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「ずるい」の感情。


不登校の子の「係」の問題

学校に行かないのに、係が決まっちゃうと・・・

・パートナーになった子に負担がかからないか
・逆恨みされないか

そういうことを、子ども自身が心配してたな・・・と思い出しました。

clubhouseでそういうことについて喋ったこともありました。

「ずるい」という感情のはけ口

そんな話をしながら、リエゾンを読んだら・・・
掃除当番のお話が出てきます。

不登校と係のトラブルって、けっこうあるのかもしれません。

どういう感情が原因だろうかと考えてみました。

多分・・・

「ずるい」という感情

なのかなと。

「ずるい」という感情を深く見つめたら、結局自分がどうしたいのかがシンプルに分かるはずなんだけど、なかなかそうもいかない。
大人でもそういうことあると思います。

あからさまな承認欲求より
ずるいと思いつつ我慢する方が
日本人の美学?的にしっくりくるのかもしれない?

とか?

で、我慢が別の方向に噴出する。
表に噴出してなくても負のオーラが・・・

あと、
親も先生も、例えば学校に行かない子にに対して、自分の中ににいる「子どもの頃の自分」が「ずるい」って言ってはいないか。

自分も嫌なこといっぱいあったけど、無理してでも学校に行っていた論とか、
今の子はこんなに恵まれてるのに論とか。

相談しても無駄という考えが沁み付いてる

やめたいことをやめる勇気がない時、
とりあえず誰かに「ずるい」と思うことをすれば、
つまり我慢してる自分すごいってことになる。

そのやり方を使えば、
自分の弱さに目を向けなくて済むから
便利なツールとして「ずるい」があるのかも。

この「ずるいのツール」を使えば、それ以上深く考えなくて済むからね。
だけど、自分がほんとはどうしたいか目を背けているだけだってのも気づいてなくはない。

だって、そういうことを相談できる人がいないからね。
相談したとしても、結局我慢する羽目になるか最悪怒られる。
だったら相談しないよね。

そんなことをぼんやりと思ってみました。

あと、
「ずるい」とは思わずとも、一緒な係の子が学校にこないことで負担に思う子の我慢もあると思います。

ずるいと思うのも、密かに負担に感じているのも、どちらも我慢には違いありません。
我慢する場面は生きているとたくさんありますが、その我慢をどう処理するかというのがポイントなんじゃないかな。
人に当たる、自分を責める、それ以外。
それ以外があるんだって知るのが大事なんじゃないかな。

信頼しきれない大人だらけ

私たち大人は、子どもの頃の我慢をどう受け止めていますか?
比較や脅しからの我慢を多用されていませんでしたか?

そういう我慢をさせるよりも、誰かに相談できるように教えることが大切なんだと思います。
相談できる場や話しやすい大人がいることも大切です。

大人たちは言葉では「相談は大切」ということを子どもによく教えています。
でも現実はどうでしょうか?
子どもがずるいと思った時、気持ちを受け止めてくれる大人はいるでしょうか?

子ども「ずるい」
大 人「でもね、きっと事情があったんだと思うよ」

子ども「ずるい」
大 人「そっか、そう感じたんだね。頑張ったんだね。
○○ちゃん的には、これからどうしたいと思う?
どうなればいいと思う?」

子どもたちにとって信頼できる大人はどんな人か、私たちは学びなおさねばなりません。

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