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ダニエル・E・リーバーマン『人体600万年史』をゆっくり読む②

なぜ走るのか?その問いは、もっと走れるにはどうすれば良いか?の問いにつながっている。
さらには、さらによく走るにはどうすれば良いのか?の問いへと続く。
走ることを知る。走る体のことを知りたい。
この本を手に取った理由と、著者が書こうとしたテーマは必ずしも同じにはならない。
「はじめに」では、はっきりとこう書いている。

本書の核をなすテーマ-人間の進化と健康と病-はとても範囲の広い、複雑なものだ。

走ること、走る体のことは、「とても範囲の広い、複雑なもの」の中にはいるかもしれない。しかし、テーマの核をなしてはいない。
求めていたものと、本に書かれているものを擦り合わせる作業。
「はじめに」を迂闊に読み飛ばしてはならない。
かつては読み飛ばしたこともあった。読み飛ばしてつまらない本だ、レッテルを張った。もうそんなことはしない。大人だから。

「はじめに」には、多くのクエスチョンが連なる。
なぜ人間は太るのか?体重を減らし、食生活を変えるにはどうしたらいい?子供が過体重になるのを防ぐには?子供にもっと運動をさせるには?数々の病をどうやって治療したらいい?なぜ私たちはこんなに太りやすいのか?なぜ私たちは時々食べ物を喉に詰まらせるのか?なぜ扁平足になってしまうのか?なぜこんなに腰を痛めやすいのか?人間の体はなにに適応していて、なにに適応していないのか?
将来、人間はどんな姿になっていますか?

問いは、答えを導く。
人類進化生物学者の著者が、この本で「はじめに」の問いをこたえていくだろう。だが、おそらく「将来人間はどんな姿になってますか?」の問いには答えられない。彼は言う。「私たちは今も進化し続けている」と。人類の物語は終わらない。終わりはないからこそ、人間は太り、過体重になり、数々の病を患い、偏平足になり、腰を痛める。時にはのどに食べ物を詰まらせる。

「はじめに」が終わりに近づく。テーマは少しずつ具体的なっていく。
「人間の身体の物語」を考えることで、「人間の体が何適応していて、何に適応していないのかを合理的に理解できる」

 "私たち人間は、健康になるように進化したのではない。困難の多い多様な条件のもとでできるだけ多くの子を持てるようにと自然選択の作用を受けたのである。結果として私たちは何不自由のない快適な条件の下で何を食べ、どれだけ運動するかについて、合理的な選択ができるようには進化していない。”

現代において、「身体はあまりよく適応していない条件のもとで」生活をしているから。
彼は警笛を鳴らす。
もはや、走ることとほとんど関係のない問いと答えが宣言されてしまった。序章へとページをめくる。走ることとリンクする細い糸が脳のイメージに浮かび上がる。ただでさえ細い糸。霞がかかりほとんど何も見えない。けれどあることはわかる。何らかの直感を手繰り寄せるようにして、「はじめに」から序章へと移る。

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