私の勝負曲 光と影

#私の勝負曲
誰かに私の歌を披露するための勝負曲という名目で話をさせていただくと、そもそも人前で歌を歌う場面というのは限られてくるのではと思います。
歌手でもない限り大勢の人前で歌うことは無く、せいぜいカラオケで友人や家族を相手にして歌うことぐらいしかないのではないでしょうか。
とは言いつつも、ひとカラが主な私にとってはそんな場面すら稀だったりします。
好きな歌はたくさんありますが、人前で胸を張って歌える「私の勝負曲」的な歌となると厳選されます。
今回は私が胸を張って「これが私の十八番だ!」と言える歌を厳選に厳選を重ねた中から2つ挙げたいと思います。
この2つは私の十八番というだけではなく、歌詞や歌い方、私の価値観を大きく左右した歌です。この記事を見てくださった全ての人にこの2つの曲の良さを少しでも知っていただけるよう全力で紹介します。前置きが長くなりましたが、それではご紹介致しましょう。私の勝負曲はこれだ!

amazarashi 『未来になれなかったあの夜に』
作詞、作曲 秋田ひろむ

「色々あったな」の 色々の一つ一つを
つまびらかにしたくて ペンを取ったわけですが
もう君の好きにしてよ 僕も大概好きにしてきた
僕の事は忘れて 他に行きたい場所があるんなら

名誉ある潔い撤退より 泥にまみれ無様な前進を
尻尾を振る称賛の歌より 革命の最中響く怒号を
あの日の情熱の火はいずこ 悔しさを並べたプレイリスト
そぞろリピート音楽と風景 後悔、浄化する過去の巡礼
まさかお前、生き別れたはずの 青臭い夢か?恐れ知らずの
酒のつまみの思い出話と 成り下がるには眩しすぎたよ
なじられたなら怒ってもいいよ 一人で泣けば誰にもバレないよ
そんな夜達に「ほら見たろ?」って 無駄じゃなかったと抱きしめたいよ
未来になれなかった あの夜に
前向きに生きることほど素晴らしいことはない
でも「前向きに生きて」じゃ 頷けない誰かさんの為
夢追い人とは ともすれば社会の孤児だ 
手段は選ばない いや、選べなかったんだ

恨み辛みや妬み嫉みの グラフキューブで心根を塗った
それでも尚塗りつぶせなかった 余白の部分が己と知った
今更弱さ武器にはしないよ それが僕らがやってきたことの
正しさの証明と知っている 今この僕があの日の答えだ
見える人にだけ見える光だ 陰こそ唯一光の理解者
旅立ちと言えば聞こえはいいが 全部投げ出して逃げ出したんだ
孤独な夜の断崖に立って 飛び降りる理由あと一つだけ
そんな夜達に「くそくらえ」って ただ誰かに叫んで欲しかった
未来になれなかった あの夜に
取り立てる程不幸ではないが 涙は路銀程に支払った
僕の過去の轍を見る人よ ここで会うのは偶然じゃないさ
夢も理想も愛する人も 信じることも諦めたけど
ただ一つだけ言えること僕は 僕に問うこと諦めなかった
醜い君が罵られたなら 醜いままで恨みを晴らして
足りない君が馬鹿にされたなら 足りないままで幸福になって
孤独な奴らが夜の淵で もがき苦しみ明日も諦めて
そんな夜達に「ざまあみろ」って 今こそ僕が歌ってやるんだ
 
