見出し画像

感じたことをそのまま書き留めると自分のかたちに影が伸びた

ロードムービーのようなにっき
丸一日、何かを感じたら、何を書こうと意識せず
浮かぶままに書き留める

ー朝

誰かの落としたゴミを拾ったら
靴紐がほどけかけていることに気づけた



いつも通りの時間に詩を掲載したら
少しずつ人が集まるみたいにスキをつけて頂けた
あぁ少しずつみんなが一日をはじめてゆく
のだなあと感じた



ウェットティッシュに手を伸ばしたら
中身が空のままだったから、詰め替える
誰かのためではなく、自分のためにしたことが
たまたま誰かの役に立っているくらいが
ちょうど良い



ふと思う
読み合い、スキを付け合うだけの人
全員とお話しをしたらどうなるんだろう
実はすごく気の合う方がいる?
実はすごく熱心に読んでくださっている方がいる?
実はまるで気が合わない人がいるの?
、と
まるでちょっとした内緒の答えあわせをする
みたいで楽しそう

そういえば最近お隣のおばあちゃんと
話をしていなかったなぁ
これとおんなじことだなあ

現実でだって話してみないと分かることがある
話してみたら分かってしまうこともある

現実ではあんなに偉そうに評してたら
嫌われちゃうだろうにどうしてか顔が見えない
だけで許されちゃうのはどうしてかしらね



お手伝いをしているNPOの代表から電話がくる
誰かの記憶のなかにいること
誰かから連絡がくること
他の人には当たり前のことかもしれなくても
私には不思議なこと、貴重なこと
ありがたいな

オフィスに入って挨拶をする
当たり前のように挨拶を返してもらえる
セキュリティカードがないと入れないこの場所に
入れるということも含めて
自分自身が存在していること、そして
何かに属していることを実感する

ー昼

ひとが動いているのを見るのは楽しい
けれど、根本的にひとが怖いと思っているから
自分自身は景色の外にいるような距離感と気持ちで
見ていることに気づく
何かに属しているのに、存在を認知してもらって
いるのに、自分だけそこにいないようにする自分は
少し卑怯だと思った



仕事で電話をしていると、向こう側が見える
自分自身にどんな感情をこめているのか色のようなもので見える

(スピリチュアルなものではなくて輪郭は
おぼろげながら相手のことが見える感覚。
水の壁の向こうに人が立っているくらいの感じ
と言えば良いのかなあ)

同時に、私が私に見られている感覚がする
いや、それは第三者から見た自分自身を
意識しているということ、か
「社会的な存在」ということなのだろうなあ

ー夜

いくつかの気づきは背中をあたりを押し流すような
時間の経過の末に流れてしまった
それらの私自身を自分で捨ててしまったような
気がして、誰に対してというわけでなく申し訳ない
ような気持ちがする
なんでだろ

なんでだろ、と思ったことを
突き詰める時間が欲しいなあ



あと1時間もすれば日付が変わるというのに
帰りの電車の中にいる
眠るまでにすることを考える
明日することを考える

明日が来ると信じている私
明日が来ると思うのなら
もっと積み上げ型ではなくてバックキャストして
考えられるようになりたいな

少し遠い未来のことだって
考えたって良いんだよね

明日の自分が読み返したら
どう思うのだろうか
どれかひとつについて考えを深めたり
重ねたりすることが出来るかな?

何か気づくといいね、明日の私



たんなるにっき(その44)

よろしければサポートをお願いします。自費出版(紙の本)の費用に充てたいと思います