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自分の人生に他人は責任を持たない

この度私、安藤大輔は新卒で入社した「はせがわ酒店」を退職することに決めました。

安藤、辞めます。

出来るだけ自分の口から説明しようと努めたのですが、タイムリミットが先に来てしまい間に合わなかった方、申し訳ありません。

独立するんじゃないか、とか様々な噂が全然知らない人からも流れていて有難いなと思います。とりあえずいったん頭をリセットしたのち、決めます。今の所0から考えます。

思えばマジで世の中の事を何も知らないまま、運命に導かれて愛知から東京に上京し就職した私は「まぁよくここまで持ったな…」と。主に生活面で。

東京の相場もわからず本社(当時は亀戸)の近く、当時の給料のほぼ半分ぐらいの場所に越してしかも最初の勤務は東京駅グランスタから麻布十番店だし、全く亀戸という町には縁がなかった。最初は交通系ICのSuicaも「何それ」状態だった。金がなさ過ぎて100円ローソンのおかず一品と実家から送られてくる米で凌いで、たまに具なしパスタとか食べてた。マジでポンコツだった。

その時は週休一日だったし毎日残業も当たり前、イベントがあれば出て、昼飯買いに行ったら怒られるし、まぁ軍隊と呼ばれた高校のバスケ部を卒業した私からしたら余裕だったけど。当時は正月しか休みなかったし、監督からはボコボコにされてたし。

OK、余裕。

若い時の苦労は買ってでもしろ、というのもあながち間違いではない。
今だから言えるけどね。

閑話休題

先輩からズボンがダボってるとキレられ、社内に怪盗ルパンはいたし、元気よく電話に出たら「声がでかくてうざい」と陰口言われたし。
まぁ時代だったな。それも含めて全ては勉強。私を成長させてくれて有難うございました。

そんな人間でも一つの事を継続すればある程度の場所までたどり着けるもので、日本酒仕入れのテイスター、ワイン、ウイスキーのバイヤー、日本を代表するレストランへの提案、生涯付き合うであろう親方達との出会い、社外に業界の友人も多くできたし、一生付き合っていきたい人との出会いもあった。

だから今の後輩達にはこんな私でもここまでやれたんだから、さらに優秀なあなた達はさらにもっと先に行けると強く言いたい。細かく教えてくれる先輩もいなかったし独学でやるしかなかったから、社外から情報を得る術を持つしかなかった。

利き酒能力が一番高い先輩に学べと言われて、質問したら断られたから、インフィニットスクールとか通ってたし。全ては反骨心から働いた行動が結果としてよかったな。

今は全てが揃っている。
でも揃っている情報をどう使うかは本人次第。
一本のキュウリをただの素材から料理にするのは使う人の「精神」だから。

酒屋は利き酒ができるのは当たり前として、1本の酒に価値を与えないと。

なぜ辞めるのか?


今年で35歳を迎え、気づいたら13年間経過していたことに驚いて、考えてしまった、このままでいいのか。

13年って小学一年生から大学一年生まで。人間の最も重要な期間と同じ時間を過ごしてきた。確かに日本酒も勉強した、ワインも学んだ、友人も多くできた。仕事は大変なことも多いが楽しいしやりがいもある。
でもこの速度感でいたら45歳はあっという間だな、と。

湖に浮かぶだけの船は心地よくて、もっと揺らいでいたい気持ちもやまやまだけど、このままだと揺らいで人生が終わる、と焦燥感に駆られてしまったのが一つの理由。もう一歩前に踏み込みたかった。

伝票処理とか、プラカップ2009個数えたりとか、84円の切手の問い合わせで30分捕まるとか、誰でもできる業務を自分の残りの人生に費やす時間はもうない、と判断した。

たぶん、人には役割がある。

ある程度の規模の会社の中で、やりたいことを叶えるのは並大抵ではなくて、それを他の誰より持っていた方だけど、だんだんとやりたいことすら浮かばなくなってしまい、このままではまずい…と思ったのが1年ぐらい前。

13年間所属して、取引先の酒蔵、ワイナリーに行ったのは20軒もないぐらい(取引外のワイナリーは山梨はほぼ制覇したが)

業界の最先端で日々様々なライバル達と戦っていたが、技術だけ上手くなって、だんだんと熱が失われていった。最前線で仕事をするなら、最低現場は見にいくべきだと思った。

だから有給期間中、6月の退社までお世話になった訪問したことのない蔵をできる限り巡りに行きたい。

埼玉と宮崎と三重には後輩がいるから車出してもらおう
そう、君たちです。

自分の人生を他人に委ねても誰も責任を取ってくれない。
自分の人生の責任は全て自分にある。
だから俺は動けるうちに動く。

陽だまりの中で寝そべることに飽き飽きして 家の中から 降りしきる雨を眺める毎日
若いお前にとって人生は長く、どんなに無駄に使ってもあり余るほどだ
だが ある日 お前は 10年があっという間に過ぎ去ったことに気づく
いつ走りだせばいいのか 誰も教えてはくれない そうお前は出発の合図を見逃したのだ

