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「いわゆる学び」へ向けた北国からのまなざし

自分のポッドキャスト番組とはトンマナが合わないが、さりとてTwitterやthreadsの激流に流すには忍びない。そう感じた考え事をのこすショート・エッセイです。

「学び」がどうやらブームらしい。ずっとブームだったんじゃないか?とは思いつつ、日々ポッドキャストの海を漂っていると「学び・知識・教養・ナレッジ」といった言葉が流木のように、ちらほらと目に映る。

自然に関するポッドキャスト番組を制作し、出演していた時にはこうしたトレンドと言うか…ニーズというものを正直なところ意識していた。

企画の中では「自然に対する眼差しを深められるが伝え方に乏しい北海道シラオイ町」と「SDGsブームなど自然を意識した活動の要請が日増しに強まる中、なかなか視点を深めることができない都会の方々」の橋渡しとしてポッドキャストをリリースすることを強く意識していた。

ビジネスにおいてはタイミングが重要と言われるけど、まさにそのタイミングがバッチリだったのだろう。自然界から一つのテーマをピックアップして、その面白さを伝えるミモリラジオはある時から、スルスルと受け入れられていった。

企画時点の仮説を裏付けるかのようにリスナーの過半数は東京をはじめとした首都圏で「橋渡しできてるねぇ!!!!!」と盛大にテンションが上がっていた感覚は鮮明に覚えている。

いまも森はよく歩く

そしていま。
自分1人だけの体制で KANNNOME という番組を作りながらポッドキャストの海を漂っていると「ちょっと学びが多すぎないか…?」という感慨が湧いてしまっている。

これは誰が悪いわけでもなく、強いていうなら僕が悪い。ナレッジ系Webメディアのノリをドライブさせまくった経験と、僕の飽き性さが日本のポッドキャストシーンにおける「過剰な学び」を意識させてしまっているわけなのだ。

さりとて「学び」のことについて大上段から語るほど、僕は学びについて下調べしていない。むむ、しかしこれは昨今の「学びの過剰」に気圧されていて、自分の意見をいうことに臆病になっているだけなんじゃないか?

むむむ、しかしやはり多少は下調べをしないと不快な思いをされかねないし「思いて学ばざれば相当ヤバいよ」と古代中国の子も言ってたんじゃなかったか、となる。

要はなんか、息苦しいのです。

漂っている海に流木がちょこちょこある程度だと愛でられるけど、それが過剰となりイガイガしてきている。しかも流木の中には「学んで自分の人生を生き抜く武器としなければ!」というなんとも言えない切迫感が滲み出ていたりする。

これくらい素朴でご機嫌なのがいいのだ

コテコテのナレッジ系ポッドキャストをやっていたから完全にブーメランだけど、もちょっと気楽にいきたいねぇと思ってきてしまったのです。

これからも作ることには真剣だけど、中身は「あーくだらなかった」で忘れてもらって構わない。たまにスーパーでパセリにチラっと目線を向けたり、東京にいながらお休みの日に土器作りをしたり、道路脇に立つささやかなキロポストをスマホで撮ってもらえたら、それはもう最高なくらいなのです。

そして僕が一つだけ姿勢をただして言えるとするならば「知識は面白いからこそ、学びや教養の構成要素になりうるんじゃないかな」ということ。これだけ伝えていきたいかなぁと思っております。

ところ変われば教養の構成要素も変わる。
その構成要素はシェイクスピアかもしれないしFishmansかもしれないし、はたまた村上隆かもしれないし和歌かもしれない。スマブラやFPSかもしれないのです。パセリや土器や、千葉の森や道路標識かもしれない。

しかし全て少なくとも、ある特定の条件下においては「面白いこと」として存在してくれている。普遍的につまんないことだけはあり得なさそうで。

だからこそ僕はこれから「何かに役立つか」とは関係ないところを掘って楽しんでいきながら「視界が変わるような楽しさ」をちょっとずつシェアしていこうと思っております。

500字程度のつもりがあっという間に1600字じゃないか。

よく見るけどスルーしちゃうやつ
C分離形超音波式車両感知器と言います

超音波を出して車の通過情報をチェック
交通状況調べたり信号を切り替えたり
こちらの機器はオムロン製

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ミモリラジオ


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