感情を言葉にすることは練習が必要

高校生の時、母が体調を崩し寝込んだことがあった。

わたしは部活も忙しく、まだ、自分にいっぱいいっぱいだった。

そんな時、父から

「ご飯を炊きなさい」

と、言われた。

万年反抗期だったわたしは

「なんで?わたしがせないかんと?思ったなら自分ですれば?」

と、言い放った。

怖い父だったが、わたしは間違ってないと思ってた。

案の定、逆鱗に触れたようで防犯用に和室に置いてあった木刀を持って
近づいてきた💦

やれるもんならやってみろ

心でそう思った。

睨みつけて、精一杯の強がりだった。


父は木刀をおろして、膝で蹴られた(笑)

(そう来るか💧)

太ももは青あざができ歩くのも痛かった。

でも、痛いより悔しかった。

母に話すと

「ちゃんとパパの言うこと聞きなさい。ママを想って言ってくれたんだから」


クッソ~(怒) しらんがな😠


でも今になって思う


なんで、

「ママはみんなのために無理をしてこんな風に具合が悪くなっちゃったからパパは心配だな。でも、お前(わたしは3人兄弟の長女)たちのご飯も困るだろうから、お姉ちゃんがご飯を炊いてあげてくれないかな?」

とか、話してくれなかったんだろう。

そして、わたしも

「今は部活から帰ってきたばっかりで疲れてるから、あとでいいかな?」

とか、なんていうか分からないけど普通に話せなかったのかな?


そう、わたしたち家族は気持ちの伝え方を知らなかった。

父と母の間ではどうか分からないけど、おそらくそこは

察して動く

が基本だったと思う(そう感じている)


というより、わたしがどう感じて、どう思ってるかも全くわかってなかった。

父は仕事人間でイライラして帰ってくる。

母は機嫌を損ねないように、帰ってくる頃からソワソワ。

気に障ると大きな声で怒鳴ったり、怒りを表現する。

何を怒ってるのか分からないけど、機嫌が悪いから察して機嫌を取る。

《いまは、自分の機嫌は自分で取るものだから「わたしは関係な~い!」とか思ってるけど、その頃は母が怒られるのも嫌だからわたしも機嫌取ってたと思う。》

晩年の父はそんなこともなく、優しく穏やかではあったが
若い時は企業戦士でたくさん我慢もしていたんだろう。

もちろん家族のために。


わたしは40過ぎて、離婚してから初めて
意識して自分と向き合うことを知った。

(わたしはどう感じて・どう思うのか?)


ひとりでいる時間は、そこにずっと意識を向けていた。

そして、知らなかったがゆえに、余計な摩擦もうみ
優しい気持ちも伝わらず、受け取れず、もったいないこともしたな
と気付いた。


まずは知って、出す練習からだ。

下手くそすぎて言い方が悪いとか、イラっとさせたり、傷つけたりそんなこともたくさんあったし、きっと今もこれからもある(笑)

でも、感じた気持ちを伝えるために、そーっと相手に出す練習はしないと上手くならない。

前よりはきっと上手になったと思う(*^^)v

なったはず。。。

なっててほしい。。。w



まずは、自分に聴いて・確かめて・認めて・応えてあげて。。。

自分をじゅうぶん満たしたそのあとから、
いよいよ溢れだしたものが人に対しての思いやりや優しさに
自然になっていくんだろう。

ただ、してあげたいからする。

したことで、わたしが嬉しい!

思ってしてあげたのに…なんてこともなくなるだろうし
きっと、そのしてあげたこと自体も覚えてもないんだろう。


ふと、そんな父との出来事を思い出したので
懐かしく、笑えるな…と思いながら振り返ってみた。

ポンコツなわたしの実験みたいな体験記事などを書いています。 文章下手ですがフィーリングで読んでくれたら嬉しいですw みんなが「あ!いま、もうしあわせなんだ(笑)」と感じて、ゆるゆると過ごせますように… 応援してくれたら、喜びます😄