放射線治療開始


まず名前がよくないと思う。「がんセンター」って聞いただけでちょっと息が苦しくなるというか、現実を突きつけられるというか。私は脳腫瘍で、脳腫瘍はグレードⅣ以外正式に言うとがんではないらしい。グレードⅡ~Ⅲは良性と悪性の間の腫瘍で、良性ではない。そして新生物ではある。だから分類としては悪性新生物になって、がんと同じ扱いになる。
病院②を退院して数日でこのがんセンターに入院した。ここの担当の先生も澤村先生がとても信頼している先生。私が患った中間型松果体実質腫瘍という病気のことも知っている放射線の先生。ちょっと独特な先生だったけど、この先生もとてもやさしい先生だった。
ここでの治療も本当にしんどかった。体もしんどかったけど、心がとにかくしんどかった。別の病気になりそうだった。
病院の建物の改装工事が始まっていて、平日は毎日工事の音が聞こえていた。病院自体が古くて、ざ・お化け出そうな病院。病室は狭くて、前の病院での4人部屋よりも少し狭い部屋にむりやり6人入れられている感じ。隣の人とカーテンで仕切られているけど、ダブルベットにカーテンで仕切りしただけってくらい隣の人と近くて狭くて、今だったら密で完全にアウトだと思う。男女は部屋が分かれているからおばさんとかおばあさんだけの部屋。最初に案内されたときは3人並んだ真ん中に案内されけど、あまりに狭いし暗いし隣と近いしで無理すぎて、ちょうどその時ベッドの清掃が終わったらしき向かいの窓側の端っこと交換してほしいって交渉して、なんとか端のベッドは確保できた。でもたいして変わらなかった。暗くて古くて狭くて、窓には格子がついていて。病気の人が自殺したくなる気持ちがちょっとわかるような気がした。とにかくここから逃げたいと思った。私はもう腫瘍を取り切って、念のための放射線治療で、終わりが来ることもわかっていて、ほぼ治ったようなものだって気持ちでいたから何とか乗り切れた。でもこれが訳も分からずいきなりここに入院させられて、いつまで続くかわからない治療を受けることになったら本当に心病むと思う。環境としては本当にそれくらい悪かったし、だんだんと弱っていく体も相まってぎりぎりの精神状態だった。抗がん剤治療の人がほとんどだったから、週単位で少しずつ人の出入りがあった。部屋で放射線治療をしているのは私と途中少しだけいたおばさんだけで、あとはみんな抗がん剤治療だった。改めて今思うと、病院という場所は本当に不思議なところだと思う。みんなが寝間着みたいな恰好で、大概お化粧とかほとんどしていない状態でうろうろしていて、全然知らない人と衣食住ともにして、多分一番弱った見せたくない姿を共有して。そんな人が集まる場所。点滴棒とか、歩行器とか、車いすが当たり前に日常にある世界。私はどうしてもここになじみたくなくて、唯一ここでだけ病衣を借りなかった。全然必要ないけど朝起きたら服を着替えるようにしていた。治療と検査とリハビリ以外で部屋から出るのはシーツ交換の時くらい。テレビも近すぎて見にくいからWi-Fiかりてタブレットで動画見たりして過ごした(食べられなくなっていたから大食い見て食べた気になっていた)。
放射線治療をやるにあたって、最初に作ったのは治療の時につける自分用のマスクを作ることだった。MRI、CTにも同じことがいえるけど、放射線も一緒で機械の治療台ってどうしてあんなに硬いのだろう。あたりまえだけど台に乗っている感じがすごい。マスクを作るところはたぶんCTの部屋だったと思うけど、台の上に乗せられて作った。頭が動かないようにしてから、細かい格子のプラスチック板をあたためて、それを真正面から耳の後ろくらいまでぐっと顔に押し付けて、自分専用のマスクというか固定具を作った。本当に、くしゃみしても顔が動かないくらい押さえつけられるマスクだった。治療ときは治療台に寝て、その固定具をつけて、さらにそれをねじ?ピン?かなんかで留めて放射線をあてた。マスクを作るときも時間かかったけど、とにかく局所照射の1回目、そして脊椎照射の1回目は本当にしんどかった。放射線を当てる場所の調整があるから時間がとても長くて、局所の時は初めてだったから怖くて何が何だかもわからなくて、多分実際より時間が長く感じたのもあると思う。台の頭側に腕の5本くらいあるイソギンチャクみたいな機械 (リニアック?)があって、放射線が出る側と、おそらく反射?受け止める?いたみたいなのが付いている側があって、撮影する場所によって動いていた。こういう遮断される部屋の検査とか治療はほかも同じで部屋に一人で閉じ込められる。ここも一緒で割と広めの部屋で台に乗せられて固定されて、一人でぼんやり待っていた。この部屋は時計も当然窓もないから時間の経過が分からなかった。局所照射(最初の2週間)は、1回目は時間かかったけど、2回目以降は10分もかからずに終わるようになった。呼ばれて、手についたバーコードで受付して、呼ばれたら部屋に入って台に寝て、技師二人くらいに挨拶して固定具つけて、分厚いドアが閉まって調整しながら何回か放射線当てて終わり。技師さんは私と同じ年くらいかちょっと上くらいの比較的若い男の人しかいなかったけど、その時は全く気にしていなかった。のちのちものすごく嫌な思いをすることになるけど。初めのうちは、若干顔がむくんでいたりすると固定マスクが顔に食い込んで、終わった後はしっかり顔に網目模様が残っていた。でもだんだんやせてきて、マスクとの間に少しだけ余裕ができるようになって、さらに後半は髪も抜けてきたから動けないけど押さえつけられている感じはかなり軽減された。
