旅行

自宅でのんびり療養しながら通院しながら、抜ける髪を見ながらぼんやり過ごした。26歳で入院したけど気が付けば27歳になっていた。これを書いている今、2年前の今頃はまさに放射線治療中だったと思うと変な感じ。あっという間のような気もするし、でも記憶力の悪い私がここまで鮮明に思い出せせるのだから、ついこの間まで受けていたような感じもする。
 退院して通院の頻度も落ち着いて、髪が生え始めたころに旅行に行くことに決めた。妹がいるロンドンへ。叔母のいるトルコへ。体調は若干不安もあったけど、帯広に行ったりもしていたし、自分の感覚としても行けそうな感じがした。何より、この先こんなにゆっくり時間をとれる機会ってなかなかないと思った。社会人になって、頭の痛みを抱えながらがむしゃらに焦って、焦って、追い詰められながらも必死に頑張って、行きついた先が今だった。へたくそだったけど、(今でもへたくそさはあるけど)頑張って生きてきたから、これくらいはいいかなって。不安はあるけど、この機会を逃すのはもったいないと思った。家族も後押ししてくれた。普段は考え始めたら行動できなくなることが多いけど、病気してその辺はすごく変わったと思う。病気してというか、大人になっていろんな経験を積んでいく中で気づき始めていたものを一つ一つ整理していったのかなとも思う。大体のことはどうにかなる。思った時にやってみても大丈夫。私は1か月ちょっと海外に飛び出すことにしてみた。
 一人で国際線に乗って、2回もご飯が出る長時間フライトをして、一人で入国した。空港の中からすでに日本との違いに驚いていた。外に出ると、初めて見るロンドンの空はよく晴れていた。妹と空港で待ち合わせして、自分とは全然違う人たちが住む場所に足を踏み入れた。2週間だけ語学学校に行った。一人で何度もお散歩もした。1週間トルコにもいった。旅行のことはまた別で書くけど、私にとってこの闘病でいろんなことがリセットされたというか、心に余裕ができたというか、空っぽではないけど新しいものをすごく受け入れやすくなっているときに、海外といういつもと全く違う場所で1か月ちょっと過ごした時間はとても意味のあるものだった。なんていうか、ただただあこがれて未知の世界だった全く知らない場所は、いい意味でとても「普通」だった。私が日本で過ごしているのと同じようにそこに住んでいる人たちは当たり前にそこに住んでいて、あたりまえの日常を過ごしていて、その人たちはどこにでもいる人たちで、なんというか、違いはあるけど全然特別なんかじゃなかった。私が勝手に特別にしていただけだったし、手の届かないことなんて全然なかった。一人でぶらぶらしたり、美術館に行ったり、電車やバスにも乗ったけど何とかなった。携帯だってSIM差し替えて使えたし、辞書とか翻訳機能を使えば英語が大してできなくてもどうにかなったし、語学学校では自分が今までバカまじめにやってきたことって意外と身についていると感じた。突然すごく成長したとか、価値観が変わったとかではないけど、気づいたこと感じたことは本当に大きかった。普通だった。みんな違うだけで、普通の生活をしていた。

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