見出し画像

43歳にして親離れ(笑)

わたしはワガママで自由に育った。

厳しい父と優しい母に長女として育てられ、自由な振りをしたいい子だった。

母は意外となんでも受け入れてくれるものの、両親の “強制していない理想” を勝手に汲み取って、短大まで行った。

今思えば、わたしはなんでも許す母に良く許可をもらっていた。
夜中、家を抜け出して出掛ける時も心配するだろうから母に今から行くからね!とちゃんと伝えて父に見つからないように出掛けた。

そう、母の許可がないと行動できなくなっていた。

わたしの判断基準は、「母が喜ぶか?」だった。

それに気付くまでかなりの時間がかかった。

急に勝手に一人暮らししたり、結婚も20年後の離婚も決めてから話した。
絶対に許してくれる(賛成してくれる)という確信があったからだ。

今までどうかな?と思うことは無意識に事前に相談していたし、それ以外はわたしがそう思うならと言ってくれるはず!!と疑わなかった。

案の定、そうだった。

その結婚生活の中でも、わたしは夫と向き合わず1人で右往左往してお金のことも含め母に相談していた。
また、同じ仕事(個人事業)をしていた為それも母の基準に沿うようにしてきた。

「先輩だから、間違いないだろう。」
「わたしはまだまだだから、そう思うのは間違いなんだろう」

意外と素直なわたしは、何となく「?」と思うモヤモヤを打ち消しながら時が過ぎた。

その頃にはすっかりアラフォーのおばさんになっていた。

ある人との出会いで、わたしは心のモヤモヤに、何かおかしい…と気付きはじめた。

夫との向き合い方、仕事の仕方など【在り方】があまりにもズレていることを客観的に指摘され、打ちのめされた。

信じている母が間違ってるはずがない❗という思いで打ち消そうとする。

でも、ここ数年わたしも母とはよくぶつかるから薄々分かっていた事だった。
もちろん夫に対しても気付かないように、本音を殺しフタをして取り繕っていただけだ。

それを自分で認めてしまった時、離婚した。
もう、勝手に押し殺していたものが全て吹き出しおさまらなくなった。

傍から見れば問題のない幸せな家庭をわたしはいきなり壊してしまった。

子どもたちもビックリして何が何だか分からないまま、実家へ連れて帰った。

父も母も困惑してたけど、(特に父は)喜んでくれたくらい。
ただ、母とはその後ひどくぶつかった。
40過ぎて遅すぎる自我の目覚めをぶつけ、母もあなたのためを思って…と1番嫌な言い方で分かってくれと言ってくるだけだった。

約2ヶ月後、仕事もろくにないのに家を借りて娘を連れて実家を出た。
親を捨てた気分だった。それでもいいと思い、恩を仇で返すように出てきた。

今から5年前になる。

そこから、パートをかけもちして1年後には娘も短大を卒業し就職を機に自立。

わたしは見失った自分を毎日取り戻すため、した事の無い仕事で、優しい人達に支えられ自分と毎日向き合いながら1年くらいかかって、やっと1人前に仕事も出来るようになり、少しずつ今までして来なかった「自分がどう思うか?」をいちいち問いながら、怖いながらも出すようにしてきた。

言ってみて良くなかったこともあっただろうし、傷付けたこともあるだろう。
でも、「こんな風に言えば伝わったかな?」「あれは本音とは言わないな?」など修正箇所も見えるので、少しずつは進化してきた。

そう、5年経つと見えるもの感じるものが全く別世界になった。

やっと
「わたしはこう思う」を肯定できるようになってきた。

良い悪い
正しい間違い
常識非常識

今はそんなことは問題ではない

わたしがどうしたいか?

そこに忠実に生きようとしていると、逆に人の気持ち(ムカつくことはあるけど、その人のストーリー)も考えるようになったり、本来その人はそうしたいんだと相手の気持ちも許せるように少しなってきたのが不思議だ。

まずは、わたしの全てを許すことに意識してこだわって死ぬまで生きていきたい。

きっと、今よりももっと人を大切に思える気がする。

母を見捨てたように家を出てから、しばらくして父も亡くなり母は認知症で施設に入りもう会っていない。

母が嫌いとかではない。

母は、強い父に怒られないようにと合わせて生きてきたと思ってた。自分のしたいように生きてよ…と言ったこともあるが、相手が喜んでくれる方がいいと言って我慢した。

父は母をとても愛していた。上手ではなかったけど、それはわたしには良く伝わっていた。

とにかくお金を使わない人だったが、結局母が1人になって困らないよう家とお金も遺して亡くなった。

母は愚痴も多かったがそれでも人に合わせ優しくしてきた。結果守ってもらいながら生きてきて、それが今となっては母の生き方でそうしたかったんだと思える。
ただ、わたしの幸せの形を押し付けていたんだなって思った。

結局、親子であっても別の人生だから何も親の心配などせずに、自分の事だけ考えて生きればよかったんだ。

見捨てたように飛び出たけど、自分と向き合う中でとても母のことが大好きで尊敬していることにも気付けたし、またそれも伝えることが出来た。

罪悪感など感じていない。

親は(誰しも)大丈夫。

心配するほど人は弱くないし、弱くてもいい。

まず自分の人生だけ考えて、向き合い生きていれば色んな事が後から分かるんだなって思えたこの5年間。

まだ、心グセという物は根深いものなので意識しながら失敗も繰り返し、この先の人生をめーいっぱい楽しみたいと思う。

【長文なのにお読み下さりありがとうございました】

ポンコツなわたしの実験みたいな体験記事などを書いています。 文章下手ですがフィーリングで読んでくれたら嬉しいですw みんなが「あ!いま、もうしあわせなんだ(笑)」と感じて、ゆるゆると過ごせますように… 応援してくれたら、喜びます😄