全脊椎照射になってからは本当にしんどかった。特に1回目はもう無理だと思った。とにかく長くて、時計がないからどれだけ時間がたったかもわからなくて、あとどれくらいかかるとかの説明もなくて、何をするのかもよくわからなくて。まず体に目印の線を引くのに上半身は裸、下半身はパンツもひざくらいまで下げた。ほぼ全裸。その状態でかたい台の上に横になって、たいして年の変わらない男の技師さんに体に線を描かれる。何度も調整で体を動かして、暗くして光当てて確認してまた動かしての繰り返し。体中にペンで線を引かれた。術後の傷もずっと台にあたっているからどんどん痛くなってきて、でも放射線当てるところだから枕とかもできなくて。あそこで一番つらい時間だった。あの時初めて思ったかも。なんで私がこんな目に、って。あれは本当につらかった。体も心も本当につらかった。この初回は何時間もかかったけど、次からは30~40分で終わるようになった。でも全裸になるのは変わらないし、台も相変わらず痛いし、技師さんに明るいところでほぼ真っ裸見られるのは変わらなくて、つらい時間が少し短くなっただけだった。挙句の果てに最後の3回くらいになったところで生理になって(入院期間中2回も生理に困った)下着は下げなくていいことになった。いや下げなくてもできるのかよとも思ったし、全裸見られるのと同じくらい生理用パンツ一丁になるのも嫌だった。とにかくもう何もかもが嫌だった。局所照射の時は時間も短かったし、ほとんど髪も抜けなくて、気持ち的に憂鬱ではあったけど体はそんなにつらくなかった。目は見えにくいままだったからがんセンター内にある眼科にかかったり、リハビリで目の運動をしたり体動かしたりしてだらだら過ごした。でも全脳全脊椎照射になってからだんだん体がしんどくなってきた。まずわかりやすく髪が抜けてきた。私は局所の時から放射線が当たっていた両耳の上(こめかみあたり)と、頭頂部から始まった。最初はすいたときにちょっと頭皮に触るようになったな?くらいだったけど、お風呂に入って頭洗ったら大変なことになった。触ったら触った分だけ全部抜けて、絡まっちゃって指も抜けなくなって最終的に絡まった部分含めて引きちぎるしかなかった。抜け始めてからは日にまし髪が薄くなって、部分的になくなっていった。でも入院中は耳の上あたりが500円玉くらい完全に剥げたけど、ごまかしきれなくなって帽子をかぶるようになったのは最後の一週間くらいだった。抜け始めたときからもう切りたくなっていたのだけど、放射線治療が全部終わるまで切っちゃダメって言われていたから、とても邪魔だし汚いから嫌だったけど頑張って耐えて、終わったら即行切った。最初は2センチに刈ってもらった。あまり短くすると服とかに刺さって取れなくなるとセンター内の美容師のお姉さんが教えてくれた。2センチにするとまだ黒い部分はあったけど、抜けているところがはっきり分かった。家に帰ってからどんどん抜けて、2週間くらいでほぼ全部なくなった。最後まで放射線が当たらなかったのか、後頭部の一部だけ残って変な髪形だった。退院してからも、もう一回刈ってもらって、その時はミリのバリカンで残っているところだけ全部きれいに刈ってもらった。年末年始は全く髪のない状態だったから、外に出るときは帽子かウィッグをつけた。髪がなくなってから初めて自分の傷をしっかり確認した(直接は見えないけど)。ちょうど自分の手をひらいて親指から小指までくらい。詳しくどうやって手術したのかは知らないけど、頭蓋骨を開けて大脳をかき分けて取ったことは何となくわかる。今も頭蓋骨がぼこぼこしている感じは何となくわかるし、一応縫い目もあるし。でも1回目の手術より2回目の手術痕のほうがずっときれいだった。澤村先生は本当にすごい。ちなみに今は触れば後ろの傷は何となくわかるし骨のぼこぼこもわかるけど、普段意識することは全くない。1回目に手術したほうは最近ようやく穴がふさがってきた感じがしている。まだ微妙にへこみがあるけど、確実に穴はふさがってきている。人の体って本当にすごいなって思う。生きようとしている。自分の意思と関係なく。穴を埋めようとしているからなのか、どういう原理なのかは全く謎だけど、周りの骨が少し盛り上がっているような感じだからまだ穴はあるってわかる。でも本当に小さくなった。前まで触るのが怖いくらいだったのに。
生えてきた髪は最初、鳥みたいだった。ぱやぱやでまばらで細くて。元々ものすごい毛量が多くて、それこそ生まれた時からしっかり髪生えた赤ん坊だったから人生で初めてあんな姿になった。でも生え始めてから半年もたったらもうウィッグも帽子もなしで外歩いていた(外国だけど)。あんなベリーショートにしたことなかったし、多分今後もないからそれはそれで楽しかったなって思う。すぐ変な髪形になっちゃうから定期的に美容室に行く必要があったけど、事情を分かってくれる美容室があって定期的に通う習慣がついたのもよかった。今はもうただのショートカットではた目には全く分からないけど、触ると頭のてっぺんと耳の後ろはまだ薄い。初めに抜け始めたところ。ここはどこまで戻るのかこれで完成なのかわからないけど、特に困ることもないからあんまり気にしてない。頭頂部は風吹いたりぬれたりすると少し目立つことがあるから気にするときもあるけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?