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ぼくとおじさんと - 不思議な夢を見た

番外編①不思議な夢を見た ep.3

「武志の夢の話を聞いていると、マルクスの時代の社会主義・共産主義という理想の世界とはちと違うようだな。
もっともマルクス自身は社会主義や共産主義という言葉をあまり使っていないんだ。代わりにアソシエーションという言葉は多い。
さっき武志が言ったのは『共産党宣言』の有名な言葉だが、マルクスは諸階級と階級対立をともなうブルジョア社会に代わって、各人の自由な展開が万人の自由な展開の条件であるような一つのアソシエーションが出現すると言っている。
コミュニティは、あるべき状態を表現する言葉だが、アソシエーションは目的意識を持った動的な言葉だね。
だからブルジョア社会の資本主義を変えてゆくこと、マルクスの言葉を借りて言うと共産主義というのは理想郷なのではなく今ある現状を『止揚』する現実の運動を共産主義という事なんだ。
だから今ある社会主義国というものも、理想としての社会主義もマルクスの頭になかったわけだ。
『止揚』つまりアウフヘーベンというのは、現状を単に物事を変えるというのではなく正と反という矛盾したものを一段高めて利用、発展させるという事だから、武志の夢にあった合理的な世界が、僕たちの手によって現状や現実をどうアウフヘーベンしていくのかという目安にはなるよな。
さっきから武志の話を聞きながら、そんなことを考えて聞いていたんだ。
ところで夢の話には車とか交通手段、流通方法の話はなかったが、その辺はどうなっていたのだ。」
確かに夢の中では車は走っていなかった。物の輸送、配送はどうするのだろうか。
ただ、僕の頭の中では僕の知っている数式とは違う数式が渦巻いていた。何か合理的なことがそこに書いてあるのだろうが、数学の苦手な僕にはそれさえも説明できない。それと交通手段と関係があったのか。
「確かに車らしいものは見ていなかったのですが、代わりに輸送手段は必要ですよね。ただ、夢の世界は徹底していて、空間のゆがみとか科学の利用が進んでいて、僕たちの科学よりもより合理的に輸送の方法はあるのだと思います。
他の異なる世界との交易の話がありましたが、警察がない代わりに武器もなく、またその世界を守るための装置はあるようで、日本国憲法の専守防衛に徹しているようです。もし侵略のようなことがあっても水際で全て解決できるようです。それも空間のひずみの利用なのか、彼らの高い知能の結果なのか分からないのですが。」
僕は言葉をつぐんだ。話してはいけない事なのかは分からないがもう一人の僕がべらべらと話す僕をけん制しているような気持ではあった。
ただ、そうなると僕でない僕が話し出す。
「喧嘩や泥棒がいないので警察は無いのですが、何かあっても自分で自分を守るセルフガードがあるのですね。だから誰も他人に手を挙げる事がないのです。国と言えるか、その世界もセルフガードが付いていて、攻撃があっても攻撃を無力化することができるので誰も不安を感じずに暮らしているのですね。」
僕はまた、夢の世界の代理人になって話をしているようだ。夢の中の自分は夢を見ている自分を自覚していたが、今の自分は現実の中で夢の自分を演じているようだ。
「車も交通手段として発達してきましたが、夢の中では人が主体で歩く速度も自由にできて、荷物運びも自分の空間にある配送・運搬の位相に置けば何処にも運ぶことができますよ。車という物騒なものは無かったですね。」
確かに車はなかったように思う。僕の世界では、車で事故死する人の数もバカにならない。
「今ぼくが思い出したのは、夢の中の僕の頭の中に色々な計算数字が溢れていたのだけど、僕たちの数学と違っていたよ。僕たちの知っている数字はゼロから始まるけれど、夢の中では10や100や1000までも一つの単位としてあって、数式だと思うけれど僕たちとは違う数式でそれらの単位を組み合わせてより高い数学の計算をしていたんだ。
