、翻ってプライドが高いと見られる場合がある。頑固者・堅物であるという厄介者だ。
この様な己の保身のため及び自我を保つための独占的な考え方は、己の身をも危ぶむ。その考えに雁字搦めとなり、己自信が苦しむのだ。

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―――"上"を見ると自身が惨めに思えてくるのが人間

上記Tweetは下記Tweetのリプライである。たとえば、皆が楽しそうにしている中で自分だけが楽しくないときには不公平感を感じるものだが、そういった不公平を感じる人の感情を無視して「それでも楽しんでる人がいるんだから嫌な顔するな」というのは難しいものだ。良い言い方に聞こえるが、実際には一部の人を犠牲にしているわけで、トロッコ問題においてどちらを選んでも犠牲が出るのと同様、正しいものとして声を大にして言うべきものではないのである。

批判

クレームをつけると自分が偉くなったように錯覚する症候群

【悲報】 クレーマー「駅員が仕事中に水を飲むとは何事か!」 JR「スミマセンスミマセン・・・」

―――批判の起こるメカニズム

近年ではSNSで主語はないが"自分に身に覚えある悪口"が目に入り、自分が批判されている錯覚に陥るという弊害もある。

批判

―――人はネガティブな情報に敏感

上記の図のようにネガティブな情報の方に意識が持っていかれるのはネガティビティバイアスによるものだ。

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ネガティビティバイアスは、大昔ヒトが生きていくためにさまざまなリスクを回避するために進化の過程で身につけたものではないかといわれています。生物が生き抜くために目の前のリスクやトラブルに注意を向けることが重要だからです。

ネガティビティバイアスとは?悪いことや辛い経験にとらわれないために

米国の心理学者ダニエル・カーネマン氏らは、ネガティブな変化に敏感な人の性質がさまざまな経済行動に影響を与えていることを明らかにし、2002年のノーベル経済学賞を受賞しています。長い人類の進化の過程で、ヒトの脳が「ネガティビティバイアス」を進化させてきたのは、不定期にふり掛かってくるさまざまな危険から身を守るためには「必然」だったともいえるでしょう。

ネガティビティバイアスとは?悪いことや辛い経験にとらわれないために

―――その発言、リアルでも同じように言えるか?

下記はバーナム効果の良い例である。自分だけに当てはまるように思えるが実際は他の人にも当てはまってしまう良い例だ。逆に言えば、自分のことについての発言でなくても見覚えがあれば自分が批判されていると錯覚してしまうのである。

164 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2012/02/19(日) 05:12:57.01 ID:OnoLqQZK0「個性的」なのに「自分がない」
「神経質」なのに「ミスが多い」
「目立たない」のに「悪目立ちする」
「自分に自信がない」のに「プライドが高い」
「他人にやたら気を遣う」のに「空気が読めない」
「自分を良く見せようとしない」のに「自意識過剰」
「マジメだけが取り得」なのに「それほどマジメじゃない」
「褒めて伸びるタイプ」なのに「褒められても伸びない」
「趣味に生きるタイプ」なのに「誇れるような趣味がない」
「独りでいる方が気楽」なのに「ハブられるのはイヤ」
「他人を笑わせることは苦手」なのに「よく他人から笑われる」
「美人・イケメンが好き」なのに「美人・イケメンが苦手」
「平和主義者」なのに「トラブルメーカー」
「他人の気持ちに鈍感」なのに「他人の悪意に敏感」
「考え込むことが多い」のに「考えることが苦手」
「ミスを深く反省する」のに「同じミスを繰り返す」
「忘れっぽい」のに「イヤな思い出は忘れられない」
「疑り深い」のに「騙されやすい」
「フケている」のに「ガキっぽい」
「外見至上主義に否定的」なのに「面食い」
「妥協してばかり」なのに「恋愛・結婚は妥協したくない」
「リア充になりたい」のに「リア充が嫌い」
「波乱万丈な半生だった」のに「逆境に弱い」
「人生に絶望している」のに「今すぐには死にたくない」
166 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 05:18:07.45 ID:ant4FyhM0»164
9割当てはまってワロタ
こういう無能ってどう生きていけばいいのか・・・
169 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 05:23:56.74 ID:qxrWa60B0»166
ほぼすべての人が半分くらいは当てはまる
占い師と一緒

VIPPERな俺 : ガチでコミュ障にありがちなこと

―――悪い情報は他人を焚き付ける中毒性がある

―――批判のために「良かれと思って…」と相手に罪悪感を与える

「この程度の人だったのか~」とガッカリしてみせる人って、最初から「ガッカリするポイントはないか?」と意気込んで読んでる。本当はファンではなくて、ダメージを与えるために「好きだった」過去を捏造する。

はてなブックマーク - Twitterの発言で気をつけたいこと:ITと人間の意外な関係 - CNET Japan

―――相手の印象を悪くさせ、支持をこちらに誘導させる

ちょうど、テレビで予算委員会の様子が流れていて、母が菅首相に「そんな答弁だから伝わらないんですよ」と批判している姿が映りました。コロナの危機に面したこの状況でも、政治家は言葉尻を捉えるような揚げ足取りをしていて、ベクトルは選挙にしか向いてないのだなと憤りを感じました。いうなれば、小学校のホームルームの時間に「○○くんがこんな悪い事していました。謝ってくださーい!」というようなやりとりを、国を背負っている議員が国会でやっているのが、もうどうしようもないなと。 こういう話をすると「お前の母親がいつもやっている事だろ!」とSNSなどで批判されてしまうのですが、それは母に直接言ってほしい。

蓮舫氏の息子でアイドル・村田琳が告白 「母との決別宣言」をした理由 (1/5) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

―――自らは行動せず、他人を批判する人々

下記は杉良太郎氏が被災地にて炊き出しをした際に、レポーターから「売名ですか?」と訊かれたエピソードが語り草となっている。このエピソードに限らず、金を持っていれば「寄付しろ」という声が上がるのを目にすることは少なくない。

