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もう二度と逢えないわけではないのだけれど

この2週間で子ども達3人を妻に1人づつ病院へ連れて来て貰い別れをすることをした。

引き裂かれる想いだ。

生きるのが辛いと思ったことはたぶんコレ以上ないと思う。

妻はそれについては協力してくれた。
私を言ったら病院に捨て行く訳であるからそれくらいさせろと思っているが言わないで、丁寧にお願いした。

同じ日本に居るとはいえ、交通が発達しているとはいえ、LINEやIT等が発達しているとはいえ。
地方から東京の距離はやはり大きく、今後は突破的な事が起きても子ども達のそばに居てやれない、色々な行事や毎日の成長を観てやれないという喪失感は気が狂ってしまいそうでたまらない。
私は一方的に別居を言われたので、全く納得はいっていないが…
事実、病人で入院している私にもう出来ることは別れの挨拶をさせて貰う、理不尽だがこれくらいしかない。

それに伴って私は妻と子ども達へ糸でミサンガを編むことにした。
誕生日も何もしてやれぬ、私が今できる精一杯の事と思って感謝と健康を祈りながら1本1本、丁寧に4本ミサンガを編み上げた。

編むという行為をしながら、昔のよい記憶が蘇る。むせかえる思いとどうしてもやれない無力感に苛まれるが何とか無事に編む事が出来た。
自己満足と言われたらそうである。
あとは貰った本人達がどうするのかはよく分からない。
バックに付けるなり、髪留めに使ってくれるなり、身近に使ってくれたら嬉しいが、捨てられたり、忘れられたりしても仕方ない。

子ども達から言わせれば、あんたが病気になったから、私たちがこんな目に遭うのだと思われても仕方ない事だと思う。

学生結婚し苦労して育てた1番上は思春期の真っ盛りの中学生である為、恨みに思うと私は思っているし。
私からメールで妻の我がままを許してほしい、私の現状の無力さを恨んでよいとも言った。
それぐらい言ってやらないと救われないと思う。本当に苦労して一生懸命育てた子なのだから言葉にならなかったのが正直な感想だ。
私だけではない私達家族の1番目の宝なのだから…

2番目は私と一緒に3歳からサッカーというスポーツを通して、二人三脚でやってきたので仲間意識みたいなものがあり、休みになればいつも何処一緒に遠征にいったものだ。
小学生高学年だけあって流石にわかっていた、互いに涙が止まらなかった。最後にちょっとだけ大学病院のグランドでサッカーを楽しんだ。
これからもサッカーを続けてくれると本当に嬉しいと互いに咽び泣きながら伝えた。

1番下は保育園年少さんだから別れの意味を理解しているはずもない。
私が一方的に抱きしめてやり、私が一方的に咽び泣きしてしまった。
わかるはずもない、私を見ていた。
この子には本当にもう何もしてやれないかもしれない。
これまでの暮らしや私の両親の事は恐らく朧げにしか覚えていないだろうと思う。


話が少しズレてしまうが、このコロナウイルス騒ぎの中、本来なら病院での面会は御法度であるが。
主治医、看護師長、看護師の方々が客観的に見て、グレーゾーンの部分を何とか事情を鑑み許してくださったことに改めて感謝しなければならない。本当ありがたかった。

そして、次に子ども達に逢えるのはいつになるのか…というなんとも言葉では表現しがたい感覚にある。
そもそも、退院の目処すら経ってない状態であるから私にして見たら果てしのない時間をコレから過ごす事になる。

また、退院したとしても自宅には誰もいる訳でもなく。
恐らく、私1人分の荷物がそのままだろうし、逃げて帰るのだから家具屋、食器等はそのままで1人で片付けなければならない。
自宅ももう必要ないので売却か賃貸かしなければならないだろう。住宅ローンが残っている為に払わないといけないからどうしたものか…
また、退院しても病院には通院せねばならず、医療費も入用である。

しかしながら、1番は退院しても身を寄せる場所がないこと。
当面は両親に頼み実家に身を寄せさせて貰うことになると思うがどうなるか不透明感、不安で一杯だ。

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