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「何もしない」 ことの可能性

久しぶりに文章を書いた

この1、2週間本当に何もしていなかった

「何もしない」ことをとてもしたかったからだ

じゃあ何もしないって一体何をしているんだろう

何もしないって言ってもずっとぼーっとはしていられないだろう

何もしていないようで何かはしている

私の思う「何もしない」は何かのために何かをする、をしないことである

今までも思い返すと小さい頃から

そんな時間が多かった

何かをしているようで何もしていない時間

海へ魚を見にいった、公園でキャッチボールをしたり、

朝早起きしてみんなで朝ごはんを食べに行ったり

あの時間は私に沢山のものをくれた

匂いや感情、空の色、そして様々な変化から感じる

時間の経過や、季節の移ろいとその素晴らしさ。

あの時感じたこと全てが今の自分を形作っている

わくわくした気持ちや、家族との会話

大好きな人達と楽しい時間を過ごすこと

一緒にいること、話をすること、そして愛を感じた。

段々と暮れていく空、濃ゆくなっていく藍色を見て、

宇宙を感じていた

未来を思い描いたり、いろんな事を想像して楽しかった

幼少期に感じていた様々なことが間違いなく今の

自分に繋がっている、特に感性の部分で


何もしない、心に任せる

何もしない、何かのために、をしないでみる

その先に一体何があるだろう

つまらない制約から自由になったら

どんな未来が生まれるだろう

"何もしない”は自由だ

そして自由は未来への余白だ

心に余白があると未来は想像以上になる

素晴らしいことを体験するには余裕と余白、

そしてマインドにも自由が必要だ。

幸運はいつもそこにやってくる

そしていつもその時を待っている

予想外でも受け取ってくれる自由さを

求めていると言っている

何もしない、余白を

心、考え方、在り方、に自由を

いつもそのままで、ありのままで

愛を受け取る余白を持とう!


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