――東日本大震災の後、トラック20台分の支援物資を集め、被災地で炊き出しをされました。メディアから「売名ですか?」と聞かれた時のエピソードは、いまだに語り草になっています。
カレーを温めてる時に、「杉さん、杉さん」と聞こえて。ふっと顔を上げたら、テレビカメラがあって、リポーターに言われた。「それってやっぱり売名ですか?」って。
「もちろん売名だよ。売名に決まってるじゃないか」ってすぐに返した。これまでずっとついて回った言葉だし、私自身もう慣れっ子になっていたので。
本当は相手にしない方がいいんだけど、売り言葉に買い言葉で。まあ、修行が足りないね。
――最高の啖呵ですね。
いや、私にとっては普通なんです。外務省の高官にも言われたことあるし。「売名ですか」って。
その時も同じことを言った。「もちろん売名です。でも、ひとつ付け加えていいですか」と。
「私はいままで、これだけのことをやってきました。あなた、私がやってきたこと全部やってから、もういっぺん同じ質問をしてくれますか」。そう言ったら黙っちゃった。

「もちろん売名だよ」杉良太郎の痛快すぎる福祉論 - BuzzFeed

ダルビッシュ選手はTwitterでのレスバトルに定評があり、メンタルや気構えに見習いたいものがある。

――会ったことのない人を親密な関係だと誤解する ~パラソーシャル相互作用~

視聴者や消費者と、スター、俳優、モデル、クリエイター、インフルエンサーなど、表に顔を出しているものの従来の方法では交流をしていない人との関係のことです。
そこには親密だという幻想(勘違い)があります。
1950年代、WohlとHortonが最初にこの行動に気づいた時、この関係はほとんどが視聴者とテレビの中のスターとの関わりでした。
最近は、パラソーシャル関係を築きやすい人たちを見かけるプラットフォームがたくさんあります。
超親近感のあるインフルエンサーが、自分のことを本当に理解してくれていると感じているかもしれません。
インフルエンサーの毎日の投稿を見て、その人の大好きな趣味や料理を知り、その人が同じ洋服をどの程度着回しているかに気づき、その人の子どもの名前も覚えているかもしれません。
しかし、そのインフルエンサーはあなたの情報は知らないのです。どんなに親近感を持っていても、それは一方通行です。

なぜ会ったこともない人を、SNSで批判してしまうのか? ライフハッカー[日本版]

■正義中毒

人が虎を殺そうとする場合には、人はそれをスポーツだといい、
虎が人を殺そうとする場合には、人はそれを獰猛だという。
罪悪と正義の区別も、まあそんなものだ。 バーナード・ショー

名言::名言集.com - Meigensyu.com

コロナ禍の緊急事態宣言下、正義を笠に着て運営している個人店などに器物破損や名誉棄損にあたる行為が一時問題となった。"自粛警察"と揶揄されたが、自らも外出をしていることについては棚に上げ、他人を批判しているのが印象的だった。

確かに緊急事態宣言初期に皆が一丸になって外出を控えている時期に出歩く人というのは気に食わないだろう。そのフラストレーションが募ってか、出歩く人を敵視する風潮が起こるが、第三者から見れば批判している自分自身も出歩く人であり、相互に心中批判しながら人々が街中を歩くという不可解な期間だったことも否めない。反動で解除後は感染者が増大し、自粛要請を再三繰り返す形となった。ただ、一方的な正義を人に押し付け、それを武器として事情を知らずに相手を批判する人が一定数いることは肝に銘じておきたい。

☟公正世界仮説とは、人間の行いに対して公正な結果が返ってくるものであると考える認知バイアスのことだ。詳しくは下記リンクを参照。

―――正義中毒、批判には中毒性がある

世間は、昔、円谷幸吉を殺した。「ハゲタカと少女」を撮影したケビン・カーターを殺した。そして、無名のたくさんの父や母や子供達を殺している。無神経な正義感や、無責任な正論を振りかざすことによって。

影のおちる時間 - 風

―――盲目的な正義感に振り回されて本質を損なう

276 名前: セントーン(茸)@\(^o^)/ 2016/03/04(金) 19:50:59.97 ID:mWYfQ6GJ0.net
>>8
彼らのいう反レイシズムとは「みんな仲良くしよう」ではなく、
「レイシスト死ね」である
なお、レイシストになる基準は彼らに決められる模様
279 名前: ミドルキック(茸)@\(^o^)/ 2016/03/04(金) 20:11:48.04 ID:jHOBuoeQ0.net
>>8
自分達を批判する奴はみんなレイシスト
こんなスタンスだから誰も共感しないんだよ。それに気付いてないで顔真っ赤の時点で思考停止してるわ

ゴタゴタシタニュース : 五寸釘ほなみさん「『日本死ね』って、こんな国はもう終わらせようってこと」

―――誰もが自分の非を責められるのは苦しい、故に正しいという立場によって正論で相手を殴る

―――自分に嘘をついてい生きるのは苦痛、故に複雑な物事にピリオドを打って早く楽になりたい

■自己矛盾

―――人は自己矛盾に気付かずに他人を批判する

―――メタ認知の低下、自己防衛のための解離

メタ認知とは、自己の思考・感情などの状態を客観視できる能力のことだ。

もしあなたが訓練を怠り、メタ認知能力が低いままになってしまった場合、今後どんなデメリットが出てくるでしょうか。メタ認知が働かない人は、「自分のことを知りたくない」と考える傾向があります。
たとえば、「自分はマイナス思考になりがちだ」と理解できていて、
・それがなんだ、他人には関係ない
・もっとひどい人だっている
などと考え、自分の欠点を受け入れることができなくなってしまうのです。このような場合、人からアドバイスをもらっても聞く耳を持たず、ひどい場合には「自分はこういう人間だから」と開き直ってしまうでしょう。
また、そもそも自分のことを自分で知ろうとせず、「自分のことを理解してくれない周囲の人間が悪い」という考えに至る場合もあります。
メタ認知能力が低いと、自分で自分の成長の機会を絶ってしまったり、他人に迷惑をかけてしまったりすることになるのです。