未来になれなかった あの夜に
ざまあみろ
※歌詞はYouTubeのページより引用

皆さんはamazarashiというミュージシャンをご存じでしょうか。
近年は東京グールや僕のヒーローアカデミアなどのタイアップ曲により知名度はそこそこ上がってきているのではないかと思います。
私はamazarashiというバンドを今から9年前の中学3年生の時に知りました。
確か初めて聞いた曲は、「空っぽの空に潰される」だったと記憶しています。

https://www.youtube.com/watch?v=xkWr-kECEKg
amazarashi 『空っぽの空に潰される』

当時ラジオを聴きながら寝ることが日課だった私の耳に突然、強烈なインパクトを与えたバンドでした。なんだこれはと。
まるで世界を皮肉っている歌詞、断末魔のようでいて力強いシャウト、もの悲しさと無常観、どこまでもダーティーな世界観に中三である私は瞬く間に魅了されてしまい、アルバム「千年幸福論」をamazonでポチって延々とリピートしていました。私にとってはまさに劇物といっても過言ではない歌。なぜこんなに私に刺さったのかは、当時は意識していませんでしたが、今考えてみてそれとなく分かったような気がします。
あまり裕福とは言えない家庭、勉強もスポーツもできなくて、好きな子にも好きと言えない意気地なしな自分、集団生活の中で見えてきた人間の闇の部分、諦める癖が板について人生を軽んじていた昔の私にはamazarashiの歌はそのすべてを代弁してくれていたような気がします。
でも、そんな私でも一人暮らしをするようになり、自分自身の時間、趣味、生き方を模索するようになってからは、なんだか学生の時とは違った前向きな考えを持つようになりました。
そんな中で、2019年、amazarashiが「未来になれなかったあの夜に」を発表しました。
めちゃくちゃいい曲です。久しぶりに私の心にガツンときました。まるで今の自分の人生を代弁して歌ってくれているように聞こえ、否定することが多かった9年前のamazarashiとは明らかに変化している歌詞に自分の心も変わったことを外から教えてくれたような気がします。
この歌はamazarashiが自分たちのことを歌った曲ではなく、リスナーのために歌った応援歌であると個人的に思っています。

『孤独な奴らが夜の淵で もがき苦しみ明日も諦めて
そんな夜達に「ざまあみろ」って 今こそ僕が歌ってやるんだ』

曲の最後のフレーズですが、今まさに孤独と闘っている人に向けて、amazarashiはあえてガンバレとかではなく「ざまあみろ」って歌っています。なぜ「ざまあみろ」なんて汚い言葉を選ぶのか。それはこの言葉が過去にもがいた自分自身に対しての逆説的な賛美、労いの意味を込めているからであると思うからです。
つまり過去に対して「ざまあみろ」っていえるのは、逆説的に今が過去と比較してより良いものであるからこそ言える言葉である、という見方が出来るのではないでしょうか。
「ざまあみろ」って過去の自分を嘲笑できるぐらいの余裕があれば今の孤独を生きることなんて屁でもないように聞こえませんか?
だからみんなで全力で歌えばいいのです。

『未来になれなかった あの夜に
ざまあみろ』

『「前向きに生きて」じゃ 頷けない誰かさん』や『夢追い人』や『夢も理想も愛する人も 信じることも諦めた』人ほど、amazarashiの抒情的歌詞は心に刺さるのではないでしょうか。私もその一人。これをカラオケで熱唱するのが何よりもストレス発散になります。
秋田ひろむさんの情熱的な歌い方も私にとっては唯一無二です。

amazarashiの歌はどれもこれもお勧めしたいものが沢山ありますが、まずはこの曲を聴いてその世界に触れて、何かを感じ取っていただければと思います。今は刺さらなくても、躓いたとき必ず思い出してみてください。きっとあなたの力になると私は信じています。

BUMP OF CHICKEN 『飴玉の唄』
http://www.utamap.com/viewkasi.php?surl=A02634
※リンク先はうたまっぷ.comさんの歌詞です。

天体観測で一躍有名になったバンドですね。
もちろん天体観測は超、超、超大好きでカラオケの一番初めの喉慣らしでよく歌います。
が、今回選んだのはそんな天体観測ではなくて『飴玉の唄』という歌です。
この歌はアルバム『orbital period』に収録されており、『カルマ』や『花の名』と比べて知名度はさほどないかもしれません。
『飴玉の唄』を一言で表すなら、「最愛の命」の歌ではないかと思います。
BUMPはどの曲にも共通していますが、「愛」という言葉をあまり使いません。抽象的なもののたとえを多用して歌詞が書かれています。
今回の『飴玉の唄』もそうです。
「飴玉」とは普通に考えれば、お菓子の飴玉のことであり、真ん丸で小さくて、お菓子の種類によってはいろんな色をしていて、なめると甘い味がするのが一般的かと思います。でも、なめていくと次第に小さくなっていって、しまいには口の中で溶けてなくなります。
『飴玉の唄』では、そんな儚い姿を命の輝きに例えて歌っています。