僕にとってちんぷんかんぷんだったのは、その数式らしきものの存在が頭にあっても、それを理解する素地がないので理解できなかったのだと思うんだ。
だから夢の中では色々なデーターと計算でいろんなことができていたんだ。」
僕は話しながらおじさんの顔色を窺っていた。
自分でも良く分からない事を自分の話として話している僕のことを、おじさんは黙って聞いてくれているようだが、作りごとの夢物語として相手にはしていないのではないかという気持ちもぼくにはあるからだ。
夢で見た、夢のような話を、他人に話しても相手にはしてくれない。
おじさんに話すことで、カネのない世界に僕が近づけるアドバイスがあれば、話した苦労もあがなえる。
もしそうでなくても、こんな夢の話をする僕の精神状態を分析してくれるかもしれない。
とりあえず話続ける事で、おじさんからの返事を待とう。
「そうそう、僕が夢の中でいいなと思ったのは、山間部に住んでる人が海辺で生活したいと思ったらそのまま移住できるという事だった。
山の仕事から海の仕事をすることになるのだけれど、システム的に何の問題もなく、その人の日常には何の変化もないんだ。
そこでは子供の教育の仕事をしながら、システムとしての海の仕事とメインの人相手の仕事、そして自分の研究を他人を交えてした後に、自由な時間は海で家族と遊べる。
自分の一日が他人を交えながら自己管理している。ベストな生活ライフだよ。」
するとおじさんが口を挟んだ。
「素晴らしい夢世界だが、そこまで至る歴史が知りたいね。
つまり、武志の夢は人みんなが満足している世界だが、俺たちからすればそのような世界をどう作るのかという問題提起なのだろう。
そのような理想を提起し、それに向かって作り上げた方法を知りたいよね。
どのようにしてそのような環境を作ったのか、それともそのような環境だから色々できたのか。
夢の世界にある人々の生きてきた歴史が知りたいね。」
「僕が分かるのは、歴史とは作るものであり、自分たちがやってきた事や先人のやってきた事が僕たちの言う時間的な歴史なのかもしれないが、夢の世界の歴史は時空を超えて人類の位相を超えて見える世界を教訓として作られた自分たちの世界だという事しか、今の僕にはわからない。
つまり、その人が生きている生活時間が歴史なんだ。
自分の幸せが他人の幸せである事がすべての出発なんで、すべての人が幸せであることが、この夢の中で生きる人の目的として働いているんだ。
今の僕がこんなことを言うと、単なる理想論的な夢の話だけど、小さい時から大人と一緒に学ぶことがそうだから、分かりづらいかもしれないがそこでは理想ではなく現実なんだ。
そこでは自分を離れて過去はあり得ないし、過去まで行ける技術と能力があれば、時空を超えて見える人間、人類の間違いや失敗も教訓としてあるから、そうでない世界つまり間違いや失敗のない自分たちの社会づくりも良く見えていると思うんだ。
だから生きている自分の歴史があるので、自分を離れて、つまり死んだら僕の世界は終わりで、他者のそれぞれの人たちが共通の、より良い環境、社会を作っていくことになる。
つまり僕たちの世界の歴史とは過去の失敗の歴史を無批判に見ているだけのことで、夢の世界の僕たちの歴史とは過去ではなく未来を造っていくという事が時間認識の基本にあるということだね。
だから無駄な政府も議会も会社もなく、すべての人が同じ水平線上に共存し、共に食うために働き、より良い社会、世界を作ろうとしているのが夢の世界での僕が見た事学んだことなんだ。
過去の時間軸をぶら下げて歴史と言っているけど、夢の僕にとってはそんな歴史は無いわけで、あるのはこれから作り出す有意義な共有時間という前向きな時間のことになるのかな。
それと、これは大事なことだと感じたのは、僕のいたところは元々火山地帯の上で暮らしていて、火山地帯では空間のひずみが大きくてそこにたまったエネルギーを利用して、それを資源として通信をあらゆる場所で可能としたり生活手段に色々使っていた。人々は、そのエネルギーで生活しているんだ。
