ファミレスの裏側②デキる社員はとんだ浮気男だった
店がピンチの時は素晴らしい采配を振るうも、深夜になるとあほみたいに腑抜けになる佐藤孝雄という名の社員。
深夜という人間らしからぬ時間に働いて頭のネジが飛んでしまったのか、控え室に22歳の女と2人きりという状況に何かが抑えきれなくなったらしい。
付き合ってもいない女性をいきなり背後から抱きしめて首筋にキスをする。
このようなシチュエーションは、ドラマかワイドショーの再現VTRの中だけの話だと思っていた。
私は現実のものとも思えぬ今の状況を、必死に理解しようとパニックになる自分を制して脳みそを働かせた。
何かを言おうと思っても、まったく言葉にならない。ただ、この状況はまずいと思った。限りなくまずい。そろそろ深夜スタッフ達が控え室に戻ってくる時間だし、何より私は今この男が怖い。何をしようとしているのだ?
佐藤孝雄は言う。
「あねごんさん、前から好きでした。付き合って下さい」
いやいやいやいや、絶対おかしいって!私はあまり頭は良くないけど、そんな私でもすぐに分かる嘘だ。
「付き合うって・・・佐藤さん結婚されてるじゃないですか」
「妻とは別れる」
はい、出ました!男の3大嘘の1つとして世界中に知られている言葉。「妻とは別れる」
女の「え?別に怒ってないよ」と同じくらいの確率で、男の「妻とは別れる」は嘘である。
「ああ・・・」と私は幻滅した。
佐藤孝雄。アルバイトの若い子たちから大人気で、ピンチの時には素晴らしい陣頭指揮を執るディナータイムの武将。そんな人がただこの場の欲求を満たすだけのためにたまたま朝やってきた女に抱き付き、私にも見抜ける王道の嘘をつく人だったとは!しかもおそらく初犯じゃないと感じた。私はひどく残念な気持ちになった。
「誰かの家庭を壊してまで誰かと付き合いたくありません。お子さん、この間1歳になったばかりでしたよね?写真見せてもらいましたけどすごく可愛い。ご家族を大切にしてあげてください」
細部までは覚えていないが、このようなことを一気に喋った。22歳にしては我ながら正論だ。面白くはないが正しい。
佐藤孝雄の腕と体が私の背中からふっと離れた。彼はふらふらと後ずさりしながら椅子に座り、テーブルに肘をついて頭を抱えた。
私は黙ってユニフォームを整えネームプレートを付け直した。背中が汗でびしょびしょになっている。佐藤孝雄の体温と、緊張した私の冷や汗と、夏の暑さのせいである。1秒も早くここを去りたい気持ちでいっぱいだった。でも待って。何も言わないで今ここを去ったら、明日からの仕事気まずくない?「何かフォローの一言を入れておかなければ」と正論マンは考えた。
「すみません、あの・・・お付き合いはできませんが尊敬はしていますので」
佐藤孝雄は「僕、今情けないよな?軽蔑した?」と聞いた。
ええ、大いに軽蔑&失望です・・・なんて言えるわけないわ。
「いえ、別にそこまでは」
「僕さ、誕生日が2月14日なんだよね。バレンタインデー。チョコはくれるよね?」
これがこの男のやり方か。だんだん要求のハードルを下げて自分の意に沿うように持っていき、最後はすべてを手に入れようとするのだろう。さすが武将だ。
彼は夏休みのディナータイムの嵐のようなラッシュアワーが過ぎるとよくこんなことを言っていた。「どうにも手が付けられない、営業が回らないという時こそ冷静にできることを丁寧に片づけていくこと。決してあせらずあきらめず、今できることを少しづつやっていけば、ほどけなくなった糸がほどけるように営業は回るようになっていく」
この言葉が今や、女を落とす時のマインドの話かと思えてくる。付き合うのが無理と言われたら誕生日プレゼント。奇しくも2月14日産まれであることを最大限に生かして女性の方から行動させて・・・次の手を考える。私は頭は良くないが、下心くらいは見破れる。
「そういう気持ち悪いことはしません」
口から出てしまった自分の言葉に震えた。ひどい?やっぱりひどいかな?私言いすぎた?正論マンの自問自答が止まらない。
「もしその気になったらいつでもちょうだいね。待ってるから。そしてお付き合いの件、もう一度考えておいて」と佐藤孝雄。
うん、私ひどくない。さっきの言葉、彼にぜんぜん届いてない。
〜〜〜〜
それから数ヶ月後、ディナータイムに働くあるアルバイトの女子大生が「相談がある」と言うので一緒に食事をすることになった。
「私、彼氏のことで悩んでて・・・」
「ごめん、私恋愛のことは疎すぎて分からないよ。正論しか言えないんだ・・・」
「聞いてくれるだけでいいの。実はね私の彼氏、うちの店の社員なんだけど、奥さんと別れるって言いながらぜんぜん別れてくれないの。私どうすればいいんだろう?」
もうほんと、
やめとけーー!!
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