【メタって何?】メタ認知とは? 意味、2つの鍛え方 - カオナビ

―――自己矛盾との葛藤

■コンプレックス

アルバイトやコンビニ店員に偉そうにする年配者、陰謀論を盲信して周囲に勧める人、わざと小難しい言葉を使って知的なアピールをする人、またそれらの人を嘲て馬鹿にする人など、それらは自分のコンプレックスから他人を批判すること、また他人よりも自分の方が優れている立派な人間だと誇示することで自身のアイデンティティを認めているのだと考えられる。

―――相手に持っていないものを持っている自負心を笠に着て自尊心を保とうとする

持つ者が持たざる者を叩く。その持つ者が叩く理由は自分の別のコンプレックスを隠すためであり、そのコンプレックスさえ、別の理由をつけて他者を持たざる者としてまた叩く。

―――自分が抱えるコンプレックスが飽和状態な故に自身の過ちを認められない

―――メサイア・コンプレックス

メサイアコンプレックスとは無意識のうちに誰かの救世主となることで、自己肯定感の低さ、罪悪感、劣等感、無価値観を払拭しようとする心理状態のことを指しますが、他者の課題に介入しようとすることでトラブルを引き起こしやすいため、認知のゆがみを本人が自覚すること、そして周囲は無理に説得しないことが大切です。

メサイアコンプレックスとは?対人援助職の人たちが陥りやすい心理状態について詳しく解説

下記のnoteでも触れているが、誰かに頼らないと不安で生きていけない人と誰かに頼られないと不安で生きていけない人が上手く結びついて相互扶助になっているカップルのような共依存の関係、無意識下でもその人の存在によって自身が保たれている状態は、双方に問題があると言っても過言ではない。
頼られるの関係によって自分はこれだけ優れている、価値があると思いたいが故に、誰かを批判すること、そしてそれによって相手に自身の過ちを認めさせることで自身の存在意義を確かめようとしている。こういったタイプの人は孤独を恐れ、誰かに必要とされたり求められたりすることで充実感を得て、他社を批判することで自身の精神の安定を図っている。

―――コンプレックス広告に批判殺到

少し前に、品川駅のディスプレイ広告「今日の仕事は、楽しみですか。」は炎上騒ぎとなった。個人的になぜこれが批判されるかは「そんな訳ないだろ」という読み手の心理を逆なでするものであるからだと思われる。ただ、実際は広告の一部のフレーズが切り取られて解釈されたことでこのような騒ぎになったようだ。

全体文を見て要約すると「仕事楽しくないだろうからこちらで改善の手助けしてあげますよ」というものだ。ターゲット層は上昇志向を持つ意識の高い人間で、そのコンプレックスを刺激しているのだ。上野クリニックの広告とそう変わりはない。

自己肯定感

じ‐しん【自信】
 〘名〙 自分の能力・価値や自分の言行の正しさなどをみずから信じること。また、その気持ち。

じ‐しん【自信】 - 広辞苑無料検索 明鏡国語辞典 - Sora

そもそも劣等感とは、縦の関係の中から生じてくる意識です。あらゆる人に対して「同じではないけれど対等」という横の関係を築くことができれば、劣等コンプレックスが生まれる余地はなくなります。

岸見 一郎「嫌われる勇気」

下記記事が自己を認められない人の一例として、他人からの賞賛を素直に受け取れないといった特徴を取り上げている。
→腹の内では馬鹿にしているんだろという疑い
→おだてて利用しようとしてるのではという疑い
→自己評価では完全に納得できるほどではないという意識の高さ
といったパターンが考え付くが、時に謙虚も無礼であるということだろう。というより、そもそもこれは謙虚に偽装した、保守的なエゴイズムとも受け取れないでもない。

周囲の意見(マスメディア含む求める人物像や風潮など)や自分より優れた人を見て、劣等感から自己肯定感が育まれずにネガティブ思考になってしまう。あるいは理想やプライドが高くなりすぎてしまうというのは、自己が過度な完璧主義とも言える状況に陥っており、悪く言えば周囲の意見に流され、影響されて自分の意見や自由さを失っていると捉えられる。

「権力志向」と聞くと、強い上昇志向のある人間を思い浮かべるかもしれませんが、実は、そんなことはありません。権力で自己防衛しようとする人は、自分の立場が相手よりも下になると、自分は攻撃されて傷つけられてしまうという、行き過ぎた不安を抱えている人なのです。
このような人たちは、子どものころに「親の言いなりになるしかない」と何度も感じた経験から、いつでも「相手は自分よりも権限を持っていて、自分を支配する存在」だと認識しています。決して、自分がすぐれていると思って威張ろうとしているわけではありません。ただ、支配的だと感じられる相手に対して引き下がるのではなく抵抗しているだけで、抵抗することで相手よりも優位に立って、自分を守ろうとしているのです。

「自己肯定感の低い人」が結構している陰湿な攻撃 - 東洋経済ONLINE

―――パワハラ・モラハラをする人の心理

主に、プライドが高い人は得てして自分に自信のない人である場合が多い。ただ、大抵多くの人は自分に満足できずに自信を保持し続けるのが難しいという人が多いため、自信に満ち溢れていて幸せそうな人が自身の脅威の対象となってしまい、防衛機制によって非難を浴びせたり、強く当たってしまうという行動に出ることがある。

イルゴイエンヌによれば、モラハラの加害者は「自己愛的な変質者」に多く見られるという。賞賛を求め、自分が優れた人間だと感じたいがために、他人に対する評価を貶める。自分の優越感を支えるために、絶えず身近な弱い人を否定しつづけ、組織の中にスケープゴートを作りたがる。平気で他人を利用し、他人が苦しんでいても同情を感じない。

