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ぼくとおじさんと - 不思議な夢を見た

番外編①不思議な夢を見た ep.4

おじさんが続ける。
「武志の夢の世界は、分かりやすく日本と考えても、太平洋端に浮かぶこの国の歴史の不合理なことを除去して、合理的かつ効率的な社会を作っていることを思わせるな。
武志が真剣に話すのを聞きながら、これは本当にあるもう一つの世界からの現状報告で、我々の作り上げた世界の負の部分を見据えて作り上げたもう一人の我々の側の社会なのではないかと思えてきたよ。」
「もう一人の我々って何ですか。」
「つまり何ていうか、もう一人の武志が住んでいる世界で、そこにもう一人の俺なり人々がいるという事だ。」
「もっと分からなくなった。夢の話ですよ。」
僕はそうおじさんに応えながら、夢の中での手触りや景色に現実味を感じた事はもう一人の自分がいるというおじさんの話しと共通する。

「しかし、思い返すな・・・。俺たちの若い時にはUFOとか超常現象とかいう話しが流行って俺もいろんな本を読んだり、テレビもそんな特集をやっていて血眼で見たものだが、そのうちそんなブームも過ぎてしまった。
UFOも乗っているのは宇宙人だとか地底人だとか未来人とかいろいろ言われたが、結局宇宙人にも会えず、UFOの飛来する目的も分からないままでしぼんでしまったのだが、武志が夢で見たようなもうひとりの世界の人が我々の世界の事を調べに来て、その不合理な事柄をチェックして彼らの世界の理想社会を作る事が目的だったとしたら、UFOなり飛来した目的が分かる気がするな。
あくまでももう一つの世界からの観察者であり、武志の夢では夢という方法で意識が往来しているという事だがね。」
「僕が見た夢の事でぼく自身が訊くのもおかしいのだけど、おじさんの言うもう一つの世界と夢の事を、まず説明してくださいよ。」
僕の夢で困惑している僕自身に、おじさんの話はもっと困惑させるものだ。それもおじさんの顔がもともと真面目顔なので、そんな顔で話されると、何が夢で何が現実か分からなくなってきた。それでもおじさんは続ける。
「夢の世界と言ったが、夢を媒介にしたもう一つの世界があって、そこに今の俺とは別にもう一人の俺のいる世界の事だよ。
つまり二つの世界があるという事だ。
夢に関しては、100年前のフロイトが研究というより患者を調べて精神分析学を打ち立てたが、これは被験者の意識の分析が目的だった。
もう一つの世界に関しては武志という人間の反武志の存在、つまり反世界の事だ。反物質反粒子、反世界に関してはこれもまた100年ほど前のポール・ディラックという物理学者が相対論的なディラック方程式を導き出している。その前にアイシュタインが一般相対性理論を発表していた。
反物質とは要するに、ある物質に比べて質量とスピンつまり回転が同じで、それを構成する素粒子の電荷が全く逆の性質を持つ素粒子で構成される物質の事だ。
欧州原子核研究機構CERNが反水素を作り、アメリカでも反ヘリュウムの原子核を合成している。
もっとも物質と反物質が衝突すると対消滅を起こし、質量がエネルギーとなって相当量のエネルギーを放出することになる。
武志も知っているアイシュタインのE=C²Mで分かるように、原爆による物質のエネルギー化だ。これはものすごいエネルギーになる。
初期宇宙誕生の時、物質と反物質の対生成と対消滅が一瞬のうちに無限の回数起こり、その結果現在の宇宙が出来たと言われている。
宇宙は多元的と言われているように反物質・反世界の存在は否定できないとも言われているんだ。
確かに宇宙の事は、宇宙の成分の95%が未だ分からないように、正体不明の物質のダークマターや正体不明のエネルギーと言われるダークエネルギーに満ちている。
だからこの世界も多次元で出来ていて、ダークマターと言われるものも反世界の存在も含めて次元を違えて存在しているのだろう。
だから武志が見た世界は、そういったもう一人の武志の世界なのかも知れない。
それが夢を媒介にしたというのは、武志のもう一人の武志との交信の仕方なのかも知れない。
昔から人間には第六感があると言われてきたが、今の俺たちには廃れてしまった第六感というのは、そのように違う世界との交信や交流、起こるべき未来を見る能力の事なのかも知れないな。」
おじさんはそう言うと、ふところから煙草を一本取り出し、火をつけて吸い込むとまた大きく煙を吐き出した。おじさんが煙草を深く吸うのは、いつも一仕事終えた時だ。亡くなったおばさんがいれば、お茶を持ってきてくれるのだが。という事は、僕の夢の話は反物質の僕の世界との交信ということで終わるという事なのだろうか。

