オープンスクールに お笑い芸人を招致する是非 - 東大阪市
大阪には、中学生を対象にしたオープンスクールで、税金を使って、お笑い芸人を招致した公立高校があります。
定員割れを避けるため、歓心を買ってまで、子どもを集めたことは良いのでしょうか。
私は、住民監査請求をしてまで、この是非を、役所に問いました。
役所の判断を論破し、広告宣伝によるマヤカシからの解放を試みます。
1.概要
去年、2022年6月18日(土)、東大阪市立の日新高等学校は、次の写真のとおり、 #オープンスクール を実施し、その中で、この高校に縁の無い お笑い芸人「もも」が招致されました。
このようなオープンスクールは良いのでしょうか?
私は良くないと感じました。
ここで、私が、何がどう良くないのかを論評することはできます。
しかし、それだと、一方的に書いて終わりです。
私は、市の考え方をお伺いした方が良いと考えました。
私は過去に「市民の声」で意見を市の教育委員会に提出しましたが、「学校に伝えておきます」という回答だけで終わってしまいました。
そこで、2023年4月25日付けで #住民監査請求 をしました。
2.住民監査請求とは
「監査」とは、行政組織内に設けられた監査委員が、行政の措置が適切に実施されているかどうか、を検査することです。
定期的に、監査委員の発意によって行政を検査します。
住民監査請求とは、住民が監査の実施を請求する、ことです。
住民の発意によって、問題があると思う行政措置に関して、監査委員に対して、検査をしてもらうよう請求するのです。
例えて言うならば、役所が実施した措置の是非について、無料で実施してくれる簡易な裁判です。
3.住民監査請求の結果
令和5年(2023年)6月1日付けで監査結果が通知されました。
請求をする要件は整っていたため、却下にはなりませんでした。
しかし、本件に対して、不当ではない、という判断が下され、棄却になりました。
本件は何も問題は無い、という結果が出たのです。
却下とは、審議せず門前払いのことです。
棄却とは、審議の結果、不当ではないという結論が出たということです。
裁判に例えると、敗訴です。
住民監査請求の結論により、日新高等学校は、お墨付きを与えられたのですから、今後、正々堂々と、オープンスクールで、お笑い芸人を招致することができます。
こんなことで良いのだろうか。
(参考)東大阪市住民監査請求監査結果
市立日新高等学校活性化推進事業補助金の交付の不当性を認めるよう求める件
4.請求書の内容
住民監査請求では、残念なことに、教育は如何にあるべきかという議論は出てきません。財務会計上の是非しか問えないのです。
そういう制約がある中で、私は、請求書において、次のとおり、問題点を言語化してみました。
5.「監査の結果」
私の問題意識は、オープンスクールは何のために実施するのか、ということです。そして、その目的達成のために、お笑い芸人の登壇は妥当な手段かどうか、ということです。
それに基づく私の主張は上述の「請求書の内容」とおりでした。
監査結果によると、補助金の交付は広報のために行う、という趣旨です。
この「広報のため」とする目的意識は、「子どもへの教育のため」とする私の目的意識と異なります。
何故、そのような違いが出るのでしょうか。
詳細は、「補助金交付要綱」の制定理由に記されています(監査結果の第5の1の(1)のア)。
要綱の制定理由によると、定員割れになっていることは不都合であるため、「広報事業を積極的に行うことで生徒を確保」する、ということです。
補助金の名称の中に「活性化推進」という文言が含まれているにも関わらず、教育内容を強化することが目的ではないのです。
在校生や中学生への教育のためではありません。
この事業により東大阪市が活性化するかどうかは不透明ですが、オトナの都合により補助金が使われるのです。
お笑いで広告宣伝をすれば、子どもは喜ぶでしょう。広告宣伝で踊らせただけです。文字通り、子供騙しです。
子ども向けコンテンツは他にもあります。
東大阪市ではマスコットキャラクター「トライくん」を頻繁に露出しています。
笑顔で接してくると好印象を持ちます。カワイイと感じる人もいるでしょう。情緒で訴えるのが子ども向けコンテンツの鉄板です。
ですが、ここは、シッカリと、理性で合理的に考えて欲しいです。
これは、市民をラグビーの消費者になるよう教育しているのです。ラグビー関連業者への利益誘導です。
6.「判断」を論破する!
