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つまらない過去の話

小学校の頃の私は短距離走が得意だった。

元々、祖父が実業団の陸上選手をしていて、母も走るのが早かったので、遺伝だと思う。陸上のタイムは学年で上位3人の中に入っていた。

小6の頃、市の連合体育大会があった。
そのメンバーは選抜制で、学年の上位20人に入れば、選抜されるとのことだった。私はその選抜にどうしても入りたかった。大会の4ヶ月前と3ヶ月前にタイムを測り、その平均タイムが早い者から選抜されるのだが、4ヶ月前のタイムは100メートル15秒台を記録し、上位3人の中に入った。

しかし、3ヶ月前、自分はスポーツ系の習い事をしていなかった上に夏休み中盤でダラダラと過ごしていたため、タイムは16秒台後半。あのときはすごく後悔した。

しかし、結果的に選抜入りし 大会までの期間、毎日のトレーニングが始まった。内容はフォームの修正や、バトンパスの方法、農道ジョギングなどだった。夏休みだったため、蒸し暑く、過酷であったが、短距離走が好きであった私はトレーニングが楽しくて仕方がなかった。運動公園のレーンでの練習はでかいバスに乗って行ったが、まるで遠足のようでウキウキしていた。他のクラスの選抜メンバーとも仲良くなることができて本当に有意義な時間であったと思う。

そして、いよいよ本番。母が、ユニフォームとハチマキをアイロンがけして、大好きなキティちゃんのキャラ弁を持たせてくれた。憧れていたユニフォームを自分が身につけていることがしあわせであった。

しかし、その日は大雨であった。レーンには水たまりができ、芝生は濡れ、スパイクはドロドロだった。

それでも、大会は行われた。他校の選手たちは皆、サブグラウンドで本気のトレーニングをしていて、かなりプレッシャーであった。私たちもストレッチとバトンパスの最終確認をし、いざ本番を迎えた。

私の小学校は、上位でバトンパスを行っていたが、中盤、数人に追い抜かされた。そして、私の番が来た。バトンを受け取り、がむしゃらに走った。そして、他校の選手を2人も追い越し結果は上位に逆転した。

あのときのうれしさは一生 忘れない。

そして、中学では絶対に陸上部に入ると心に決めた。(実際は7日で転部している)

過去の栄光に縛られて気持ち悪いとは思うが、これが私の誇れることであり自信でもあるから、たまに思い出しては懐かしく思っている。

今日はこの辺で。

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