昔の日本では「脚気」で、年間3万人弱が死亡 "8千歩"ウォーキング
令和3年7月13日(火曜日)の宇田川の河口と淀江海岸は、曇り時々晴れ 気温32℃(真夏日)。
山陰地方に梅雨明け宣言の今日は、3回の外出(買い物とエサやり)で、総歩数は、"8千歩"ウォーキングでした。
ここ2日間のストレッチとマッサージの効果で、左足のカカトの軽い鈍痛はほぼ収まりました。
完治はしていないので、当分はリハビリのウォーキングが続きます。
午後3時から宇田川河口でエサやり。
ウミネコが40数羽、ハトが23羽。
今年生まれのウミネコのヒナが4羽飛来。体が黒くて、ヒナ時代の3年間はこの色が残ります。
ウーチャン(川鵜)は河口で羽根を乾かしていて、こちらへの飛来はしませんでした。
ニャンコ先生(母ネコ)は、今日も夕方3時に玄関で待ってました(汗)。
一目につかない場所に連れてゆき、煮た魚と鶏むね肉などをたっぷり進呈です。
昔の日本では「脚気」で、年間3万人弱が死亡
江戸時代から、精米技術が進み、「白いコメ」が江戸市民に大流行。
ただし、「白いコメ」は高いので、おかずを減らして「白いコメ」をパクパク。
そのため、江戸市民には、「脚気」によるフラフラや精神錯乱後の死亡が多発し、「江戸患い」と恐れられました。
時代が進み、明治、大正になっても、「脚気」による死者は激増。
大正時代には、「脚気」で、年間3万人弱が死亡。
これは、当時の東大医学部が「脚気は伝染病」と断定したために、対策が後手にまわったせいもありますね。
「白いコメ」は、精米によるヌカの消失。その結果、ビタミン(ビタミンB1)が欠乏したのが「脚気」の直接原因でした。
日ロ戦争の戦病死者は、4万人弱。そのうち3万人弱は「脚気」による病死者でした。そのほとんどが陸軍で、食事改善を行ってた海軍での脚気死者は3人だけでした。
しかし、日本が勝利したことで、陸軍首脳の責任問題はウヤムヤに(汗)
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