繰り返す「否定」で相手を支配する「モラルハラスメント」の恐怖

パワハラ・モラハラ気質のある人、および虐待やいじめを行う傾向にある人は、自身の過去(幼少期の経験、主に家庭環境など)に起因する場合が多い。

相手に対して執拗に誹謗中傷することで、自身の過去を含めて自己肯定しようと働きかけているに過ぎない。言い換えれば、相手の中に自身のコンプレックスを見出す事で苦しくなり、その相手を責めることで自分をコンプレックスから遠ざけ、離れた存在にしようと逃げているのである。自身の叶えられなかった人生を子供に背負わせ、代行してもらうことでコンプレックスを解消しようとする親も同義である。

―――無知の知

「努力はしないが、ばかにはされたくない」という歪んだプライドを、無教養と貧困とともに親から受け継ぐ。

トランプの強い支持層である白人労働者階級「ヒルビリー」を鮮やかに描くメモワール Hillbilly Elegy | 洋書ファンクラブ

各々、年齢及び経験・キャリアなど自身が通ってきた道があり、その道を通て来たものの得られなかった悔しさや別の道を歩みたいと思っていたものの路線変更せずに来てしまった悔しさなどの感情、ひいては単に自身の努力不足による後悔を酸っぱい葡萄をもってして棚に上げ、他人を否定するという防衛本能が働く。
批判をする本人も自信が間違っていることにうすうす気づいていようとも、自身を正当化したいがために自己洗脳によって信じて疑わず、自身に嘘をついて生きている。こうなると思考が硬直化し、もう思考の変化を要するのに変わるきっかけさえ失ってしまうのだ。後悔後に立たずの状況を飲み込み、受け入れ、その上でまっとうに変化に向けて試行錯誤するのが良い。

■競争社会

―――はじき出されると居場所がないような世の中に

たとえば、企業で終身雇用で働くとすると、組織内で昇格していく上では手柄となる事象が必要になる。そうすると他人のふんどしで相撲を取ったり、不正に申告したり、隠蔽するという手段も発生してくる。その上で「自分はアイツより勝っている」と感じ、アピールしたいがためにマウントを取ること、自身が優位な立場に立とうとするのは自然な流れだ。そのためには重箱の隅を楊枝でほじくるような揚げ足取りさえいとわず、それでありながら社会通念上、皆が平和で仲が良いように振舞う苦しさが広がるのだ。

―――スケープゴートが作られるのは一番簡単に社会、組織を統制できるから

■指揮者はなぜ必要か


指揮者がいないと
金管:木管氏ね
木管:弦氏ね
弦楽器:打楽器氏ね
打楽器:金管氏ね

指揮者がいると
金管:指揮者氏ね
木管:指揮者氏ね
弦楽器:指揮者氏ね
打楽器:指揮者氏ね

コピペ辞書 - 指揮者はなぜ必要か - ライブドアブログ

組織をまとめる際に、スケープゴートとなる存在がいれば共通敵が出来上がるのでそれ以外の人間の結束力が高まるというものがある。
通常、ライバル視というのはお互いが各々自分の持ち味や良さを伸ばすために切磋琢磨していくことであって足の引っ張り合いではないが、世の中早々実力のある人間は少ないため、互いに貶め合う結果になってしまう。エンタメにおいても、対バンやラップバトルで相手の機材を破壊したり演奏を妨害することはしいない。ただ組織の中で比較や序列が発生するため、少しでも自分が優位に立とうと揚げ足取りや重箱の隅をつつくようなことを言ってマウント合戦が繰り広げられてしまう。これらを防ぐのに、全員の意識を統制するために特定の対象をスケーブゴートとして被害を縮小化する事態が発生する。

教師をやってた頃、裏でいじめを煽動した。共通の敵がいれば人間は団結するっていうだろ?強気だけどやや浮いている子をスケープゴートにした。弱気な子と違って潰れにくいしな。貶したり濡れ衣を着せたりして、生徒たちにスケープゴートが下だと印象付ける。そうしたら勝手にいじめが始まるんだ。クラスや部活を受け持つたびに同じことをやったよ。一人の犠牲で全体がまとまるんだ。これほどおいしいことはなかったね。上からは指導力があると評価された。受け持った生徒は楽しいクラスだと言ってくれる。保護者からも担任になってほしい先生だと評判だった。スケープゴートから告発されかけた時も、上と生徒と保護者がスクラム組んで守ってくれた。私ほど教師に向いた人間はいなかったと確信する。

私ほど教師に向いた人間はいなかった - 続・妄想的日常

―――実力主義・成功主義に囚われる

下記はあくまでサンプル程度だが、ホフステード6次元モデルにおいて、日本の評価を調べたところ、非常に大きい値となっているのが「男らしさ(Masculinity)」だ。

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この次元のスコアが高い(男性型)場合、社会は競争、達成、成功によって動かされており、成功は勝者またはその分野でのベストによって定義される(この価値体系は学校で始まり、組織生活を通して継続する)。
この次元のスコアが低い(女性的)とは、社会で支配的な価値観が他者への配慮と生活の質であることを意味します。フェミニンな社会とは、クオリティ・オブ・ライフが成功の証であり、群衆から突出することが賞賛されない社会である。ここで根本的な問題は、「一番になりたい(男性型)」と「自分のやっていることが好き(女性型)」のどちらが人を動かすかということです。

Country Comparison - Hofstede Insights

―――個人の多様性を考えると衝突は必然

日々、これだけ好きなコトを追求していたら 攻撃性も高まって当然だなということが タモリさんの戦争論でハッキリわかりました。  好きなことがこれだけ多いってことは 絶対に譲れない価値観や妥協できない信念、 守りたいものがめっちゃあるってことですから。僕の好きなコトを否定する人はムカつくし、 僕の好きな人を脅かす人は許せないわけです。これって、人間として当たり前じゃないですか。

