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記憶どろぼう

私の記憶。
親しい人との楽しい時間その顔
辛い時にふっと心救われた瞬間の光など
濃く熱く、思い出として堂々と鎮座するものもあれば、
ちょっとした違和感やぎこちなさとかがキッカケで
オチも無く居所無く、ボヤンと残っている記憶もある。

これは、そのボヤンの方の記憶である。

こないだ、私はある長距離電車の中でビジュアル系バンドのファンらしき方々と相席になった。

その電車は、二階建てになる車両があり、その地下階の方にある複数名がけのソファに座った私。

最初はまだ人が居なくて、持参した本を読んでいたんだけど、そこにすごい背が高くて、青い髪や紫の髪の方々が乗ってきた。白肌にしっかりめのお化粧、服は総じて黒く、色々と音が鳴るような素材(?金具?)が付いていた。全員なんか神様っぽい。

複数名掛けであるそのソファの向かい側に、皆様降臨。私はどうしようかと思ったけど、特にどいてと言われるわけでもないし、移動にするにもちょっとタイミングを逃してしまったような。今から席を立つとなんだか気まずいような気がして、私は本に視線を向けながらも集中できぬまま、皆様の会話をチラ聞きしていた。

会話は、見終わったライブのこと。
興奮冷めやらぬ様子で、みんな顔がほくほくしている。
バリバリにキメた格好とは相反して、自分達の好きなものを愛でている雰囲気がなんともほっこりしていてあったかい。

そんな一体感のある空間に、自分という異物がある気まずさ、申し訳なさみたいなのを抱えながら時間を過ごした。

…と、この話を夫にした事があった。
何かビジュアル系バンドの話をしてた時だったか「そういやこないだ、こんな事があってさ〜」と、なんとなく話したのだ。

そうしたら、夫がこわばった顔で私に言った。

「…ちょっと……それ、俺の話だよ。」

そう、これは夫が経験した話だったのだ。

随分前に夫が私にこの話をしたらしい。

人の話を聞く時って、みなさんどんな風に聞いていますか?私はその話の内容をイメージ、映像化しながら聞く事が多いようで(それは普通か)。たぶんこの話は細かなディテールにも想像が膨らんで、私の中で空気感までクッキリと映像化されたのだと思う。

そうやってその映像を味わっているうちに、他人の記憶だったはずの話が、自分自身の記憶と勘違いして刷り込まれてしまっていたらしい。

「おおお、、、」

夫はゾッとして、私はホェ〜となった。


自分の記憶には前からそんなに自信はない。

小さい頃に転勤族で色んな所を転々としていたので、関わりの浅かったあの友達がどこの地域の子だっけ?とか、今すれ違った人、どこかの誰かに似てる気がするけど誰だっけ?とか。夫や長年の付き合いの親友から、ほら行ったじゃん、前にこう言ってたよ、とか言われても全く思い出せなかったり。

ただ、私が覚えている(つもりのもの)のって、なんていうか概要的なものというより、感覚的な事が多い。だからこそ、そういう感覚的な部分のディテールが具体的にイメージできちゃったら、想像の世界だったとしても、自分の記憶に思えちゃうのかも。

冒頭に書いた「ボヤンの方の記憶」には、そういったものが入り込みやすいのかもなぁ。

記憶に自信もなにも、と思っていたが、この一件でますます記憶とは曖昧で、自由だな〜と思うようになった。

そんな記憶どろぼうの記録。

みなさんの今の記憶は、本当に自分のものでしょうか…?


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