#005 日本の中のブラジルを知ろう!私たちの街で共に暮らす南米の人たちと知り合おう!
皆さん、こんにちは。私たちはブラジル日本交流協会です。
私たちは、日本とブラジルの架け橋となるべく、またこれからの社会に貢献する人材を育成することを目的に「働きながら学ぶ」を軸に、一般的な留学では体験できない、ブラジルでの11ヶ月間のインターンシッププログラムを提供する非営利団体です。
私たちの研修プログラムの特徴の一つが、
①一年間の日本での「事前研修」
②ブラジルでの「本研修」
③帰国後の「事後研修」
という層を織りなす研修構成です。
現在、来年の4月からブラジルに行くべく2025期研修候補生の皆さんが事前研修を行なっております。そんな研修候補生の皆さんがOGOBとともに、ブラジルに行く前に「日本の中のブラジルを知ろう」ということで、横浜市は鶴見区へ行ってきました。日本とブラジルについての理解を深める目的で企画したツアーでしたが、それ以上の広く深い学びを得ることとなりました。是非、続きをお読みください。
「沖縄ブラジルタウン」横浜市鶴見区へ
来年ブラジルに行く研修候補生たち。その前に「日本の中のブラジルを知ろう! 私たちの街で共に暮らす南米の人たちと知り合おう!」ということで、9月末に「鶴見ツアー」をしました。研修候補生5人のうちバイトがあった1人を除く4人が参加し、OBの石田がガイド役を務めました。
商店街のブラジル雑貨店や外国食材のスーパーマーケットを訪れ、パステウやコシーニャとショッピを楽しむ……最初はそんな気軽な企画を考えていましたが、思った以上に学びの多い機会になりました。
「沖縄ブラジルタウン」として知られる横浜市鶴見区。横浜市の18区では外国人の人口が中区に次いで2番目に多い区です。ほかの区と比べてブラジルやペルー、アルゼンチン、ボリビアなど南米出身の人が多く、沖縄が父祖の出身地の人が多いのも特色です。
もともと戦前や戦後の復興期に、沖縄から移り住んで京浜工業地帯で働いた人たちが多いこの地域。そうした歴史的な縁が、こうした特色を生んでいるのです。
この日はまず、鶴見で活動しているボランティア団体「外国人児童生徒保護者交流会」(IAPE)の「沖縄へルーツを探る旅」の報告会に参加しました。
この旅は1994年に始まりました。
1990年の入管法改正で、南米から多くの日系人が日本にデカセギに来るようになりました。しかし連れてきた子どもたちへの教育は追いつかず。子どもたちも、これまで母国では日本人(ジャポネス、ハポネス)と呼ばれていたのに、日本に来てみたら言葉も分からず、「ガイジン」と呼ばれていじめられる……。
こうした状況を変えたいと、当時鶴見区の中学校の教師だった沼尾実さん(現IAPE会長)が旅を企画しました。ルーツである沖縄を訪れ、親戚を訪問することで、どこででも自信を持って生きていけるこどもたちになってほしい、そんな思いでした。
(石田は、横浜支局員だった新聞記者1年目の夏に、この第一回の旅に同行しました)
旅が始まってもう30年。日系人の定住も進み、いま参加する子の多くは鶴見生まれの「デカセギ二世」。「子どもだけで無く自分もルーツを知りたい」「自分がかつて体験した旅を子どもにも体験させたい」と一緒に参加する親も増えています。
「私がつながっている国はブラジルです」
「私がつながっている国はペルーです」。
報告会では、そんな日本語のあいさつが自然に交わされていました。報告会では、旅の記録のドキュメンタリーが上映されました。初めて訪れた沖縄で初めて会った親戚に歓待されて喜ぶ子、集団自決で多くの人が亡くなる中、米兵からサトウキビの汁を口に入れてもらって奇跡的に救われたという親族の話に耳を傾ける子。その姿に胸を打たれました。
どんな離れた場所でも自分を知ってくれている人がいる、そう感じられることのありがたみ。子どもが学び成長する姿から、親やまわりの人たちがまた大事な学びを得るという体験。旅を経て、みんなが「一つの家族」になっていく様子……。この「旅」にも、私たちのブラジル研修留学と通じる大切なものがあると感じました。
夕方から「沖縄ボリビア料理」の店や韓国料理店をはしごして、沼尾さんや旅のスタッフを務める小学校の先生、日系の人たちと交流を深めました。
日本生まれで地元神奈川の新聞社で来春から働く人、ボリビアの入植地で日本人会事務局員として働いた後、鶴見に来て工場で勤めている人。研修生たちは、同世代の日系の人たちと南米というきっかけをもとに話を深めていました。
教育に関心を持つ研修候補生は、沼尾さんの語るエピソードに聴き入りました。中学の頃、不良で手がつけられなかった卒業生。それが今はブラジルで日本の「モッタイナイ」精神を広めようとがんばっているそうです。
彼からは「悪いことにも手を染めたけど、最後の最後で踏みとどまれたのは先生の『目』があったからだよ」と言われたといいます。「他の人が見放したとしても、俺はずっとお前を見ているよ、気に掛けているよということが、励みになったのかな」と語る沼尾さんの穏やかな表情に、理論を超えた教育の実践の重みを感じているようでした。
沼尾さんは、実はまだ南米に行ったことがありません。それでも多くの卒業生たちが日本で、南米で、今も「先生」と慕い、連絡を取り合っています。その姿は、渡航歴が多かったり、訪れた国が多かったりというのとはまったく別次元の「国際交流とはどうあるべきか」を私たちに教えてくれています。
帰宅時、LINEに研修候補生からの熱いメッセージが寄せられました。
「ブラジルのみならず、自分の今後を考える上でも、社会に対してどのような行動をしていくかを具体的に考える経験になりました」
「自分は横浜に住んでいるのにこのようなコミュニティーが存在することも知らなかったので、今回関わることができてすごくありがたかったです」
「沖縄×各国×鶴見のつながりを知ることができ、勉強になりました。楽しい時間を過ごすことができたとともに、今後の目標や自分を見つめ直すことができました」
「ルーツの大切さ、そこにかける皆さんの想いを聞くことができてよかったです!」
今回知り合えた鶴見の皆さんと出発前、さらに帰国後に交流していければと思っています。
より多くの未来の研修生と出会いたく、これからも発信を続けていきます。お読みいただきありがとうございます。そして、引き続きどうぞよろしくお願いします&各種フォローやいいねなどよろしくお願いします。