監査結果の「2 判断」(11~12ページ)には監査委員による考え方が述べられています。監査委員という専門家が執筆したため、正しいことが書かれているかのように錯覚をしてしまいます。権威に惑わされてはいけません。
(1)市のにぎわいづくりとの関係
監査結果の「判断」の「効果的に」で始まる段落では、市のにぎわいづくりについて記されています。
東大阪市では、市の全般について周知するため、著名人をPR大使に任命し広報活動をしています。東大阪市のイメージを向上することにより、にぎわいなどを生じさせようとする試みです。
他方で、日新高校は子どもを教育するための公共機関です。公教育で重視されるべきは、その諸活動が教育的であるかどうかという点です。
監査結果の「判断」は、市のにぎわいづくりと公教育のあり方とを同一視しています。
入学志願者数の増加はにぎわいづくりの一環である、と考えているため、お笑い芸人を使って子どもを集めることは正当である、という発想が生まれているのです。
そこに、子どものため、という教育的な発想を感じることはできません。
(2)お笑い芸人の教育的意義
「判断」の「効果的に」で始まる段落で、お笑い芸人がきっかけで多くの中学生が集まった、と記述しています。
その次の「そのうえで」で始まる段落で、その中学生に対してPRスタッフが活躍をし双方で有意義な経験をしたと書かれています。
お笑い芸人の招致に、教育的意義が有るとも無いとも書いていません。
これらの記述を勘案すると「お笑い芸人の招致による効果は、集客だけだった」と解読できます。
私の主張は、招致する著名人及びその講演内容についても教育的意義は必要である、ということです。
公共の教育機関が、集客しか考慮せず、教育的意義が不明な招致をすることは不当である、というのが私の主張です。
しかし、監査結果の「判断」では、『お笑い芸人には集客の効果があったのでそれで十分であり、そこでの教育的意義は不問とする』との意味が言外に込められています。
このお笑い芸人は、当日、何やら、キャリア形成がらみのパフォーマンスをしたようですが、お笑いと学習とを混ぜこぜにすることは、責任ある公教育とは思えません。
(3)縁の有無
「招致する著名人が同校と縁のないお笑い芸人となったことについては」で始まる段落では、「同校に関連するキーワードを用いたトークコーナーが設けられ」たことをもって、縁のない者を招致したことを是認しています。
縁が無くても、例えば、キャリア形成の専門家が講演をするのであれば教育的意義はあるので是認できます。なので、縁の有無だけで是非を決めるのは不適当です。
しかし、教育的意義が不問とされ、更に、縁も無いのであれば、ただ単に、集客のためにお笑い芸人を招致したことになります。責任ある公教育とは思えません。
(4)論点ズラし
私は、PRスタッフの活躍なども含めたオープンスクール全体ではなく、お笑い芸人の招致に限定して言及しているのです。お笑い芸人の招致を、子どもを集めるきっかけにしても良いのかどうか、そこに教育的意義はあるのかどうかを問うているのです。
それにも関わらず、「判断」の「さらに」で始まる段落では、オープンスクール全体に議論を拡大し、その拡大した全体として有意義であったため、お笑い芸人の招致も良かったのだ、という論法なのです。
全体が良ければ、一部の良し悪しを不問にする、という発想です。
意図的に論点をズラし、正当性を偽装しています。
(参考)監査結果の「2 判断」(11~12ページ)
7.更なる問題
補助金の要綱に「生徒を確保」するためと書かれているので、財務会計上の不当性を問うことは困難かもしれません。
しかし、運用面で、教育機関が執行するのですから、教育的意義が無いのであれば不当性を問えると思います。
直感的に言えば、公立学校において、お笑い芸人を使って子どもを釣るのはダメだろう、と感じます。
そもそも、そのような、教育的意義を考慮していない補助金の要綱を作成したことが不当なのです。教育的意義を考慮せず運用することも問題ですが。
上記の他に、次の問題があると考えます。
(1)重点の置きドコロ
教育内容を強化するのではなく、広報という手段で入学志願者数を増加させることは、公共の教育機関として不適切だと思います。
吉村洋文(よしむら ひろふみ)知事が首長である大阪府は、選ばれた府立高校に対し、予算面で最大 500万円の支援を行っています(下図参照)。当たり前のことですが、教育内容の強化に予算を使っています。
また、大阪府では商業高校の魅力を高めるための議論がなされています(下記リンク参照)。これは商業科の教育内容を充実させるための議論です。
大阪府は、謝金を、懇話会で、有識者に配賦します。
野田義和(のだ よしかず)市長が首長である東大阪市では、謝金を、オープンスクールで、お笑い芸人に配賦します。
逆立ちのパフォーマンスが写ったポスターの掲示やお笑い芸人の招致などで中学生の歓心を買って入学志願者を増加させようとする発想をし、かつ実行したことは非教育的です。教育のあり方について考えていないことの証拠です。
(2)大阪府立高校との関係
日新高校は、東大阪市の市立です。
豊かな市の財源( 100万円)を使って、好き勝手に広報などをすることができます。
大阪府には、府立の高校があります。
