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福島復興あれこれ:白地地区(帰還困難区域)の解除をどうすべきか ーー場当たり政策が、世紀の愚策「アリの巣」を生みだす

今回のウクライナ戦争は、SNSによって現地ウクライナからさかんに情報が発信されることによって、「一般参加型」の戦争ともよべる状況になっているように感じます。国外からの義勇兵をSNSで募るというのもこれまでは考えがたいことでした。現在は従軍経験者に限られているようですが、自分の意志ひとつで戦争に「参加」することが容易になったのは、オンライン上でも同じという記事です。

こわいと思うのは、ハッカーのように自分の意志とスキルでの参加ならまだしも、SNSでのささいな発信やRTや「いいね!」のひとつひとつが、まさに情報戦の一兵卒としての従軍に等しい状況になっていることです。

東日本大震災のあとは、私も情報戦争の一兵卒として参戦していましたが、その残した爪痕を眺めてみればみるほど、無自覚にかかわることがどのような影響を落とすのかとぞっとするところがあります。

山林と除染問題

朝日新聞、昨日の山林の放射能汚染と除染問題の続きです。

地味なニュースではあるのですが、今後の原子力災害の帰結を見ていく上では、とても重要なポイントです。というのは、放射能汚染が長期的に影響を落とすのは、山林(森林)だからです。その理由は、昨日書いたとおりです。

山林の扱いの難しさは、その生態が複雑で、影響を見極めるのにかかる時間が長期に渡る点にもあります。いわゆる「専門家」といわれる人たちのあいだでも、農山林にかかわっている人たちは、慎重な見方をする人が多いですが、工学系や物理系の方は、あまり難しさを理解されていない傾向が強い気がしています。

日本人の意見で気になるのは、山林のような取扱いが難しいグレーゾーンででも、現実不可能な精神論(すべて除染して元に戻せ)に終始するか、そうでなければ、たんに経済合理性で露悪的に放置か(そんなカネあるわけないだろ)、無責任温情主義(自分だけ悪者になりたくないから、同情するふりして放置)の構図で硬直化してしまう傾向が強いことです。

白地地区(帰還困難区域)と山林除染

山林の放射性物質の残存は、現在残されている避難指示未解除地域の将来にも大きく影響します。

「一度でも除染されたら頑張ろうと思えるのに…。なぜ他の区域は全域除染をしてから帰すのに、一番線量が高い帰還困難区域は、帰ると決めないと除染をしてくれないのか」

記事本文から

こう思われるのは、当然だと思います。これまで10年間待っていたのに、あまりに不条理だと思います。その問題点については、昨日も紹介した発表でも触れてあります。

放射性物質を取り除く「除染」は、本来はリスク軽減策であるのですが、それが時間の経過と共に、「約束」となり、倫理的な紛争にと変化してしまっているのは、「一度でも除染されたら頑張ろうと思えるのに」という言葉によくあらわれていると思います。

場当たり政策が、世紀の愚策「アリの巣」を生みだす

現在、政府は残された帰還困難区域について、2020年代いっぱいで希望者の周辺のみ除染をし、帰還を可能とするという方針を打ち出しています。
私見では、これは「世紀の愚策」です。
その理由は、以下の記事で大熊町の担当者の方が懸念されているとおりです。

大熊町の担当者は、戻るのを希望する人が点在し、各住居とそこにつながる道路だけが解除されていくことを懸念し、「アリの巣のようになってしまうのでは」とため息を漏らした。広く「面」で除染した方が費用や放射線量の低減が見込める。「希望に応じて点々と電気や水道などインフラを通さなければならず、難易度が高い」と話す。

記事本文より

山間部に点在する世帯にそれぞれのインフラを通し、維持することの経済的合理性の問題もありますし、20年代で希望者を募るということは、それ以降は、おそらく対策が打ち切られる可能性が高いです。つまり、放射線の影響が長期に渡る山林地域に、アリの巣のような形で居住世帯が点在するという、SFでもありえない、非人間的な状況に落とし込まれることになります。

また、今回の希望を募る段階にあたって、放射線量の要件は示されていません。時間が経って多くの人の関心が薄れるに従って忘れられているように思いますが、山林のなかには放射線量が高い地域も点在しています。
大きなニュースにはなりませんが、現在の避難指示解除がなされている旧居住制限〜帰還困難区域でも、居住不可能と言うほどではないにせよ、ホットスポット的に放射線量が高い地点があることは事実です。
3.8マイクロシーベルト毎時を政府は避難指示解除の条件にしていますが、事故から10年経過してのこの数値は、あまりに高すぎます。私には、この数値を居住に適した線量であるとは口が裂けても言えません。(それを平然と言っている、政府の担当者の方たちの口は裂けないのでしょうか。裂けないのだとすると、自分の頭で考えることを一切放棄しているだけだと思います。なにも考えないで言われたことを黙ってするだけ、そんな仕事楽しいですか?)