何か僕の夢の話が科学の話まで進んでしまった。そのことを今の僕の頭では理解できないが、夢の中での実際の感触は理屈以上に現実的なことなので、おじさんと一緒に納得するしかないだろう。
「反世界で、武志の反世界には俺はいたのだろうか。武志と俺が今と同じことを別世界でやるなんて考えられないから、俺には俺の別世界があるのだろう。この宇宙と言おうか世界は多元的であり無限だからな。
なにせ宇宙は無限にしかも加速度的に広がっているというが、俺たちには想像さえできない事だしな。
だから多元的な世界が無限にあっても、想像は出来ないが納得するしかないだろうな。
ふと思ったんだが、俺たちは死んだら体は滅びるが、武志の夢のように違う世界で生きているのかも知れないな。
それはそれで面白いと思う。
俺が死んで、違う世界で生まれるということもあり得る。それを生まれ変わりというのだろうが。
だから生まれたての子供は前世の事を覚えているが、やがて忘却というかっての世界に記憶を置いてくるのだろう。そんな話は結構聞く話だよ。
死にかけた自分が、自分を離れてベットに横たわる自分を見ていたという話もそうだ。
武志の夢の話と同じで現実の醒めてる自分と夢の中の自分との間、死につつある意識の中で、反世界に入りかけて見た事なのだろう。それが死なずに元の世界に戻って来たので、そんなことが言えるのだろう。
俺たちのこの世界の事も、まだまだ分からない事が沢山ある事は武志も知っていると思うが、目に見える世界も実は分からない事ばかりなのだ。
だから科学にしても、毎日多くの科学者が汗を流して未知な世界に挑戦していると言っていいのだ。不思議が沢山あるのが現実社会なのだよ。」

おじさんの話では、夢が反物質の僕との交流という事から始まって、死の世界の話まで進んでしまったようだ。それも人類の発生から現代まで、人類は反物質の世界と付き合ってきたのだろうか。そんな歴史の証拠となるものがあるのだろうか。
「反物質のことに戻すと、地球があって反地球が理論上あるとして、そこでは正反別々に生きて別々の歴史があるだろうし、次元を別にしているとして時間の進み方も違えば、夢の話も今の武志の時代とは違う時代の武志と話をしていたのかもしれないな。」
反物質からして、僕はもっと分からなくなった。
「ところで、夢の中でのもう一人の武志自身の顔を見たのか。もう一人の自分なんて言っているが顔も同じだったのか。」
えっ、と驚いた。夢には鏡もなかったし、自分の顔を見直すなんてことはなかった。
という事は、違う顔の僕がいたとすれば、僕は一体何なんだ。
「良く分かりませんね。違う顔だとすると、他人の僕ですか。」
「違う顔でもいいよ。今と同じ時間で考える事は難しいからね。つまり違う時代の違う時間の違う世界と考えると、顔なんて違って当然だよ。」
「じゃあ、なんで僕が僕としてそこにいるんですか。」
「反世界の事を言ったが、同じ粒子の反粒子は時間の動きにずれがある事が知られている。つまり反武志は武志であっても違っていいという事だ。」
「違う世界の僕とここにいる僕とは何が違うのですか。よく分からない。」
「違っていいとは言ったが、共通するのは夢を通して意識が通じているという事だ。つまり人間は脳の働きで意識するのだが、意識そのものは意識しないところ、いわゆる無意識・深層意識が昔から知られていて、それが眠りとか意識の薄れた時に顕現して夢となるのかもしれないな。
昔からの無意識の問題としては、仏教でいえば唯識派の無意識のうちのアラヤ識などは普段行き着けない無意識の世界なのだが、脳の働きだけで意識、無意識という世界があるのか、脳を媒介としつつも人間のエネルギーで作られたものが意識であるとして、意識も無意識も人間の体を超えてエネルギーとして存在するならば、時空を超えてのエネルギー交換の手段として無意識の働く夢があるのかもしれない。
物質と反物質は接触すると爆発、消滅してしまうが、夢や意識は物質ではないから情報交換は可能なのだ。
まてよ、人が死んだ時、わずかながら体重が軽くなるというが、それは魂の重さかな。質量があると反世界や他次元に行きずらいよな。
ただ、意識に質量が無ければ可能だな。
この夢という交通手段を通して違う世界を見ることができた人が古来多くいて、現実世界との乖離を感じてその疎外物や人に抗議、啓蒙してきたのかもしれないな。
だから本来の合理的な世界を見た人が、現状を変えようとしてイエスとか預言者とかが出てきたのかもしれない。そう考えると、現実味のある武志の夢も捨てたもんじゃないだろうよ。
夢を夢で終わらせるのではなくそれを実現させる現情変革の闘士となるなら、武志よ、お前も将来現代のイエスとして歴史の記録に残るだろう。
俺たちの歴史は有史以来、記録が刻まれて現代にいたるからね。お前の名も残ることになる。」