ピンク・フロイド「タイム」より

コートドールのシェフのように、完璧を目指すのではなく、完結させる。
俺の13年間はここで一旦完結させます。

出会ってくれた蔵元、蔵人、親方、大将、シェフ、ソムリエ、ソムリール、インポーター、先輩、後輩、全ての人に感謝を。

全国を回ってパワーアップして業界に戻ります。しばしの別れを。
そして次のステージでもよろしくお願い致します。

13年間の懐かしい写真たち

シュロスフォルラーツの代表と
麻理絵さんと柳と飯。偶然大木大吉本店の大木社長
アンリジローのアルゴンヌお披露目イベント、レ・ゼゾンにて
アビス谷口さんのおかげで素晴らしいソムリエ達とのご縁。クロデュメニル頂きました。
後輩達とイセハラバックヴィンテージ垂直。半分はもういない
入社二年目?北海道のイベントにリベルテの武田シェフと柳と。
麻布十番祭り
平川ワイナリー平川さんと打ち合わせ
中学からの友人大竹とワインのプロ達と食事
深夜の料理人とソムリエの集まり。朝まで開催して、そのまま出勤。死にそうだった(笑)
お世話になった天本さんと
情熱のモンテ物産松嶋アニキ。一生飲み続けます。知識ももちろん凄いけど、伝えたい熱が凄い。俺は人の伝えたい熱に感動する。
ヴァンパッション清水部長。年下とはとても思えない。尊敬する友人の一人。
通いまくった、ら・すとらあだ日比谷さんと10年飲んでる酒屋仲間の須藤君。
麻里絵会懐かしいな。酒は人を繋ぐ。
アークセラーズ佐藤さんの企画で最前線の日本酒勉強会。サントリー柳原さんの、残響はシャンベルタン・クロ・ド・ベーズの浮遊感に似ている、という言葉に感動。こういうリミックスをもっと行いたい。
人生を変えてくれた一人、福田さんと日本酒最前線の勉強会。
かつての店舗メンバー
亀戸メゼババさんに。焼鳥達人の会会長、焼鳥児玉さん、当時蘭奢待の和田浜さん達と。
理論武装Yuki姉さんと二次会で朝頃まで、このまま仕事(笑)大塚レアンドロのマスター
ジャックセロス当主と。顔緊張しすぎ
麻里絵会の最後のほう。ダンチューの取材も入ってた。
Yuki姉さんを囲む会。メンバーが最高に濃い(笑)皆様のテイスティングからの考察がやばすぎる。ワインのテイスティングに理論を意識した頃。
苦手なものありますか?って安藤はあ行が苦手です、って言われ、イカ、穴子、ウニ、海老など封じられた夜。そもそもえんどうもあ行だから駄目じゃん、って話。
ブラインドでフランスワインVSアメリカワインの夜。こういう会にもっと日本酒の生産者も来てほしい。今後は増やして行こう。
グレイスの三澤さんを囲む会。Yuki姉さんと。
東京ジェントルマンズワインクラブ。ワイン業界の上澄みの凄い人しかいない。クロヴージョをブラインドで当てるのは当たり前でヴィンテージが大事、と恐ろしい会話(笑)
レストランREの苅田さんの結婚式。ワイン良いの開けすぎ
もう今西さんとも10年ぐらいの付き合い。
世に出さなければならない造り手、平川ワイナリー、平川さんと
会社のメンバーで新潟山城屋に
ワインの恩師2人
みむろ杉がここまでブレイクするはるか前の同行営業。懐かしい
十番祭りの打ち上げで336恵比寿。疲れと旨い飯と酒。この日は一生忘れない。
カラペティバトゥバさんで1人1本持ち込みの会。ウルトラマリン持って行ったけど私だけ日本酒の酒屋。
Yukiさんの会の後二次会でBARへ。オールドウイスキーの香りの扉の話を。
二子玉でバーベキュー後に亀澤さんの自宅で二次会。
イケてるトンカツ屋つかんと、何でも屋の大橋兄貴。
ダイエット成功した頃。大竹と若山ソムリエと。
みむろ杉の澤田さんと日本料理一凛さん。
平川さんから急遽食事のお誘いで336恵比寿に。修行先のワイナリーの話が深すぎる。
松瀬酒造さんの社員旅行で一凛さんへ。最先端の日本酒VS松の司を開催。
ベッカーJrと朝の講義後に
Yuki姉さんとライターの岩瀬さん
東京ジェントルマンズワインクラブの最初。次の開催の際は近くに宿を取る。
シャンパーニュのプロフェッショナル阿部さんと。
一凛さんが金沢に鮨屋をオープンする時の決起会
龍吟、ロオジエ、レフェルヴェソンス、虎白のソムリエ達と磯自慢へ。井黒さんの質問攻めが凄かった。トップになる人は意識が高い。
ワインのオフフレーバーは全て故・川邉さんから学んだ。感謝と合掌。

13年間、4745日、1日1cm進めるように努めた。
内50日は二日酔いで進めなかった。

情熱のランプを持って実践と反省を繰り返しながら今後も道なき道を歩もう

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