人のエネルギーも、それに合わせて行動の中に取り入れている。早く目的地に歩いていくとかね。
だから自分のセキュリティも全地域の空間的な防衛もそれが可能となっているんだ。
確かにエネルギーと言えば、今、人間の生活も地上の生き物の営みも太陽のエネルギーを使っているよね。太陽のエネルギーで地球生命は生きてきたんだ。地球とそこにある空間のエネルギーはそれと同じで、エネルギーと言われるものの本質を理解し、それを効率的に使うことで生活の向上を図っている世界ですね。」
僕はしゃあしゃあと話しているが、自分の生きてる世界とは別の世界の事をよく自信をもって話が出来るものだと自分で感心してしまった。
そんな話をしながら、僕は夢の中で色々な事を見てきたようだ、と言うより夢の中のもう一人の自分から色々教わっていると言える。自分が興奮しておじさんに話をしたのも、そんな体験を話ししたかったからだろうと、ふと思った。
おじさんは「うーん」と唸りだし、もう無くなったコーヒーの紙カップの底を覗いて握りつぶし、横にあるごみ箱にポイと捨てた。
「武志、台所に缶コーヒーがあるので俺とおまえの分持ってきてくれないか。」
僕の夢の話を真剣に考えているのだろうか、唸りながら目は天井を睨みつけている。
僕は、おじさんが軽くワハハと笑いながら落語を聞く感じで受けてくれると思って話をしていたのだが、おじさんの気真面目な性格なのか、夢の世界に生きているような人なので夢の話に共感してしまったのか、話を持ってきた僕が少々驚いている。
おじさんが、また話し出す。
「武志の夢の話で面白いのは、学校がないというところだ。
人間は子供の小さい時から、そして大人になっても知識欲や想像力に満ちている。
明治に入って日本を訪れた外国人は日本の子供たちの識字率の高さに驚いていたというが、
昔から大人は子供たちに農業なり技術を教えていた。江戸時代には寺子屋で読み書き計算を教えていた。それはその時代の社会に生きることの出来る方法を子供たちに教えていたからだ。
寺子屋は一般的ではなかったが、徳川時代までの庶民への優れた教育方法だったのだ。
ところで、明治政府の課題は富国強兵で他の先進国に負けないための教育の整備、充実だった。
そのためにまず学校を建てた。義務教育は、第一に子供を学校に行かせることだった。
学校では集団教育として富国強兵の国力基盤の支柱作りが基本だった。
そのために帝国諸国に倣い、精神的には天皇を軸とした制度のもと、教育勅語や国に奉仕・滅私することを教育の基本としてきた。
それは戦後も、戦争で犯した様々な事柄を反省もなく政府も官僚も今なお続けている。
武志の夢の世界では学校という制度はなく、それでも大人たちがそれぞれ子供たちを教育している。そしてそれは目の前の社会や世界の中でどのように生きていくのかという生きた教育だ。子供たちが学び、遊び合う中で、それぞれが向き合う生活・社会の目的を理解して共に働いているわけだ。教育というのは教える事より学び合うこと、実はこれが大事なことなんだ。
自分たちが生きている理由と目的が養われていると言える。」
一息つくと、おじさんは小さなテーブルに肘をついてポケットから煙草を取り出した。
煙草に火をつけ深く息を吸い込むと口をすぼめ、天井に向けて煙を吐き出す。
そして残った缶コーヒーを飲み干すと僕に向き直した。
「武志の話を聞いていて、自由な世界のイメージで最初に縄文時代の事が思い浮かんでいたんだ。縄文時代と言っても、ピンとこないかもしれないがな。
縄文とか弥生とか、言葉だけで時代を区切って古い時代という事で終わっているが、もっとも、縄文と言うのは大森貝塚を発見したモースが発掘調査報告書にCORD-MARKEDという言葉で縄目の土器を紹介していたことから縄文時代としたのだが、1万年も超える時代を縄文で括るのは問題があると思うがね。縄文も縄紋という文字にした方が正確だし、出てきた土器や埴輪も縄模様だけじゃないしね。縄文時代も草創期から晩期まで最近では分けているようだが、単なる時代区分ではなく、その時代の特徴なりで分けるのが教育の趣旨じゃないかな。