なぜ、こんなことになっているのか。それぞれ根深いいくつもの要因があります。

  • 行政の硬直性
     3.8という基準は、事故から3年程度で見直されるべきでした。日本の行政は、見直しと言うことがとことんできません。負けるとわかって戦争につっこんでいく大日本帝国時代からの伝統だと思います。
     放射線は、自然減衰しますから、当初の減衰が早い時期は基準を比較的高めにしておいても、生涯被ばく量には大きく影響しません。一方、減衰が緩やかになった時期からは、基準を低くしなければ、生涯被ばく量にも影響を与えますし、また、リスク認知的に他の地域と大きく違いすぎるところでは人間は平穏に暮らすのは難しくなります。
     除染基準の0.23は、事故直後に実現にするには低すぎましたが、事故から10年経過した現在では、妥当な水準だと思います。

  • 場当たり的発想
     当初、政府は帰還困難区域は30年程度、避難指示をしたままにしておくつもりでした。そのつもりで、帰還困難区域には損害賠償額も25%程度(だったと思いますが)上乗せしました。
     ところが、明示的にそうだと説明されなかったため、当人たちは了承しておらず、かつ、当初の見込みより減衰が早かったため、時間の経過とともに解除圧力が強まり、当初の方針を変更する「空気」になってしまいました。
     そして、先行きを深く考えないまま、特定復興拠点で部分的解除を進めることになっというのが大きな経緯です。段階的解除と言えば聞こえはいいですが、途中で頓挫することが目に見えている全体計画のない破綻した未来しかみえないやり方であったと思います。

  • 行政の縦割り
     なぜ破綻するかといえば、ひとつには予算が続かないからです。2016年頃からすでに、「財務省が渋っている」との話は霞が関方面から聞こえてきていました。それでも、復興予算があるあいだはなんとかなっていましたが、今後は一般会計になります。白地地区の解除計画が「アリの巣計画」になっている大きな理由は、財務省の抵抗によるところが大きいと聞いています。現在の復興住宅でさえ空き家があるのに、これ以上解除してどうするのか、と。経済合理性から考えればそうかもしれません。
     確かに、予算には制約がありますから、経済合理性の面は考慮する必要はありますが、問題は、財務省との折衝の結果として、全体的な計画をつくることができず、誰が考えでも、こんなの失敗するに決まってるじゃないか、という場当たり的なイミフメイの計画になってしまうところです。
     現実問題として、放射線量の問題、今後の人口動態や社会的コストのの面から総合的に考えて、白地地区を全面除染して全面的に居住可能にするのは厳しいと思っています。

  • 誰も悪者になりたくない
     最終的にはここに帰結しますが、上に書いたようなことは、被災当事者にとっては受け入れがたいものであると思います。これだけ待ったのに除染してもらえない、除染をしても下がらない、予算はもうない、なんて。
     これを説明すべき人たちは、みんな悪者になりたくないので、口をつぐむことに徹しています。これは選挙によって代表を選ぶ代表制民主主義の欠点だとも思いますが、選挙で票を失うようなことは誰もがいいたくない。みんなにいい顔をして、褒められる方がうれしいですし、自分の地位も安泰です。
     そうして、不都合なことについては、誰もが口を閉ざし、ずるずると場当たり的な弥縫策を繰り返し「世紀の愚策」へと至ることになります。

 私が、世紀の愚策というのは、この政策に従って帰還した地域の将来があまりに暗いものになると思うからです。激変する世界情勢、急速な高齢化と過疎化、貧困化といった社会状況的に考えても、今後、予算が続くことはありえないと思った方がいいと思います。そうなると、もういちど、国から「見捨てられた」と感じるような状況に陥ることが危惧されます。遺恨は、半世紀、一世紀に及ぶでしょう。
 目の前にある課題に向き合うことも重要ですが、同時に、50年100年先の将来を考えながら、軌道修正すべきところは軌道修正すべき時期ではないでしょうか。私はそう思います。

追記:避難指示とその解除について、私の考えを書いた過去の文章です。

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