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『「違うこと」をしないこと』の実践

敬愛する吉本ばななさんの著者に『「違うこと」をしないこと』がある。
カレーを食べたいと思ったらカレーを食べる。
細かくこまめに、心のワガママを叶えてあげないと。そうじゃないと、どこか辻褄が合わなくなる。

中学生になったとき、手芸部に入りたかったのに、父親の圧に折れてソフトテニス部を選んだ私、それは「違うこと」だったね。

コミュ障でマルチタスクが苦手なところを修正しなければと必死になって、スタッフほぼ全員に嫌われながらカフェのアルバイトを続けた私、それは「違うこと」だったね。

興味深いなぁなんて自分をごまかしながらフェルミ推定を勉強し、コンサルの中途採用を受けまくっていた私、それは「違うこと」だったね。

違うことをし続けて、ついに身体を壊したね。
よかったね。

ここ数ヶ月、薬の副作用もあって、食欲がない。お腹がすいても、本当に食べたいものでないと美味しくないし、あとから吐き気がする。
今日も食べたくなくて、でもアボカドなら食べたいかなって想像した。爽やかで栄養満点。用事を終えて帰路に向かう電車の中で、ウーバーイーツを検索したら、家の最寄駅近くのサンドイッチ店がアボガドプロシュートサンドを出している。いいね。それに、前から気になっていたところだ。

最寄駅を降りて、雨をくぐって横断歩道を渡ると、黒い立て看板が見えた。やっててよかった。大きめの通りに面して、車が水飛沫をあげながらすれすれに通っていく。店に足を踏み入れると、緑に塗られたカウンターと壁がぱっと目に入った。チョコレート色の木材の床とよくマッチして、避暑地の洒落たカフェのようだ。初めて訪れた気のしない、知り合いの自宅のような空気が、憂鬱な気分をすぅ、と吸い取ってくれた。ホール担当らしい女性が、明るく声をかける。

「お一人さまですか?」
「あ、そうなんですけど、テイクアウトで。」
語頭に「あ」を付けずに喋れる日は来るのだろうか。

大雨の平日、それも午後三時という微妙な時間帯だから、お客はひとりだった。Tシャツ姿の、40代と思われる女性が手前の席に陣取っている。こちらには目もくれず、窓の外をじっと眺めながらビール片手にサンドイッチを頬張る。厨房では丸眼鏡に白髪のショートの女性がきびきびと働いている。先ほどのホールの女性はテーブルやカウンターを拭いて回る。私は入り口付近の丸椅子に腰かけて、スマホゲームのアプリを立ち上げて、捕まえたピクミンたちにせっせと餌をあげる。奇妙な妖精、いやそもそも妖精なのかも確証がない謎の生物を集めるだけの、どうもならないこのゲームが好きだ。ざあざあという音に包まれて、この緑の空間は外界から隠された秘密の待ち合わせ場所のようだ。それぞれが思い思いに時間を過ごして干渉しない。それでいで、この空気を共に作っている。

アボカドプロシュートサンドはものの5分で出来上がった。
ご機嫌で自宅に戻って、勢いよくブラジャーと靴下を洗濯かごに投げ入れてくたくたのコットンワンピースに着替える。エアコンをドライの23度に設定したら準備完了。こんがり焼けたパンの表面にかじりついた。

よかったね。今日は、違くないこと、できたね。

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