タモリさんの「戦争が無くならない理由」に鳥肌が止まらない | CHANGE THE CONSUL|常識にとらわれない次世代コンサルタントの生き方

―――自己評価の低い傾向

国立青少年教育進行機構が毎年、アメリカ、中国、韓国と共同で青少年の意識調査をしています。
各国の高校生1,500~2,500人合計で7,700人(2014年9月)にアンケート調査しました。
「人並み能力があると思いますか?」の設問に対して
肯定的な答えは                  
中国90% アメリカ88% 韓国69% 日本55%
「勉強が得意な方かですか?」
肯定的な答えは                 
アメリカ66% 中国65% 韓国32% 日本23%
「体力に自信がありますか?」
肯定的な答えは     
アメリカ78% 中国77% 韓国51% 日本43%
「自分がダメ人間だと思うことがありますか?」
そう思うと答えたのは   
日本72% 中国56% アメリカ43% 韓国36%

自己評価の低い日本人・どうして? | NOC 日本オーガニックコットン流通機

上記から、理想と現実とのギャップに苦しみ、精神的に苦しくなる人が多いのではないかという仮説を立てることができる。周囲あるいは自身で高すぎるハードルや障害を設け、乗り越えられないことによって挫折・無力感にさいなまれる。またそのハードルを越えるべきものだとして疑わず、耐えること苦しむことを美徳として誇るような刷り込みさえ感じられる。

―――集団主義・同調圧力は日本だけでない

 心理学には、この同調の程度を調べる有名な実験がある。アメリカの心理学者アッシュ(S. E. Asch)がおこなった実験である。この実験には、7名前後の人たちが被験者として一緒に参加し、線分の長さ判断という非常に簡単な課題をおこなう。この人たちのうち、本当の被験者は1人だけで、あとはみなサクラ(実験者の協力者)である。何回かの長さ判断で、サクラは、全員が一致して間違った答を言う。その答を聞いたあとで、ほんとうの被験者がサクラに同調して間違った答を言う割合を記録し、同調の程度を調べる。
  アメリカ人を対象とした実験は繰り返しおこなわれてきたが、同調の割合は、平均して25%ほどであった。一方、日本人を対象とした実験も幾つかおこなわれており、同調の割合は、平均して23%ほどであった。これは、「日本人はアメリカ人より集団主義的だ」という日本人論の主張を真っ向から否定する結果である。この事実は、高野陽太郎と纓坂英子が初めて指摘した(『心理学研究』1997; Asian Journal of Social Psychology, 1999, アジア社会心理学会 Misumi Award 受賞論文)。

『ウチ』への同調 日本人もアメリカ人と変わらず | 東京大学

「出る杭は打たれる」ということわざを挙げて、現代の日本の悪しき風潮であるように語られることは少なくないが、フィリピンにも同様の意味合いで「Crab mentality(カニ脳)」というものがある。

ウルフ氏によると、「カニ脳」は嫉妬・恥・悪意・不安・自尊心の低さ・自己批判・競争心など、さまざまな要因から生まれるとのことですが、とりわけ大きな原因は「誰かの成功や幸せが、何らかの形で自分の人生の喜びを吸い取ってしまうのではないか?」という発想です。この発想にとらわれてしまうと、自分より優秀で、恵まれていて、幸運な人と自分を常に比較してしまうようになり、最後には不平不満ばかり口にするようになってしまうとのこと。

GIGAZINE: 人の足を引っぱらずにはいられない心理「カニ脳」とは?

力のある者から評価されたり、目をかけられたりした人間は、必ず嫉妬される。それを避ける方法なんてないんだよ。
 嫉妬という感情は、嫉妬すべき対象があるから生まれるのではない。自分が評価されない原因が自分の努力不足にあると認めたくないから、「あいつは実力もないくせに」と誰かを貶め、仲間と悪口を言い合い、自分で自分をごまかす。これが嫉妬の正体だ。だとしたら、俺が嫉妬を買ったのは、実は俺のせいではなく、嫉妬する連中自身の問題なんだ。それゆえ、嫉妬している連中が、何クソと奮起して評価されない限り、嫉妬はなくならない。つまり、俺に解決できる問題ではないわけだ。
 俺が子供の頃、母親は常々「やきもちを焼くより、焼かれる男になりなさい」と言っていた。これは全く正しいね。やきもちを焼かれる人間というのは、努力し、結果を残そうとする人間ということだ。やきもちを焼くのは、自らは努力せず、他人の努力を貶める下品な人間だ。

乗り移り人生相談:【145】「ほかの女と遊んでいいのよ」などと言う女が一番危ない | BPnetビズカレッジ | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉

―――カーストを想起させる不安が人を貶める

店長はこの住宅街は主婦間のコミュニティが大きいため、主婦に嫌われる事による利益現象>俺に嫌われる利益現象と判断、俺を悪者扱いしたんだとか。
俺が買い物のたびに睨みつけていた為恐いのと罪悪感とでやっと俺に言う気になったんだとか。

泥ママ「この本はうちの!」→俺「いや俺が買った物だ」 監視カメラを確認した店長「泥ママさんのです」→俺「馬鹿な!」 : かぞくちゃんねる

―――生贄を捧げる統治はマネジメント力皆無の現れ

―――嫌われる、底辺になることへの恐怖。

わたくし以前からプライド高いチキンマンだったので基本的に「恥をかきたくない」「嫌な思いをしたくない」「自分が相手より下だと思われたくない」「一人でも生きていく」とかそういうのを基準にしてたわけです。つまり「格好良い自分でありたい」と思ってた。

クズがプライド捨てたら選択肢が増えた話 プライドの捨て方 : まじめ系クズの日常

嫌われるのが怖くて、自分を偽ってその人に気に入られようとすれば、ほとんど必ずといっていいほど、その人への憎しみを持つようになる。少しずつ気がつかないうちに、心の底にものすごい敵意が蓄積されることになる。
彼らはたえず他人に好印象を与えないと、人に見下されるのではないかと恐れる。人に見下されることを恐れている者は、自身が心のどこかで人を見下してやろうと思っているからである。自分のなかにある「人を見下そうという感情」が抑圧される。そしてその抑圧された感情が他人に投影される。

