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落ち込むとわかっているのに

自分はどうして、落ち込むとわかっているのについ、その落ち込むような物事に首を突っ込んでしまうのだろう。

最近、母と話して落ち込んだ。
やはり私と母は相容れないと思う。全然違う考え方をお互いもっているし、違いを母は柔軟に受け入れられるタイプで無い。

私は実家にいるといつも具合が悪いし、親と話したあとは何だかモヤモヤした気分になる。

ただ、どうしてこの事を忘れてまたふと電話をかけてしまうのかと言えば、きっとマレーシアの文化に影響を受けている部分があると思う。

マレーシア人は、家族との距離が近い。
子供が大学生になってもなお、学校まで車で送り迎えしたり、週末になるとみんな爆速で実家に帰ったりしている。

そのような生活で息が詰まらないのかと、とても不思議に思う。私は早く家から出たかったし、東京は何だかすごい街で飽きなかった。

ただマレーシアは日本と違って、まだまだ不便な点が多い。だからこそ、家族が協力しないと生きていけない。1人で生きることは中々、難しい国である。

嬉しい事に最近になって仲の良い友達がこちらで出来、毎日楽しく暮らしている。その子たちとたくさん会話をする中で、『家族』のトピックは多々登場する。
ママがこんなこと言ってた、ママと電話した。

家族の話になる度に、私の母は元気だろうか、父は仕事でやはり忙しいのだろうか、と思いを馳せてしまい、ちょっと電話してみようかななんて思ってしまう。


そして電話をすると、私の話を聞いてもらうと言うより母のご機嫌取りに回らなければならず、
グサッと刺さる言葉を言われても電話で喧嘩するわけにもいかないから、とにかく平穏に、平穏にと丸め込む。


いい加減、やめてほしい、自分。
もうしばらく電話なんてしないんだから!

とまぁ、さておき。


マレーシアに来てからとても元気になった。
天気が良いからかもしれないし、人々がフレンドリーだからかもしれないし、
または社会がゆっくり動いているからかもしれない。

私は東京の大学生だった。印象にあるのは、みな急いでいたこと。

歩くのも早いし、レジに並んでる人達はイライラしているし、バイトのチーフ、店長もいつもイライラしていた。


こちらの人は、待たされてもそれが当然で、待ち時間を自分なりに楽しんでいる。
出来なくたって仕方ないよね、ってある種の諦めというか、または人に期待しないなぁというのも感じる。

私の地域、駅まで行くバスは30分に1本。
それも時刻表なんてないから、とりあえず最大30分待っとけばいつか来るっしょ、みたいなノリ。


仕事は日本でみつけようかと思っていたけれど、案外こちらの国の方が私に合っているかもなぁ。

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