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【No.2】突然の海外出張で大ピンチ! いつまでも「英語できません」ではすまされない!

「楽な道はない」とわかったけれど

留学雑誌の編集の仕事をしていたので、いろいろな人から英語勉強法について聞く機会があったが、それによってわかってきたことがある。

一つは、英語をしゃべれるようになるには、2000時間のインプットが必要ということ。中高大学で学んだ時間が多めに見積もって1000時間としても、あと1000時間は英語漬けにならないと話せるようにはならない。

もう一つは、インプット(単語やフレーズの丸暗記)だけでは話せるようにはならないということ。話せるようになるには、実際に会話をする=アウトプットが絶対に必要なのだ。

つまり、さんざんラクな道を探してきたが、「わずか3カ月で」「聞き流すだけで」話せるようになることは絶対にない、ということ。なるほど、「じゃあちゃんと勉強しなければ」とならないのが私のダメなところ。結局、仕事や子育て、PTA活動が忙しいと自分に言い訳しつつ、しばらく英語からは遠ざかってしまった。

ひたひたと押し寄せる、グローバル化の波

巷でグローバルという言葉がよく聞かれるようになったのはいつごろだろうか。2007~8年頃には、英語ができると就職に有利とか、TOEIC スコアが何点以上でないと昇進できないという声も聞かれるようになった。文部科学省が、留学生30万人計画(2020年までに外国人留学生を30万人受け入れるという計画)を打ち出したのが2008年。私は留学関係の雑誌制作にかかわっていたが、取材先でも「そんなの無理」という声が圧倒的だった。

それよりさかのぼること5年、2003年に当時の小泉首相のもと観光庁が設置され、「2010年に訪日外国人を1000万人にする」と宣言。しかし、このときの訪日外国人数はわずか520万人。当時、旅行業界の人に取材したら、「1000万人なんて途方もない数字」と言っていたものだ。ところが、2013年には1000万人をクリア。2016年にはついに2000万人を突破。

楽天が社内公用語を英語にすると宣言して話題になったのは2010年のこと。

もう、「日本で生まれて日本で働くのだから、英語なんていらない」なんて言っているわけにはいかない。こっちが出ていかなくても、外国人のほうが日本にやってくる。外国人に道を聞かれてしどろもどろしたくはない。
小学校では英語が必須化されるし、いつまでも英語ができないと、孫にもばかにされてしまう。それだけは避けたい。

くわえて、今や寿命100年時代。年金では足りないからと、コンビニでアルバイトをすることもないとは言えない。今の人手不足を考えると、かなりの確率で同僚が外国人ということはありうる。英語ができたほうが職場にもなじみやすいし絶対に楽しそうだ。

いつまでも三日坊主を続けているわけにはいかない、頭の片隅で、むくむくとそんな思いが湧いてきていた。

突然の海外出張で英語力の必要に迫られる

そんなとき、突然、海外取材の話が降ってわいた。
以前から、留学雑誌の編集には携わっていた。しかし、私は国内でできる取材や編集作業を担当していたので、英語が必要とされる場面はなかった。

ところが、グローバル化の波にのり、留学雑誌の新シリーズがスタート。これを担当することになり、私も現地の大学や語学学校の取材に行くことになった。

創刊号のニュージーランド特集は、英語ができる編集長の後にカメラを持ってついていくだけでよかった。次のオーストラリア特集では、編集長と二手に分かれて取材をすることになった。国が大きすぎて、2人でいっしょに回っていたのでは効率が悪すぎるのだ。なにせ、国内でも時差がある国。東側のブリスベンから西側のパースまで飛行機で4時間もかかる。

旅の後半は、編集長と合流するが、前半は、編集長は東側、私は西側を担当。一人でパースに向かうことになった。私がよっぽど不安げな顔をしていたからだろうか、編集長は現地ガイドを調達してくれた。

移動も車だったので、道に迷ってうろうろすることもなく、ありがたかったのだが、学校取材に出かけても、相手の言うことに、わかったフリをしてうなずくのが精一杯、というのがなんとも情けない。パース訪問最終日には、訪問した学校の方々が歓迎会までしてくれたのに、サンキューくらいしか言えない自分が不甲斐ないったらない。

しゃべらない人は存在しない?

その後、編集長と合流したが、行く先々で、ペラペラと英語で現地の人と会話をする編集長の後を無言でついて歩く自分がどんどんみじめに思えてくる。

留学生に数多く取材してきてよく聞くのが「海外では『常にあなたはどう思う?』と意見を求められる。発言をしない人は存在しないとみなされる」という言葉。

とにかく自分から話さないと自分の居場所がないまま一日が終わる。この厳しい現実に一時的に落ち込むが、そこから奮起して猛勉強し、英語をものにして現地に溶け込んでいった留学生たちをたくさん見てきた。彼らは本当に偉い。私にはとうていできない。編集長の後に黙ってついて歩く私も、きっと現地の人たちから“存在しない”と思われているんだろうな、と思っていた。

ところが、ある大学を視察していたときのことだ。オーストラリア人の広報担当者、編集長、私とでエレベーターに乗っていた。目的階に着き、扉がぱっと開くと、目の前に鮮やかな青と黄色でコーディネートされたラウンジが広がっていた。

「Beautiful!」と思わず声が出た。今まで無言だった私が言葉を発したのを見て、オーストラリア人が、私の肩を抱かんばかりに顔を寄せ、笑顔で何かを言った。ちょうど私は、ラウンジのインテリアと同じ青と黄色の服を着ていたから、そのことを言ったのかもしれない。

何かリアクションしなければ! 

小さい声で「My favorite color」とかろうじて答えた。相手の女性はまた笑顔と大きな身振りで何か答えてくれた。

そのとき思った。この女性は、しゃべらない私のことを「存在しない人」と思っていたのではなく、「全然言葉が通じていないみたいだけど、退屈していないかな、楽しんでいるのかな」と心配してくれていたのだ。そうじゃないかもしれないけど、絶対そうだ。言葉はわからなくても、彼女の体全体から温かいものが伝わってきた。

外国人⇒怖い、しゃべれない⇒気後れする。そんな気持ちにとらわれてちぢこまっていたけれど、ほんの一言でも突破口が開け、心が通じるかもしれない。とても小さなできごとだったけど、「英語でコミュニケーションをする」ことに対し、何か手がかりのようなものがつかめた気がした。(つづく)

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