府立高校は、定員割れが続いた場合、廃校になりますが、広報のための財源は無いようです。教職員が教育内容の充実に努力をしていても、定員が割れてしまうという実態があります。
大阪の公立高校、という点では同じなのですが、首長が異なるため、処遇は大きく異なります。
市立は、カネに飽かして広報を拡大させ入学志願者を増やす。
府立は、教育内容の充実に努力をしても、廃校に追い込まれる。
不当な教育業界の実態です。
ライバルである府立高校が積極的な広報をしていないのですから、その状況の中で潤沢な資金を元に広報をすれば注目を集めるのは当たり前です。
仮に府立も積極的な広報を始めれば、その中で日新高校は埋もれて目立たなくなってしまいます。
広報拡張路線は、軍備拡張路線と同じであって、誰にとっても利益はありません。利益があるのはプロパガンダ業者だけです。
府立高校には廃校になる高校が多数あります。
近隣の「府立かわち野高等学校」(東大阪市新庄4丁目)は、東大阪市にある「府立枚岡樟風高校」(東大阪市鷹殿町)に統合されます。
日新高校は広報にチカラをいれており、その広報で定員割れを回避したかのように見えますが、その背景には、吉村洋文大阪府知事による、府立高校の廃校があるのかもしれません。
府立は身を切る改革をして、その果実を市立が受け取るという構図です。
(3)ボランティア活動
日新高校では在校生をPRスタッフとしてオープンスクールで活躍させています。
在校生が広告の素材になっているのは、日本の高校の中で、日新高校ぐらいではないでしょうか。
生徒の自主的活動のようです。
ここに不自然さがあります。
高校3年生になって、学校で有意義に学んだことがあるならば、それを広報したい、という意欲は沸いてくるでしょう。
しかし、2023年の4月に入学したばかりの1年生が、2023年の5月の時点でPRスタッフになるのです。学校で学んだことなどほとんど無いにも関わらず、です。広報すべき教育内容の評価が十分にできない時点で、その広報をするのです。
ある人達は、ボランティア活動にも教育的意義はある、と評価するでしょう。
他方で、学校当局が実施すべき広報事業に、生徒を無償で使役させている、という見方もできます。
ボランティア活動に対しては、教科教育と異なり、適切な教育的評価や指導をすることは困難です。生徒に対しては「あなたたちの活躍は立派だった」と包括的抽象的に評価するしかありません。
オープンスクールは、総合教育会議で決議され、入学志願者の増加を目的とし、公共機関として予算のついた正規の事業ですから、学校当局には結果責任が生じます。
万一、入学志願者数が減少した場合、その原因について、学校当局側とボランティア生徒側との線引きができません。
結果責任が問われる事業に生徒を巻き込むことは不適切です。
学校当局側が責任逃れをし、生徒側にその一端を担わせる意図があるようにも受け取れます。
結果としてアンケートではPRスタッフへの評価が高かったので良かったものの、万一評価が低くかつ定員が割れた場合、状況の流れとして、生徒の活動のあり方に視線を向けざるを得ません。
学校当局としては、もっと教育的な教材を生徒に提供すべきです。
8.市立である本当の理由
実は、日新高校には、本質的な問題があります。
2019年9月の東大阪市長選挙で野田義和(のだ よしかず)市長が掲げた選挙公約の一部分は次のとおりです。
この公約を実現する形で、日新高校では、部活のラグビー部の部員が、花園近鉄ライナーズ(プロのラグビーのチーム)から指導を受ける「トップアスリート連携事業」を行っています。
2020年9月、東大阪市花園ラグビー場の練習グラウンドにおいて、ライナーズのコーチが、日新高校のラグビー部の選手を指導するトップアスリート連携事業が行われ、その時、野田市長が視察に訪れました(下の写真)。
政治家でもある市長が、教育現場に足を運んだのです。
政治が教育内容に介入した、という見方もできます。
政治とは、社会的に実力のある勢力のことです。東大阪市では、ラグビー愛好者の政治力が強いのです。
日新高校では「英語留学」が積極的に広報されていますが、それに比べて「トップアスリート連携事業」はあまり広報されていません。隠そうとしているかのようですが、年間予算 137万円の税金はしっかりついています。
日新高校は、府立ではなく、市立であることを広報の材料に使っています。
市立であるため、潤沢な予算がある、という趣旨の主張です。
しかし、その主張の背景には、ラグビー部を差別的に優遇していることを正当化したい、という意図があるように思います。
ラグビー愛好者を税金で育て上げる、というのが東大阪市の公教育で行われているのです。
仮に府立に移管してしまうと、市を実効支配しているラグビー愛好者が教育に介入できる高校がなくなってしまいます。ラグビー愛好者から支援を得ている政治家としては、市立である高校を死守したいでしょう。
大阪府立高校のように、廃校にしてしまうのは、やりすぎだと思います。
かといって、日新高校のような状態になってしまうのも問題があると思います。
定員割れした府立高校の「日新高校化」を避けるために廃校処分にしているのかなぁ、とも推測したりします。
東大阪市では、教育的意義が、何やらわからない事例は他に多々あります。
地方における悲惨な状況は次の記事に書きました。
以上