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変わらない視点・シュールな毒、変こそ魅力。

脳内では常々
妄想まみれの物語を膨らませている私。

だが、それを書く(人目に晒す)ことへの抵抗を
なかなか払拭できずにいた。

理由として思い当たるのが、小学生の頃のある記憶。

宿題で書いた「その後の一寸法師」の話を
みんなの前で否定され、笑われたのだ。

以下は、わたしが書いた話のあらすじ。

一寸法師はもう一度小さくなり
困っている人たちを助けようと旅に出る。

辿り着いた先々で村人を助けようとするのだが
「ちいさい」というだけで怖がられ、疎まれる。

姿を見るなり、怖がって逃げ出す人々。

どの村でも同じことが繰り返され
うんざりした一寸法師は、旅をやめて家に帰る。

最後に
「話も聞かずに怖がってばかりのやつらなんて知らない!
もう助けるのやめた!」
というような捨て台詞を吐かせた記憶がある。

この台詞に対する先生の感想が否定的で
物語をみんなの前で発表されて、笑われた。

べつに馬鹿にするつもりでも
笑い者にするつもりでもなかったんだろう。

ちょっと異色のお話がありましたよ。
くらいの感じだったはず。(たぶん)

でも、一生懸命書いた話を
(それも内心いい出来だと思っていた)
みんなに笑われて、私の心はいたく傷ついたのだった。

あれから四十数年。
noteを始めて、この時のことをよく思い出す。

この出来事が、物語を書きたいのに書けない理由。
そう言い訳にしていたけれど、今はこう思う。

捨て台詞を吐いて
怒って帰るシュールな一寸法師。
最高じゃないか。

みんなを笑わせる変な話を書けるなんて、
すごいじゃないか。

めでたし、めでたし。ばっかりじゃつまんない。
ありきたりの話なんて、つまんない。
そう思った自分、かっこいいぞ。

優しくてきれいなだけじゃない
ちょっとひねくれた視点と毒。
それは幼い頃から変わっていない「わたしらしさ」だ。

そこ隠して
当たり障りなく小綺麗にまとめようとすると
途端に窮屈でつまんないものになる。

隠そうとする部分こそ、最大の個性。
タブーと思っている部分こそ、最大の魅力。

毒を吐いてはいけない。
くもりのない素直な目で物事を見なくてはいけない。
人と違ってはいけない。

そんな自分で設定したタブーの残骸なんぞ
ばりばりと壊して越えていこう。

あなたのタブーは、なんですか?

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