それは弥生時代にも言えて、明治時代に東京府本郷の弥生町から発掘された土器に付けられた名称からつけられた名前なのだが、これも歴史や時代を考える上では教育的な言葉じゃないよな。
あれ、ちょっと脇道に外れたかな。」
おじさんは頭を掻いているが、おじさんの話はいつも脇道にそれる事が多いので僕はなれているが、いつもわき道にそれた話が面白いので大いに語ってほしいと思っている。
「今は発掘も進み、縄文時代が16000年前から14000年程続いていたことが知られているね。最近発見された縄文中期の三内丸山遺跡でも人々は800年間その地に住んでおり最大500人からの集落を作り栗の栽培も含め安定した生活をしていたようだ。
この時代は弥生時代に見られるような鉄器による武器も見られず、比較的安定した生活がうかがえる。
そこでは相互の助け合いを含めたもの、例えば病人や障害を持った人のいる集落でも回りが援助して弱い人が生き延びていたことを示す骨などもあり、土器や埴輪の文様を見るとかなり高い精神文化を持ってもいたようだ。
武志の話で、身分差もなく相互に助け合う世界に14000年続いた縄文社会が重なって見えたのだ。
16000年前の集団人骨から矢じりや石器で傷ついた骨が出てきているが、それが古来からの闘争の跡としてなのかどうか、そこから人間の中に闘争本能、殺し合う種があったのだという学者もいるが、それは人骨に傷の出来た説明や人間の本性の説明にはならないだろう。
歴史の上では稲作も縄文時代にはあったようで、やがて大陸からも多くの人が渡って権力闘争が始まり絶えず戦いの時代が始まる。身分・階級の世界は今日まで続いていることになるが、長い石器時代そして今俺が言った縄文時代から考えると同じ国の人同士の戦争の歴史なんてたかだか2000年という短いものでしかない。
しかも世界大戦という人間同士が殺し合うことは、人類が文明・文化で進歩して来たのではなく、反対に退化しているのではないかと思うのだ。
人々が助け合って暮らして生きてきた縄文人や古代人が見たら、笑われてしまうだろう。
文明が人間の進歩、前進のように教科書に書かれているが、人間が作った文明に人間が使われ、振り回されていることを考えると、人間の行く末に不安を感じざるをえないんだ。
縄文時代と言ったが、これは日本の歴史の話だが、石器時代以降日本の縄文時代の文化は世界に比するものと自慢していいと思うのだ。もっとも古代にはクニなんてものは無く、どこでも行き来していて文化交流は盛んだったようだがね。
ところで、武志の夢には日本という場所は出てきたか。」
「いきなり振られても困るけど、日本語で話していたと思うのですが、言葉数は少なくて
相手の言う事が分かるような、テレパシーのようなもので、そうなるとどこの国の人と話しても同じことですよね。夢だから面倒くさいことは省いているのかな。
いや。使われている言葉も科学的で、言葉の目的や意味内容は明確な事は確かですね。感情もありますから情感を表わす言葉や会話もあって、俳句や短歌もあると思いますよ。
そして日本かどうかは分からないけど、日本ぐらいの大きさはあったと思いますよ。
いや、もっと広いかな。世界中の情報が入ってきていたので、相当大きいと考えられますね。
国と言う概念は確かにありませんでしたね。」
不思議な気分だった。自分が夢の中で体験もしていない事がすらすらと出て来る。
こんな事、自分の経験していない事をこの世の世界で平気で話すと嘘つきや詐欺師になるのだろうが、この時の僕は自信をもって話しているのだ。

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