「他人を見下したがる人」が最も恐れているものの正体

―――他人を見下すことで自分が底辺ではないと自覚して安心する

昇進をめぐる争いというと階層の上のほうで起きることと思われがちですが、底辺でも起きます。最下層の確認をするためです。階層の末端にいるチンパンジーは、いつも「おこぼれちょうだい」の身分で、食料不足になればまっさきに餓死してしまいます。末端にいることの危険性は大きいのです。人間社会で死に直面することはあまりありませんが、それでも末端にいることの不安は少なくないでしょう。
そこで人間も、自分よりも下の人間を作ることで精神的安定を求めるのです。マウントで上位を表現し、それが受け入れられたら「自分は底辺ではない」という安心が湧き上がってくるのです。これが高じて暴力が伴うと、"いじめ"になります。

「いつもマウントをとりたがる人」が恐怖しているものの“正体

人々はスケープゴートを作ることで、己の罪から安全地帯へと逃れて生きてきた歴史は過去からも伺える。日本でも穢多・非人のヒエラルキーがあり、ヨーロッパでは魔女狩り。またナチス・ドイツはユダヤ人のホロコーストなどがあった。仮想敵に仕立て上げて集団で非難することで自分側は安全圏となるわけである。これらの原因としては、宗教上の摩擦や政治的な理由とされているが、共通して言えるのはこれらの者はマイノリティにあたるもので強い力を持つ者ではない。これらについて関連文献を調べると、社会的に没落した者(犯罪や自殺未遂など)や貧しく教養がなく、身寄りの少ない者などが見受けられた。

―――周囲の目を気にし過ぎる程己の身を案じる

自己愛性人格障害の被害妄想は周囲を傷つけたり、周囲との人間関係を破壊したり、トラブルを起こすこと以外にも問題点があります。それは、当人が「常に人から見られている」、「周囲の人から嫉妬されている」と思い込むがことで、神経質になりすぎることや、気持が落ち着かないということでイライラしてしまうことがあります。特に、自分の思うようにならない時は、八つ当たりをすることで発散することもあります。
被害妄想がエスカレートすると、周囲が自分を陥れようとしている、近隣の人に監視されていると思うことで自分自身が苦しくて辛くて行き場のない想いに駆られてしまいます。自己愛性人格障害者は、自分が好きであり、大切であるのですが、一方、精神的には幼くて脆くて崩れやすいという一面を持ちます。

自己愛性人格障害の被害妄想

―――神と無宗教、「場」に裁かれない考え方

下記記事では、日本人選手から見た海外の選手が、なぜ堂々としていてメンタルが大きく見えるのかについて、宗教・信仰による影響が大きいとしている。習慣としてどんな場合でも、審判は神にしか下せないと捉えているのだ。

たとえば、決定的なシュートを外したとき、パスミスをしたとき。
 僕たち日本人の多くは「味方に謝る」ことを選択します。そうした日本人選手の姿は、すぐに思い浮かぶのではないでしょうか。
(省略)
 ここで考えたいのは、この時に僕たちを裁いているのが「場」である、という点です。周囲に対して謝る、の周囲とは監督でありチームメイトですが、実は日本人的な「場」を形成するのは個人ではなく「空気」です。僕たちのミスを裁くのは、名前を持つ個人ではなく、その総体である「場の空気」であることが多い。
 対比して、一人の神を信仰する「一神教徒(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)」の人たちを観察していると、彼らは決定的なミスの直後でも、すぐに味方に謝ったり、自分の失敗であることをすすんで表明したりはしません。
 では、どうするのか。彼らはまず、神様と対話します。キリスト教徒であれば、十字を切る。自分の第一感情が向かうのは、周囲や、場ではありません。もちろん空気でもありません。そこにはまず、自分と神様がいて、他者が入る余地はありません(僕自身が信仰を持つわけではないので正確な心象描写はできませんが)。

なぜ「ミスしても味方に謝らない」のか…「神」と海外選手の真の関係性とは【サラーの祈り】

 僕があるクラブで一緒にプレーしたブラジル人は、どんなビッグチャンスでシュートを外しても、それが僕のアシスト未遂だったとしても、決して、断じて、頑なに、こちらに謝らず、まずは空を見上げて神様と対話をし、十字を切り、それが終わると思い出したようにこちらを向いて、ゴールを決めたのかと勘違いするほどのドヤ顔でグーサイン(+拍手)を送ってくるのでした。「いや、決めろよ」と毎回思うのですが、僕が気づいたのは、「だから毎回同じテンションでパスを要求できるのではないか?」ということでした。
 おそらく、彼は場に裁かれていません。つまり自己評価や自己記述が、ほとんど「自分と神様の間」で行われるので、自信のボリュームは周囲から影響を受けず、ミスによって大きく変動しません。「俺に寄越せ」「俺が試合を決めてやる」という決意は、調整せずとも常駐していて、その思考態度は(一見すると傲慢に映ることもありますが)「揺らぎのなさ」に繋がります。外しても、外しても「俺に寄越せ」の温度が変動しないのです。
 もちろん、その後に本当に結果を出すかは個人の実力ですが、結果を導くまでの内省の過程として、この「揺らがない」ことと「信仰がある」ことには相関があるように思えてなりません。