『悲しい時 嬉しい時 どちらにしても ほら泣く
困るでしょうって更に泣く あんまり困らないよ
飴玉あげる』
『何光年も遙か彼方から やっと届いた飴玉だよ
そういう1ミリを繋いで 君と出会えた 僕がいるよ』

ここの歌い方が本当に切なくてもの悲しくて、優しく藤君は歌うんですよ。(以後ボーカルである藤原基央さんは藤君と呼称します)
僕がいないときに君が困らないようにこの飴玉をあげるよ。
君にあげたこの飴玉が命の輝きだとすれば、僕たちは何光年も遥か彼方からやっと出会うことが出来たようだね。
そういっているのです。ロマンチックですね。
織姫と彦星のような感覚で詩を紡いでいきます。
でも、

『見えない神様 僕らは祈らない
冷えきった君の その手に触れて 心を見たよ』

あぁぁぁぁぁ、もおおお、せっかく出会えたのにそんなことってないだろう。神様なんて信じられない。君の手が冷たくなっている。最愛の君は死んでしまった。ここからは、歌詞の中の主人公がいままでの君との関係を振り返りながら進んでいきます。

『僕は 君と僕の事を ずっと思い出すことはない
だってさよならしないなら 思い出にならないから』

主人公は君を忘れないために、さよならをしませんでした。それは君との思い出が死に別れであることを拒絶したからです。誰だって最愛の人をなくせば、その人が死んだことを否定したくもなります。
でも、

『咳をする君の 熱に触れて 命を知るよ』

主人公は思い出します。君が咳をして、熱を出していた時のことを。その時感じた命の輝きを。あれは紛れもなく生きていた証拠であると。主人公はさらに苦悩しだします。

『見えなければ 死ななければ だけどそんなの君じゃないよ
僕は嫌だよ 君がいいよ 離れたくないな』

藤君の感情を剥き出しにした歌い方に心を締め付けられます。
死を否定することは、君がいたことを否定すること。でも僕は君が忘れられない。いやだ、僕は君とともに過ごしたいんだ。
主人公のかなわない願いはとても切なく聞こえます。
でも、最後に主人公はふと思い出します。

『飴玉食べた 君が笑う』

飴玉を食べた君が笑う顔を思い出して主人公は決意をします。

『勝てない神様 負けない 祈らない
限りある君の その最期に触れて 全てに勝つよ
見えない 死なない 僕らの世界でその手に触れて 熱に触れて
僕も笑うよ 君と笑うよ』

この世界のありとあらゆる理不尽に耐えて、全てに打ち勝って見せる。
そして、僕は君の熱や笑った顔を思い出しながら、君が生きたかった世界を生きてみせるよ。

『僕は君を 信じたから』

言いたいことは言いました。どうでしょうか、伝わったでしょうか。主人公の別れ、回想、苦悩、決意を思い出しながらもう一度、聞いてみてください。歌詞の解釈は人それぞれあるとは思いますが、どんな形であれきっと、あなたの心に響いてくれると私は信じています。

BUMPとamazarashiは光と影みたいなもので、でも彼らが伝えたいことの根幹は一緒のような気がします。
人は何度でも立ち上がれる、何度でもやり直せる。
必ずしも直接的な歌詞ではないけれども、人生の喜怒哀楽に気が付かせてくれる。
私にとっての彼らとはそんな存在です。
彼らの歌があなたにも届いてくれればこれ以上の幸せなことはないでしょう。

以上、#私の勝負曲 でした。

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