長い長い夢の中で見つけた子供
今日は、すごく長時間眠り、たくさんの夢を見ました。時々目覚める度にメモをとり、夢を重ねていった感じ。
特に嫌なことは起こらない夢で、次々といろんな場面を見て行く感じで、まるでオムニバスの映画を見ているようでもありました。
この中で特に印象に残ったのは、どこかの部屋でパソコンをつけたら勝手に立ち上がったソフトの発する音と映像に触発されて、仰向けのまま、空中に浮き上がったことでした。
背骨が充実していて、意識せずとも小周天ができていて、特に泥丸とハートと命門と尾骨の内側が充実していて、とても気持ちが良い状態でした。
この感覚は時々目覚めるたびに感じていたものですが、その流れの中で夢の中で宙に浮くということになったような気がします。
その時に、壁に掛かっていた大きなローブを着ますが、それは魔術師が着るローブというような意味があったのかも知れないと、起きてから思いました。
しかし、その流れの中でのポイントは、隣の広い部屋に入って行った時に、小さな子供がいたのを見て、ごめんと言ってすぐに出てきたということだったかも知れません。
その子供の背中しか見てませんし、ちゃんと話もしなかったということが、何かありそうだと思いました。
なぜ、その子は隠れていたのか、その家と僕の関係はなんだったのか、
いろいろわからないことはありますが、おそらくその子は僕だったのかも知れないと思うのです。
ちゃんと向き合って、どうしてそこにいるのか、どうして静かにそこに隠れているのか、安全であることを伝えて、話をすればよかったと思います。
と、ここまで振り返ってわかったのは、何かを恐れていることの表れなんだろうということです。
昨日書いた四角形に囲い込まれた三角形状態と言えるのかも知れません。
宙に浮き上がって、魔術師のローブを着て、広い空間で踊りまくれば良いのに、どこかで僕はそれを恐れてもいるのかなと思いました。
ヘリコプターで飛ぶことにも少し怖さを感じていますしね。
新しいプロジェクトのようなことが始まろうとしていて、その会場に足を運んでいます。
仲間と「足先の極意」を研究している人たちの話を聞きにいってますが、足先の極意とは踊りの極意のことで、足を見ると踊りがわかるという昔先生が言った言葉を思い出します。
昔使っていた赤いカメラというのは、おそらく昔から、僕がやってきた、踊りや仙道やキネシオロジーやらの全てを記録してきたカメラなのではないかという気がします。
だからこそ、あの小さな子供、小さな男の子のことが、最もこの夢の中で大事な存在だと思います。
そのことを確認したら、なんだかとても気持ちが落ち着きました。また、その子にあって、今度はゆっくりと話そうと思います。
あの広い部屋は踊りの稽古をするにはちょうどよさそうですし、たぶん良い時間を過ごせるのではないかと思います。
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