なぜ「ミスしても味方に謝らない」のか…「神」と海外選手の真の関係性とは【サラーの祈り】

 日本でいう自信や決意は場と連動して変化しており、例えば一度ミスをした後のプレーでは同じようにボールを呼び込めないという光景も度々目にしました。ここでの場とは空気であり、空気とは行間であり、行間とは大抵の場合「何が言われたか」ではなく「何を言われなかったか」を指します。
 そうした行間を読み合うことで、言われなくても自分のミスを過敏に感じ取り、多くを汲み取り、範疇外のミスの責任まで自分のものとして処理しようとしてしまう。だから自信や決意は常駐するものではなく、場との関係性で変形していきます。そこに神様は登場しません。
 そして、日本において、行間を読めない(あえて読まない)人材、あるいは確固たる自信や信念を持っている人の態度は、「不遜」や「傲慢」と言うように形容されるので、僕たちは「堂々としている」ことを躊躇してしまいます。出る杭は打たれる、で表されるように、自己主張の強い人間は、空気を利用した疎外によって、やんわりと場外に退場させられます。

なぜ「ミスしても味方に謝らない」のか…「神」と海外選手の真の関係性とは【サラーの祈り】

―――根底にある儒教の考え方

―――人間誰しも叩けばホコリが出るし、各々十字架を背負って生きているが、それを露骨に示すのは野暮

人間関係において、どんなに完ぺきに見えるような人でも弱みは必ずある。八方美人が嫌われる原理と同様で、完璧な人間という矛盾した言葉を分解すると、腹の底ではどす黒い企みを持っているのでは、汚い手を使っているのではという疑念が沸く。かくして、欠点を見出そうと粗探しすることで自分と同様に落ち度のある人間だと納得したい心理が働き、敢えて自分が汚い姿を晒すことで相手にも同様に腹の内を見せて欲しい、相手の弱い一面を見て自分を納得させたいという欲が表面に現れるのだ。実際、相手と距離を詰める際にはどす黒い話題が手っ取り早いケースは多い。それと同時に相手を見極めるフィルターにもなるのだ。

―――己を俯瞰で眺める

孤独癖にも難儀なところがあって、それは、自分と違い、「えー?」「うそー?」「まじー?」などと、いかにも親しげな雰囲気を放ち、笑いを絶やさず話している若者などを往来や電車で見かけると、どうしようもなく苛立つ、という点である。ただの嫉妬と言われればそれまでだが、その一言ですまされるのは何とも業腹だ、などと考えていて、はたと気付いたことがある。自分が苛立つ、親しげに話している若者の表情が、自分の職場、田町近辺で目にするサラリーマンの表情と全く同じだったのだ。
なるほど、と自分は勝手に得心した。周りに放たれるほどの「親しげな雰囲気」は、過剰なのだ。自分は本当にこの仲間の一員であるか、いや実のところ一員でなどいたくない気持ちもある、実際のところ利害関係のために付き合っているだけだ、といった本音を隠すために、そういう集団の人々は、親しげな雰囲気を過剰に放出し、常に笑いを絶やさずにいなければならないのだ。その過剰さ、わざとらしさに自分は苛立つわけで、自分の苛立ちは故なきことではなかったのだ。

大宮、大船、大井町: 過剰な人間関係

■嫉妬

―――嫉妬は根源的なもの

赤ちゃんを対象にした実験があるんですが、お母さんが赤ちゃん以外のものに視線を向けたとします。それが本なら、赤ちゃんは何も思いません。ですが自分と似た形の人形だと、赤ちゃんは嫉妬するんですね。赤ちゃんレベルでも起こることなんです。「嫉妬は不安の発展形」で、「妬みは苦痛と同ジャンル」だと思っていただければ。

友達のフェイスブックにイライラするのはなぜ? 脳科学者と心理学者が解説する「嫉妬」と「妬み」の正体|ウートピ

―――他人の不幸は蜜の味

他人が不幸に見舞われたときに生じる喜びや快感といった、シャーデンフロイデ(黒い喜び)と呼ばれる感情がある。自尊心の低さや自信のなさに苦しむ人及びほとんどの人が抱く感情であり、いたって正常である。一方でフロイデンフロイデという、他人の成功から喜びや快感を得るといった感情もあるが、うつ傾向のある人にはあまり沸かない感情だという。

この感情に対しては科学的に傾向が認められている。心理学の研究にも利用され、MRIで脳などの活動を血液の流れから視覚化する「fMRI」を用いて実験された結果が下記引用、もとい記事の内容である。

相手が、不幸に見舞われたとき、人は同情してあげられるでしょうか。
・一郎の高級外車は故障ばかりします。昨夜、高級フレンチで外食して食中毒になりました
・並子の中古の軽自動車は故障ばかりします。昨夜カップラーメンを食べてお腹を壊しました
一郎の不幸を見たときに、被験者(主人公)の脳で活動した領域は、脳の深い部分にある線条体という部分でした。線条体はおいしい食べ物やお金を得たときに報酬に反応する報酬系という部位です。一方、並子の不幸を見たときには、線条体は活動しませんでした。かわいそうですからね。
妬ましい他人に不幸が起こった場合には、前部帯状回の心の痛みがやわらぎ、それと同時においしい食べ物やお金を得たときのように、無意識に自然と喜びが湧き上がってくるのです。これは、理性を司る部位よりもずっと深い部分にあり、無意識的に喜びが沸き上がるため理性による制御は難しいです。本能的な反応と言えます。

「他人の不幸は蜜の味」は科学的証明済み

道理

―――正直者が馬鹿を見るなら馬鹿になるほうが得

囚人のジレンマというものがあるが、正直者が報われるためには正直者が一定数いる必要がある。無人レジや無人販売所など人間の良心によって成り立っているシステムは多く、基本的にそれによって治安及び平穏な日常が保たれている。多くの人間は己の中に十字架を抱えて生きているため、正直者というのは不誠実な人にとっては脅威として映る。討論番組で専門家同士が自分の商品である思想に傷を付けないために意地でも主義主張を曲げないということと同義であるように思える。それが生業であればなおさらであるし、それによって今まで生きてきたのであれば、それに反論しないことは己の罪を認めたことになり、罰せられる恐れがある。
一方で、正直で真面目な人間であっても、ある程度の力となる地位や財力、発言力や人望などを持たない者は割を食う場面が多く、そのほとんどは良いように扱われてそれを素直に信じてしまうことによって巻き起こる。その事例の際たるものがオウム真理教が巻き起こしたテロ行為である。周囲の共感を得てそれを力とすることが出来れば、それが最も手っ取り早い。

