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ドロステ好きが映画『ドロステのはてで僕ら』を観た。

(ネタバレはしないけれど、監督曰く、できる限り前情報がない状態で見てほしいとのことでした。念のため。)


そのタイトルを知った時、絶対に観に行こうと決めていた。なぜなら、これまで何度となく「ドロステ」について思いふけてきたからだ。

ドロステ効果:同じイメージが再帰的に繰り返される視覚効果。
(出典:映画『ドロステのはてで僕ら』予告編


簡単に言うと、あるテレビの中にテレビが映っていて、そのテレビの中にもまたテレビが映っていて……という無限に続く構図のことだ。
別の例えで言えば、絵の中の人が、自分が描かれた絵を持っていて、その絵の中の人もまた自分が描かれた絵を持っていて……ということだ。

はじめてこれを認識したのは、小さい頃『ちびまる子ちゃん』を観て、テレビにまるちゃんの家のテレビが映った時だった。
わたしの家のテレビの中に、まるちゃんの家のテレビが映り、まるちゃんの家のテレビには、まるちゃんのお姉ちゃんが大好きな”ヒデキ”が映っていた。
もし、まるちゃんの家のテレビの中にもまた、テレビが映っていたらどんなことになってしまうんだろう……と混乱したことを覚えている。


2015年のスケッチブックを見返すと、わたしはドロステテレビを描いていて、

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2016年にはタイトルと文章をつけていた。

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お風呂に入っていると、コンロの火を消し忘れたかもしれないと不安な気持ちになる。しかし火を消し忘れたのは夢の中で起きた話だったかもしれないと思う。
しかし火を消し忘れたのは夢の中で起きた話だったかもしれないと思ったことが、夢の中で起きた話だったかもしれないと思う。
しかし火を消し忘れたのは夢の中で起きた話だったかもしれないと思ったことが、夢の中で起きた話だったかもしれないと思ったことが、夢の中で起きた話だったかもしれないと思う。
しかし火を消し忘れたのは夢の中で起きた話だったかもしれないと思ったことが、夢の中で起きた話だったかもしれないと思ったことが、夢の中で起きた話だったかもしれないと思ったことが、夢の中で起きた話だったかもしれないと思う。
わたしはこれを、「テレビの中のテレビの中のテレビの中のテレビの中のテレビの中の…現象」と呼ぶこととする。

この時は視覚効果ではなく、「ドロステ効果“的”思考」に興味を持っていた。しかしまだその名を認識しておらず、「ドロステ効果」という言葉を知ったのはそれから随分あとだった。


2018年には、実際に目の前で起こったドロステ効果のことがぐるぐると巡った脳みそさながら、文字に螺旋を描かせたポスターを作っていた。(読みづらいので文章ものせておく。)

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先日、本のデザインをしていて、本の帯に、その本の帯付きの表紙画像を掲載したいと言われた。二つ返事で引き受けたはいいけど、作業を始めると妙なことが起こった。帯に、帯付きの表紙画像が載る。つまり、本の帯に、帯付きの表紙画像がある。その帯付きの表紙画像の中には、帯付きの表紙画像があって、その帯付きの表紙画像の中には、帯付きの表紙画像があって、その帯付きの表紙画像の中には、帯付きの表紙画像があって、(略)



さらに2019年、翌年の年賀状をドロステデザインにした。

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↑Pちゃん(名前がないので仮名とする。)

この時に初めて、「ドロステ効果」と言う名にたどり着いた。この現象に、名前があることすら知らなかった。そして、名前の元となったドロステココアの存在も知った。

どこまで小さいものがイラストレーターで描けるのか、そしてどこまで印刷できるのか、と言うデザイナーとしての好奇心もあった。

実際には12番目に小さいPちゃん(体長0.796 mm)の時点でデータがバグを起こし、Pちゃんの様子がおかしくなった。
そしてイラストレーターを最大限に拡大しても、肉眼で操作、確認できるのは27人目(体長0.003 mm)までだった。

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印刷されたものをルーペでのぞいても、確認できるのは12人目までだった。

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そしてこの年賀状の最大のギミックは、人が持つことによってその人もドロステ効果の一員として作用する仕組みになっていることだ。
(この年賀状が手元にある方はラッキーです、それがドロステ効果です。)

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「紙を43回折れば月に届く」と言う話があるが、ドロステ効果を想う時、その月に届いた紙の先端に想いを馳せるのと似たような、得も言われぬ気持ちがある。
というより、途方も無さはそれを上回る。ドロステにはゴールがない。永遠なのだ。

不可思議で宇宙的規模のこの感覚を『ドロステのはてで僕ら』では、視覚的にわかりやすく表現されている。
合わせ鏡のように無限ループになった画面を見た人であれば、偏執狂的なドロステ愛にもきっと共感してくれるだろう。


わたしたちの確認できないところで、Pちゃんは今もなお体を小さくしながら永遠に増え続けている。
そこに「ドロステのはて」があるのならば、わたしはこの目で見てみたい。

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長いのに読んでくれてありがとうございます。