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「必死の努力に神は手を差し伸べる」

先日、元京セラ、KDDI、JALの会長をされてあった稲盛さんが亡くなられました。稲盛さんの著作は多く読ませていただきました。感銘するところも多く励ましを受けたことも多くあります。その著作には多くの感銘する言葉がありますが私が一つ上げるとすれば表題の言葉です。

『必死の努力に神は手を差し伸べる』この言葉は、リーマンショックで日本経済が一時的に動かなくなった時の著作の言葉です。嘆き悲しむ時間があれば必死の努力をしなければならない。その努力をすれば神様は手を差し伸べると言う事です。

ではこの必死の努力とは何を意味するのか?
必死の努力とは抽象的な概念でもありますし各自の解釈の問題でもあります。自分は必死の努力のつもりでもほかの方から見ればそう思えないケースも多いはずです。そこで私が考える必死の努力の例を見てみたいと思います。

1.すべての考えられる時間を仕事に充てる。
良く仕事に充てる時間がなかなか取れないという話を聞きますが、それは努力不足と思います。つまり必死の努力はしていない。

2.一番嫌なことをする。
例えば、取引先などにうるさ型の方がいて顔も見たくない等の方がおられると思いますがそのような方に会う。そのような方はあまり相手をする人も少ないので意外にビッグチャンスになることがあります。
また、従業員の方で働きが弱い方、方針がなかなか伝わらない方に積極的にコミニュケーションを取る。これは当たり前のことですがなかなか難しい事でもあります。つまり、退職しそうな人により頑張ってもらえるように最大限の努力をすると言う事です。

3.同業種などで上手くいっている方の真似をする。
同業種で上手くいっている会社の真似をするのは嫌なことだと思います。では、あなたは違うやり方でうまくいっているのか?
上手くいっていればそれをもっと頑張っていけばいいかと思います。そうでなければ真似から再スタートです。必死の努力とはそのようなものだと思います。

4.物事や人をなめたりしない。
謙虚にどこまでもなる。上手くいかない会社は隙があります。数字が不明確な会社は数字で失敗します。つまり数字をなめているからそこに努力をしていないのです。管理を重視していない会社は管理で失敗しますし、営業を重視していない会社は営業で失敗します。
つまり物事や人をなめているのです。もっと謙虚に必死に勉強しなければ努力とは言えません。

他にもありますが今回はこの辺りで。

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