■無敵の人

―――明日は我が身

一般的にニュースになるような無敵の人の事件は一見衝撃的だが、塵が積もってそうなるのであれば内心他人事とは思えない。ストレスが溜まったとき、不安が募ったときなどのネガティブな精神状態の場合、どこか精神的な安らぎや安定を求めるが、もしそれがなければ気持ちの矛先が突発的な行動に向く恐れがある。

たとえば、ストレス解消のためにいつも通っていた店や愚痴を言っていた友人などの拠り所を無くした場合、不安定を埋める要因が消えて積もるため、不安が溢れて精神を保てなくなってしまう。友人や家族、貯金や趣味などの衣食住とは直接的に関係のない要因が生きる糧として存在している場合が多いため、酒や煙草で寿命を縮めてもなお明日を生きるために必要であればそれを絶って大事に至るよりはましなのだ。

―――自分の立場が落ちた時、その発言の矛先は自分に向く

いずれ自分の論理に、自分が殺されることになる。人は思いのほか弱く、不意な出来事であっという間に弱者化する。私たちは、そんな当たり前のことを忘れがちである

守るべき「弱くある自由」 「不要なもの」とされる恐怖 中島岳志:東京新聞 TOKYO Web

―――景気が悪ければ治安が悪くなり、無敵の人が生まれる

―――失うものがない人は目的も目標もない、唯一自身のコンプレックスに対する反動・反逆として短絡的な発想が事件を引き起こす

下記は「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人による意見陳述の一部である。かなり詳細に事細かく述べられているので経緯や心境がわかりやすい。全文を読むと、幼少の頃からいじめや家庭環境に問題があったことが伺える。ここから、世の中のSNSでの著名人に対するバッシングなどの行為もこれに起因するのではないかと推察でき、本人から被害を受けたことも面識もないが、そういった有名人を手玉に取って一連のイベントごとを中断させることをゲーム感覚で行い、それを達成した達成感と自負心で何とか己の自我を保とうとしているということだ。

自分の人生と犯行動機を身も蓋もなく客観的に表現しますと「10代20代をろくに努力もせず怠けて過ごして生きて来たバカが、30代にして『人生オワタ』状態になっていることに気がついて発狂し、自身のコンプレックスをくすぐる成功者を発見して、妬みから自殺の道連れにしてやろうと浅はかな考えから暴れた」ということになります。これで間違いありません。実に噴飯ものの動機なのです。

「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース

―――無敵の人を生み出さない社会

―――貧乏は敵

価値観

―――継承される価値観、歴史は繰り返される

―――宗教的価値観の創り方

あるニワトリ小屋で、飼育員が毎日、エサを決まった時間に同じ量だけを与えていた。
飼育員は、非常に几帳面な性格だったらしく、何年間も正確に同じことをしていた。
さて、小屋の中のニワトリたちは、なぜ、毎日 同じ時間に 同じ量のエサが放り込まれるのか、その原理や仕組みをまったく想像しようもなかった。が、とにかく、毎日、決まった時間に同じことがおきるのだ。いつしか、ニワトリたちは、それが「確実に起きること」だと認識し、物理法則として理論化しはじめた。
そして、その確実な理論から、関連する法則を次々と導き出していき、重さや時間の単位も、エサの分配についての経済や政治の理論もすべて、毎日放り込まれるエサを基準にして行われた。
それは妥当なモノの考え方だ。
だって、それは「確実に起きること」「絶対的な物理法則」なのだから。
しかし、ある日、ヒネクレモノのニワトリがこう言った。
「でも、そんなの、明日も同じことが起きるとは限らないんじゃないの?」
そんなことを言うニワトリは、他のニワトリたちから袋叩きにあう。
「ばぁーか、なに言ってんだよ。いいか?
 この現象はな、この世界ができてから、ずーっと続いているんだよ。
 何十代も前のじいさんが書いた歴史書を読んでみろよ。
 それからな、この現象をもとにして書かれた理論、学術論文を
 ちゃんと読んでみろよ。みんな、矛盾なく成り立っているだろ?
 それに、実験による確認だって、きちんとされているんだよ!
 それを何の根拠もなく疑うなんてな。
 そういう無知から、擬似科学やオカルトが始まるんだ。
 おまえは、もっと勉強した方がいいぞ」
しかし、ある日、不況の煽りをうけ長年働いた飼育員がリストラとなり、
ニワトリへのエサやりは、ズボラなアルバイトの役目となった。
次の日、ニワトリたちが、何十代もかけて構築した科学のすべては吹っ飛んだ。

宗教信じてる奴って馬鹿だねw神なんているわけないのに 反論ある奴は神の存在を証明してみろよ:哲学ニュースnwk

■生存者バイアスと外的コントロール

生存バイアスとは、脱落ないし淘汰されたサンプルの存在を見落としたがために、一部の成功者のサンプルにだけ着目し、誤った判断を下すことをいう。例えば、プロの選手の「体罰で私は成長した」という意見にだけ着目すると、一見体罰は有効な教育手段だと思えてしまう。しかしこうした判断は、体罰によって怪我をして選手生命を絶たれた人や、挫折を強いられた人、淘汰されてしまった人を最初から除外して下されており、サンプリングに誤りがある。

○体罰は有害なだけ○ | 不満足なソクラテスである方が良い。

■ダブル・スタンダード、マッチポンプ

―――すべての人から納得を得るのは不可能

―――根底にあるNIMBY(ニンビー)の考え

―――複数の価値観が入り乱れる世の中に、気にし過ぎる程正解は一つに定まらない

関連・参考文献



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