これまでのキャリア②
こんにちは、独立系FP(ファイナンシャルプランナー)の安藤です。
前回に引き続き、僕のこれまでのキャリアについて綴りたいと思います。
2011~2013 独立・メットライフアリコ(現メットライフ生命)専属個人代理店
新卒で入った三井住友海上で生命保険の成績がグングン伸びてくると、ますます生命保険の販売に携わることが好きになりました。
損害保険がメインのはずなのに、「どうやって生命保険の売上を伸ばすか」ばかり考えていた気がします(笑)
しかし、どうしてもスッキリしなかったのは、直接販売ができないこと。
同行しているとはいえ、販売する担当者は代理店の方です。
モヤモヤが積み重なるうちに、「自分で販売したらもっと成果を出せるんじゃないか」と考え始めました。
生命保険の個人代理店として独立を決意
前回書いたように、僕は元々かなり独立心があるタイプです。
先輩の教えに沿って「まずは目の前のことに集中!」と決めてからは、その考えは封印していました。(むしろ、10年くらいはいようかなと思い始めていました)
しかし、生命保険で自信を掴むと、「独立したい」という思いがフツフツとわいてきてしまったのです。
元々なにかに縛られるのは大嫌いで、とにかく自由を求めるタイプなので、「独立」「自営」でやることへの憧れもありました。
いろいろと自分で調べているうちに、外資系生命保険のメットライフアリコ(現メットライフ生命)の専属個人代理店を募集する記事を発見。
メットライフアリコの商品のみを販売する契約を交わすことによって、手厚いサポートや手数料面での優遇措置を受けられる、個人代理店で独立しませんか?という内容です。
フリーアドレスのオフィス等も貸与されるとのことで、独立資金もほぼなかった僕にとっては良い話ばかり。
こういう生命保険代理店の募集って、普通はヘッドハンティングとかが多いのですが、僕は自ら門を叩きにいきました。
そこからトントン拍子で話しが進み、結局、3年半で三井住友海上を退職することになりました。
飛ぶ鳥跡を濁さず!と思い、最後まで損保も生保もノルマを追いかけていたので、あまりそりの合わなかった上司から送別会で「最後までよくやった!」と言ってもらえたのが嬉しかったです。
どうしようもない僕を温かく見守り育ててくれた先輩方がたくさんいて、様々な面で恵まれた環境を提供してくれた三井住友海上には、今も感謝の気持ちでいっぱい。本当にお世話になりました。
いよいよ独立!
無事に三井住友海上を円満退職し、その翌日に寮を出て地元横浜へ戻りました。
実はそれと同時に、当時付き合っていた彼女と入籍。
独立・引っ越し・入籍を全部同時にして周囲からは驚かれましたが、退路を断って頑張ろう!という決断でした。
最初に数週間のトレーニングを受け、いよいよ個人代理店としての活動がスタート。
お恥ずかしながら明確な戦略があって独立したわけではなく、「いろいろトライすればきっとうまくいくだろう」という考えで独立しました。(三井住友海上時代がそうだったので)
最初は生命保険営業“あるある”の、友人・知人に声をかけまくる作戦しかありせんでしたが、なんとか優秀新人賞を獲得することができました。
当時は1ドル80~100円前後で推移しており、米ドル建ての積立保険商品を販売しやすいという環境も味方したのだと思います。
でも、結局成績はジリ貧に…
しかし、1年くらいですぐに案件切れ状態に。
司法書士の父を頼って顧客を紹介してもらったりもしましたが、煙たがられながら「お情け」で契約をいただく程度。
成績はどんどん下降線を辿っていきました。
そんな状態で、今まで味わったことのない「経済的なプレッシャー」を感じました。
独立したことにより当然、年金も健康保険も家賃も交通費も「全て自己負担」です。
正直、三井住友海上での収入は20代前半とは思えない金額でしたし、寮やら各種福利厚生で相当恵まれていました。
そこからのギャップを目の当たりにし、経済的には相当苦しかったです。(三重から横浜までついて来てくれた奥さんにも、だいぶ不安な思いをさせたことでしょう…)
2013~2014 総合保険代理店へ
異業種交流会活動やチラシ配りなどいろいろ試したものの、成績が低空飛行のままな僕は、メットライフ生命の商品しか扱えない「1社専属」であることが原因と考えました。
「保険の●●」のように、何十社もの幅広い保険会社の商品を扱うことができれば、お客様のニーズに沿った提案ができる。そうすれば自然と成績もアップするだろう。と。
相談した先輩の誘いもあって、メットライフ生命1社専属代理店を廃業し、総合保険代理店と業務委託契約を結ぶ個人営業マンになりました。
根本的な問題解決をしないままの移籍。成績は変わらず
今になって考えれば、すごく浅はかな考えだっと思います。
売れる人は1社専属でも売れるし、売れない人は何社の商品を扱えても売れません。
結局は自分のスキルと戦略、そして行動次第なわけで、、、
僕は人脈も経験値もなく、カリスマ性もなし。「マーケティング」といえるような戦略的な取り組みをしてこなかった。
それが変わっていないわけですから、総合保険代理店に入っても結果は同じでした。
今までと同じような低空飛行を続けたのです。
ああ、ここまで書いてきて、吐き気がするほど思い出したくもない「暗黒時代」だったなあと。
そこから次のステージもまだまだ苦しむのですが、、、
よろしければ次回もお付き合いくださいませ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?