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自分と違う価値観をどう捉えるか〜映画ミッドサマー

■ 台風の長雨は家で映画かな

今週あたまくらいから、急に肋骨あたりが痛くなり、しかも思い当たる節がまるでなく急に痛くなり、日に日に痛さが増すものですから、もしや人生初の骨折というものなのではと疑り出して、整形外科に足を運びました。

お年寄りに混じって、受付時間前に並んで、ぼんやりしながら待って、やはりもうお年寄りに近い技師の方にレントゲンを撮ってもらいましたよ。老老介護や担い手の減少、定年の引き上げ等…つい仕事みたいな発想が浮かんでしまいましたが、それはまた別の話と。んで、結局折れてなかったんですよね。原因はあまり分からずじまいでした。筋膜が損傷してるのかもね、なんて軽く言われて終了。笑

■ ということで、ミッドサマーを観たのです

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作り置きで日々の家事の負担を減らそうということで、グリーンカレーを作りまして(その辺のお店のより美味しいと自分では思ってます/個人の感想)、少しのんびりした気持ちになってから、いよいよミッドサマーを鑑賞開始です。

王様のブランチで紹介されていたのと、ミヤシタパーク近くを通っていた時に公開中で、どうしようかなと思っていたんですよね。

うん、絵は綺麗ですね。スウェーデンの白夜の緑と民族衣装の白は良いコントラストです。音楽もなかなか良いと思いました。

さて、内容ですが、どうなんでしょうね。作り手は何を伝えたかったのか、私は何を感じるべきだったのか…評価や感想のしようが無いなってのが第一感ですかね。

何となく浮かんだのはラース・フォン・トリアー監督とタルコフスキー監督作品のサクリファイスですかね。

奇跡の海は何となく理解や共感のようなものはあるけれど、アンチクライストは何というかグロテスクなものを先に感じてしまったり、宗教観なのか価値観なのか頭良く無いから説明出来ないけど、うーんというものがありました。サクリファイスは、受け止められるものがありました。

違いは何でしょうね。グロテスクな表現があるかないか、なのでしょうかね。

私は特に何らかの宗教観を持っているわけではないですが、道徳的な意味で正しく生きるための教義はどれも参考になります。また、アミニズム的なこと、自然への畏怖のようなものもあります。言葉を恐れずに書けば、どれも人間の弱さのよりどころしてそれらは存在し、自らを戒めるためにルールや価値観が伝えられてきたのではないかと思うわけです。

何か犠牲を払うことでこそ、得られるものがある、これはどの宗教や掟でも同じなのだろうと。超自然的なものに対する畏怖、恐怖における祀りや生贄なのだと。うん、言ってることは分かります。差し出す命の見返りが命や平穏というのは若干矛盾しているんじゃないか?なんて思ったりもするのですが、そこら辺を突っ込むと色々なところから怒られてしまいますのでやめておきます。

日常でもそうですし、異文化に触れてもそうですが、自分と異なる意見や価値観に触れる機会は沢山ありますよね。それを受け流すのか、受け止めるのか、受け入れるのか、対立するのか、常に選択に迫られるわけですが、これはなかなか難しいことですね。バラエティ番組の「どっちのケンミンショー」はローカルな風習の違いを面白おかしく伝えていますが、あれは楽しめる。ハロウィンだとかクリスマス…まあ根付いてますよね。どこから受け入れ難くなるのか…うーん、やっぱり死生観や性などの血生臭いところでは難しくなるのか。外国人の方から見ても、違和感や受け止めにくいお祭りや風習もあるのでしょうね…。

ところで、観ていて、何故彼らは帰らないんだろう、いや帰らないのか?、にしても帰ろうとしないんだなあと思ってました。まあ、その展開にしちゃうと映画として成立しないから仕方ないけど。

というか、大真面目に観てましたけど、あれってホラー映画なんですね笑 考えすぎました笑





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