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01. 生きていく力

「何のために生きていくの? 消えたい」初めてそう思ったのは14の時。きっかけが何だったのか思い出せない。ある日から数日間涙が止まらず、ぐるぐると同じ言葉が頭を巡っていた。でも自ら命を絶つ勇気はなかった。

次に同じような気持ちになったのは、21の時。その次は28頃と、34頃。それでも、自分を励ましてくれる好きな音楽を聴き、時には大声で歌い、夢中で絵を描き、気の合う友達と笑い合ったりして、騙し騙し生きることはできた。30代前半までは、人生にも仕事にも少しは希望があった。父が死んだ37前後と、子育ての困難に直面した40代前半は、もはや気を紛らわせられるモノはなかった。心を殺して毎日をやり過ごした。

誰の胸にも、おそらく一時は浮かんでくる「何のために生きるのか?」という問い。無条件で愛されず、認められてこなかった子どもは、時にその問いと共に絶望の淵に落ち、自ら命を絶つこともあるらしい。逆に無条件の愛を与えられた人間は心の安全基地を得て、それが人生を前向きに生きる力にもなるのだそうだ。

私の父に親として問題があると気づいたのは、10代始めだった。激しい体罰はなかったが、家庭には父が生み出す恐怖がいつもあった。そして、母親にも父と同じくらい大きな問題があった、と気づいたのはそれからずっと後…、私が息子を授かってからだった。その時にやっと、私はアダルトチルドレンなのだと自覚した。

忌み嫌ってきた父のような親には、私は決してならない。心に誓って出産を決めたはずだったのに、息子が2歳になる頃には、怒ったり怒鳴ったりすることが増えていた。これは父がしてきたのと同じ、心理的虐待だ。幼子に向かって大声を出す度にいけないと思うのに、憧れる理想の母親らしい振る舞いができない。子どもの心を傷つけていると知っているのに、怒鳴る自分をどうしても止められない。家族も自分も毎日ズタズタに傷つきながら、身をもって私の「連鎖」を知った。

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