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文通というやさしいつながり

いつの間にか季節は巡る
新社会人でも新入生でもないし
会社は期末の3月、期首の4月で
切り替わる

この時期は特にとりわけ忙しい
私が主に担当する業務はもう1年を
超えるプロジェクトとなり
ちょっとした金属疲労のように
くたびれてざらざらとしてくる



昨日また少し寒くなり
それでも外を歩くのは楽しい
何をしに出掛けているか
そう、本題

綾野花南さんとはじめた文通の2回目
午前中に届いたおてがみを読んで
さっそくお返事の準備のために
外に出た、というのが顛末


↓文通のはじまり



寒さにからだが緩むけれど
心身は疲れていて
お手紙に頬は緩んで
疲れた気持ちに沁みるように届いた

優しくされたい、とか
承認欲求を得たい、だとか
そういう類のことではなくて
自分が存在している確認、というか
孤独に穴を空けて頂ける、といった
うまく伝えられないものを
誰かから連絡が来ることで得られる気がする

望んで選ぶのが孤高
望まずして入り込むのが孤独
孤独のなかで見えるものもあるけれど
孤独は私自身の存在すら見えなくなる
ような時がある
気づいたらそのまま消えちゃうのか
と思ったりする



あぁ、何というタイミングだったろう

厚く膨らんだ封筒
私のことを考えて選んでくださったもの
お勧めのDVDに特製のブックレット
ぜんぶ私のことを考えて準備してくださった
のかと思うと、申し訳なさが出るほどに
嬉しい気持ちでいっぱいになった

入れて頂いたDVDを観すすめる

『あなたのやさしさをオレは何に例えよう』
♪敗北と死に至る道が生活ならば、と歌い、
そして『とりあえず今みんなのこと好きです』
と叫ぶ姿に、
今の私の孤独に穴を空けてもらえた気がします

昨日のセルフライナーノーツにも書いたけど
お手紙が昨日来てなければ私は連続投稿も
その先も辞めてたかもしれないです

綾野花南さん、ありがとう

さて、お手紙の復路を準備します

文通によるやさしいつながり
皆さんも文通してみませんか?



私とやり取りをしてくださる方々へ

私が孤独の中でも消えずにいられるのは
みなさんのおかげです
哲学における『認識論』と同じで
認識されているからこそ存在している
そう思うのです
コメントやメールや電話でつながって
もらえるから私は私なんだと思います
寂しさを埋めるとかそういうことじゃなくてね

noteを辞めることで得られることと
辞めることで失うこと
天秤にかけるようなことはしたくないけど
みなさんがいるからつづけています

感謝を込めて



綾野花南さんのnote


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