二つ目の病院と地震

2回目の手術を受けた病院(病院②)は比較的実家に近い場所にある病院だった。病院①は古くて変わった構造をした建物だったけど、病院②は広くて明るくてきれいで、本当に過ごしやすかった。病院ならではの無機物感というかそういうのはあったけど、窓も大きくて病室も広かった。ここでの担当医だったE先生は坊主金縁丸眼鏡ってなかなか個性的な先生で、とてもやさしい穏やかな先生。澤村先生が信頼している先生だし、この先生も澤村先生のことを信用して尊敬していることがすごく伝わってきて好きだった。たしか前々日の夜に入院して、前の日にいろいろ必要な検査をして(なんでかわからないけど、手術自体はこっちの手術のほうが圧倒的に大がかりだし時間もかかるのに事前の検査項目はこっちのほうが少なかった)手術の事前説明を受けて、じゃぁ明日頑張ろうねって看護師さんと話をした。(ここの手術担当の看護師さんが本当になんというか、強い女性代表みたいな感じの人だった。小柄だけど周りをぐいぐい引っ張っていくような、無理やりではないけどきっちりしていて、とても頼りがいのある人だった。)消灯までにまだ時間があって、でもテレビを見る気にもならなくて、ベッドで手紙を書いた。なぜか全然怖くはなかったけど、万が一の時のために家族に向けての手紙だった。見ようによっては遺書だけど全然そんなつもりはなくて、ただただ手紙。もし意識がない状態になったら延命は望まないとこ。特に残すものもないけど、私のものはすべて好きにしてもらっていいこと。私は未来を生きるために手術を選択したこと。ありったけのありがとうと、大好き。みんなより少しだけ先にお空に行った家族に会いに行って、一緒にみんなのこと見ているって。書きながら号泣したし、今でも実は手元にあるその手紙はたまに思い出して読んでも号泣してしまう。涙のわけって聞かれると難しい。あったかくて苦しくて、申し訳ないもあるのかな、うまく言葉にできない。それは家族以外の人に、もしものことがあったら渡してねって頼んでおいた。結果、私しか読むことがなかったわけだけど。
基本的に入院生活中はいつもあんまり眠れなくて、だらだら起きていることが多かった。だから手術前は緊張して眠れないわけではなかったけど、いつも通り眠れなかった。ただどの病院も起きていると看護婦さんに声かけられちゃうから、寝たふりとかしてた。ぼんやり明日もし死んだらどうなるのかなぁ、とか考えながら寝たら、手術予定日の早朝にいきなり大きく病院が揺れた。寝ていても起きるくらいの地震。ここも比較的老人が多い病院だったけど、みんな起きてわらわら動き出した。結構大きかったなぁ、と思って冷蔵庫の電気見たら消えていて、停電に気づいた。それまで全然平気だったのに、急に今日の手術がどうなるかわからないことにすごく不安になった。今日やるのか、そもそもこの状況でできるのか…って考えていたら少しずつ空が明るくなって、窓から外を見てみたら信号とかも全部電気消えていた。患者のおじいさんたちが廊下で騒がしく話し続けていた。しばらくしたら看護婦さんに促されて病室に戻っていった。何か飲みたかったけど、手術の日は飲食も飲水も禁止だったから手術やるかは不明だったけど我慢していた。しばらくして落ち着いたころにE先生が来てくれて、びっくりしたね、大丈夫?今日は手術やめておこうねって話をした。今日は手術しないけど、家に帰るか聞かれた。病院は非常食もあるし、非常電源もあるから必要なところは電気つくし、トイレもきれいだしこの状況だったら家よりも困らずに過ごせるかもしれないよって言われて、私も同じこと思ったけど、帰ると即答した。病院にいる必要がないならたとえどんなに快適でも病院にいたくなかった。多分家族も私の姿が見えたほうが安心だと思った。母親に帰る連絡をして、なんだか予想外なことになったと窓の外見ながらぼんやりしていると、澤村先生が病室に来てくれた。先生、どうしようって思わず駆け寄った。先生に会って、自分が思っている以上に不安だったと気づいた。その時点で先生はすでにいろんなこと手配してくれていて、11日の手術をずらしたから、あなたの手術は11日にここでやろう、10日のうちに病院に戻ってくればいいからねって説明してくれた。先生が来てくれて、大丈夫って言ってくれて本当に安心した。おそらく非常用缶詰のおいしくない朝ごはんを少し食べながら外を見たら、病院の横のスーパーに大行列ができていた。そうか、ご飯とかお水とか困るのか、でも電気ないしどうやってお店開けるんだろう。冷蔵冷凍ものだめだな。なんてぼんやりいろいろ考えていたら、院長先生も一人一人の様子を確認しに来てくれた。この病院では院長先生も一人でベッドまで様子を確認しに来てくれた。入院中何度も来てくれて、少しだけお話してくれる。とても優しい先生だった。澤村先生が信用している人はみんな信用できた。

地震が来る一日前、本来の手術予定日の前日に妹が病院に来てくれた。その日から、進学で国外に行くことになっていた。空港に行く前に病院に会いに来てくれた。本当に万が一だけど、もしかしたらもう会えないかもしれないって心のどこかで思っていた。いっぱい話をして、たくさん笑って、じゃぁそろそろ行こうかってなったときに抱きしめたら泣いてしまった。きっと、ずっと不安な気持ちのまま笑ってくれていた。自分のことをきちんと自分で決められるとても賢い子で、とてもやさしくて、だから申し訳ないと思った。こんなに不安にさせて泣かせてしまってごめんねって。何の根拠もないけどなぜか自信のある「大丈夫」を伝えた。また会えるから大丈夫。今度は私が会いに行くって。これは1年後に実現するけど、それはまた別の話。


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