夢が科学になり、今、救世主イエスまでたどり着いた。
僕が僕でない世界に混乱している僕はどうすればいいのだろうか。
地球上に生命が生まれ海から地上に上がり恐竜を恐れながら生き延びた人類の長い歴史の一コマの世界に生きている僕には、人類という間口の延びた、なが~い歴史の隅に佇む影のような存在でしかないだろう。
「医学の発生学講義でいつも言われるが、胎児の発生は魚の形から始まり時代の流れを追うように形成も変化していくという。そこにはそれまで生きてきたことの記憶がカプセルで入っていかも知れない。そこには、たとえ個人であれ先祖の生きていた記録を証明できるものがあると思うよ。武志の夢の話も、証拠といえば証拠になるさ。」
夢が証拠と言うのは無理があるが、歴史を胎児の発生学に比べるのはおじさんらしいのかも知れない。
「おじさん、僕が発生学の話しとして聞いて知っているのは女性器は最初、男性器の形を経て女性器になるということでしたが、その辺の話はおじさんの話とどういう関係になるのですか。」
「発生学的なことで人類の発生の歴史が女性の体内の胎児の形成の中にあるという事で俺は述べたのだが、最後の男性器態から女性器の形成に関しては、最終的にはオンナが強くなるということなのかな。女性は男より長生きするし、家庭でも女は強い。
なんせ、女性の存在は日本経済の国内総生産GDPのデーターを見る限り、60%の消費の中で80%は女性による買い物だ。経済の消費の対象には女性の存在が欠かせないのだ。女性が男の胃袋を握っているからな。
もっとも女性の買い物の80%は衝動買いと言われているがね。
女は強い。そこには男の悲しい歴史が延々と胎児形成・成長のあかしとして刻まれているのだろう。そうじゃないか、武志。
武志の夢の世界の、男女の歴史も今度教えてくれよ。」
期待をしておじさんの話を聞きに来たのだけれど、悲しい話で終わりそうなので早めに引き払うことにする。
ただ、女性に関してはおじさんのようには僕は考えていない。女性は子供を産む。これは男にはできない事で、古代から女性が子供を産み子孫を増やして来た。古代では多くの子供が死んでいたから女性は絶えず子供を産み共同体を作ってきた。共同体の軸に女性が居て、男たちはそれを支える役割があったのかもしれない。
男女平等は権利として当然なのだが、今騒がれる少子化の原因は女性が子供を産めない社会、女性を大事にしなかった結果なのかもしれない。つまり、人類の進歩に反した社会のことかも知れないと、僕はふと思った。
今日は、文乃が早めに帰って夕食の支度をしているころだ。
僕が帰り支度をしようとすると、おじさんが僕の夢に関して言葉を付け加えた。
「武志、今日の話は面白かった。
夢は夢で、時間が過ぎれば見た本人からも忘れられてしまうものだが、お前が話してくれたことで俺も夢を見させてもらったよ。
ありがとさんよ。
反世界というのは、あくまでも俺の解釈だが、お前の見た世界は実は俺たちみんなが目指している世界なのかもしれない。
お前の見た夢の中の社会、これは理想というものではなく、当然にあるべき世界、あるべき社会だろう。そして、そんなあるべき社会に向けて、何がどう阻害しているのかの現実が良く分かるものだ。
その上で今何をしなければならないのか見えてくるはずだ。それは俺たちのためというより、俺たちの子供たちが住みやすい社会を俺たちが作ってあげる責任があるという事でもあるんだ。
今あるいびつで不経済で暮らしづらい社会を作り、そのまま容認してきた責任は俺たちにもあるからだ。
武志、お前の夢の風景は絶対忘れるな。そしてまた見たら、必ず俺に報告してくれ。」

熱いおじさんに挨拶をして、独り身のおじさんの家の玄関を出た。
外はもう日が落ち、闇がかかっていた。
今日は帰って文に夢の話しをして、そして僕たちが待ち望んでいる子供の話をしてみたいと思った。

明日、除夜の鐘を聞けば、新しい年が明ける。

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