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これまでのキャリア①

こんにちは、独立系ファイナンシャルプランナーの安藤です。

「私の仕事」が募集中の話題としてあったので、今回から何回かに分けて、これまでのキャリアについて振り返ってみたいと思います。

2008~2011 新卒入社・三井住友海上火災保険

成蹊大学法学部を卒業し、三井住友海上火災保険の会社員として社会人デビューしました。

就活は不動産ディベロッパーと損害保険を中心に。

高校・大学と飲食店でどっぷりバイトをしてきて、それなりに評価をいただいたため、なんとなく「もっと大きい仕事がしたい」と考えました。

それが、都市開発・街づくりをする不動産ディベロッパーと、直接販売ではなく保険代理店の指導や企業との折衝ができる損害保険という、2業種を選んだ理由です。

三井住友海上では約3ヶ月に及ぶ研修期間を経て(恵まれてますね)、名古屋自動車営業部に配属されました。

損害保険会社の自動車営業部というのは、ディーラー代理店を担当し、主に損害保険の販売を伸ばすための支援を行う間接営業(代理店営業)部隊です。

最初は何もうまくいかず、ボコボコに

自分に対する根拠なき自信を持っていた当時の僕でしたが、最初の1~2年間は目立った成果も出ず、上司や先輩からやることなすこと否定されて、精神的に相当まいりました。

親が約30年も個人事業で司法書士をしているということもあり、僕は独立マインドが強く、入社時から「3年で辞めよう」くらいに思っていましたし、なんとなく会社員を見下しているところがありました。

それが行動・言動・ふるまいで思い切り出てたのでしょうね。ボコボコにされるのも無理はありません。

入社1年目からいろんなビジネスや副業に興味がありましたし、ネットワークビジネスのお誘い乗りかけたりなんかして、本業に集中していなかったというのもあります。

そんなスタイルで成果が出るわけもなく、ほんとダメ社員でした。

先輩に言われた、強烈な一言

ところが、2年目の後半くらいのときに転機が訪れます。

あるだいぶ年上の先輩に誘われて食事をしている時に、「お前、全然すごくないで」と真顔で言われました。(関西ご出身の方)

「え?わかってますよ。こんな成績ですから。けど、そんなダイレクトに言わなくても」

内心、そう思いました。

先輩は続けて、「そのよく分からん自信が、邪魔になってる」と言いました。

「そっか、今わいて出てきた感情も、受け入れられてない証拠だな」

いつもこんな僕のことを気にかけてくれていた先輩からの言葉だったので、最初はすごくショックだったのですが、今までにない感覚で心から受け入れることができました。

愚直に、目の前の仕事に集中!

そこからは、その先輩を含め他の諸先輩方からのアドバイスを素直に聞くようになり、「とりあえずアドバイス通り、実直にやってみよう!」というスタイルで仕事に臨むようになりました。

結果、成績が向上し始めました。

(損害保険会社の営業マンの成績というのは、自分が担当する代理店さんでの自社保険商品の売上で決まります。)

そうなってくると、社内のチームや代理店さんに貢献できるのが嬉しくなり、だんだん自分の仕事が好きになっていきました。

その感情がまた良い成績に繋がるという、好循環が生まれているのがわかりました。

ようやく最悪の状態から脱し、社会人になって始めての好循環のステージです。

生命保険という得意分野で躍動!

また、自分の得意分野も発見。

当時は2001年からの「生損保の相互販売解禁」政策により、損害保険会社も子会社の生命保険をつくって損害保険・生命保険をどちらも売る、というのが当たり前になってまだ初期の頃。

損害保険会社なのに「生命保険の販売ノルマ」がかなり高いハードルで設定されていました。

自動車営業部はディーラー代理店を担当しますが、実際に販売する自動車の営業マンはほとんど自動車保険しか取り扱ったことがありません。

自動車販売が本業の人に「生命保険も売ってくれ」というのはかなり難しいことなので、どの部署でも生命保険のノルマ達成には四苦八苦していました。

僕も最初は苦手中の苦手でしたが、自動車保険の売上成績が向上してくると、だんだん生命保険の営業も好きになり、コツを掴み始めると飛躍的に売上がアップしました。

ほとんど同行して、実質的には僕が売っている状態だったのですが。。。この経験が独立開業にもつながり、今の僕の仕事を支えています。

なお、損害保険会社の営業ノルマは個人ではなく「チームとして」課せられます。

それを各担当者に振り分けてみんなで達成しよう!となるわけですが、僕は生命保険だけは他の担当者のノルマ分まで売上げることができたのです。

そこで周囲の評価も変わり、入社3年目の時はかなりモチベーション高く仕事をして成長もできていたと思います。

あの時、あえて厳しい言葉をかけてくれた先輩には、今でも本当に感謝しています。(本人はきっと覚えていらっしゃらないと思いますが)

あれがなかったら、何の成果も成長もないまま文句だけ言って会社を去っていたかもしれません。

人生においてターニングポイントってあるのだなと、実感したことの一つです。


だいぶ長くなってしまったので、今回はこれくらいに。

次回、三井住友海上をやめて独立した時のステージについて書き綴りたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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