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躁うつ日記(3)100%自分のせいでいたかった

今日は先生とのカウンセリングの日だったので、最近ストレスに感じた出来事を話したのだが、そのなかで、やはり自分は自罰思考がすごく強いんだな〜ということを実感した。

つらつらと「でも自分が悪いんで……」ということを多種多様な言葉で繰り返す私に、先生は「◯◯なので、その点は一般的な範疇から考えてあなたが責任を感じる部分ではないと思う」という趣旨のことを言われ、確かに!なんでこんなことに気づけなかったんだろう?と不思議に思った。

なんか、私が世界を支えているみたいな感覚になっていたなと思った。

この「私がやらなきゃ誰がやる」感の根っこはたぶん、大きい言葉で言ってしまえば世界や周りの人のことをあてに出来ないみたいな心もとなさから来ているんだと思う。

だから、自分が何かをやらないことはすごく重大な何か悪いことが起きると思っているし、悪いことが起きたらそれは私が何かをしてしまった(あるいはしなかった)せいだと感じてしまう。

100%「自分のせい」というのは、ある意味ではメリットがあるのだ。なぜなら、自分のせいで全てが起きるなら、原因が明確であり、私がなんとかしさえすればなんとかなる世界に生きていられるからだ。

でも、現実の世界はそうではない。例えば私にそのつもりがなくても誰かの気持ちを害するという「悪い結果」は起き得る。また、仮に自分がどんなに何かをものすごく頑張っていたとしても、周囲の環境や周りの人々という、制御不可能なものが要因が作用してくる。

「100%私」ではないことを、世界がコントロール可能なものではないということを、その曖昧さ、幅を、怖さを、そろそろ受け入れる時が来たようだ。

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