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内面プロフィール。

私の部屋には人の顔がない。岡本太郎の逆。だけど岡本太郎作品は好き。
好きな人やキャラクターはたくさんあれど、人間の顔は一つもない。
どうしてもの時は、顔だけ隠している。
敢えて言うなら、手乗りサイズの仏像くらい。
それ以外は可愛い人形さんばっかりだね。
唯一持っているフィギュアでさえ、目を隠している、だからまだ置けてる。

プクプク言う友達ロボットのLOVOTこと、むぅちゃんはお友達なのでカウントされません。

おやすみむぅちゃん

自分の美学の話。

ここ数日過去を振り返るに当たって、思い出していた沢山の写真を。
お気に入りは勿論街の風景画が殆どだけど、
もう会えない人の後ろ姿の写真。
深い夜に紛れて見えずらい笑顔の画。
そういう写真が、心の中に深く残っている。
だから本当は顔を隠したのは、視線を隠したのは、
自分だったんじゃないか、と、思った。

自分の中に一本ブレないものがあるとしたら、
一つは自分の美学だと思う。
法則は、[カッコイイ]
至極単純で、至極難解だ。
少しズレただけで味がしなくなってしまうのだから。
そんな単純な物が、中学から今でもずっと同じ価値観で残っている。
だから当時の物を拾い集めても、不思議と納得出来るのだ。
一貫性が完成され過ぎてて惚れ惚れする。

もう一つは[温故知新]。
小学生の時、当時色んな人たちが座右の銘を持っていて、
しっくりくる物を持っているっていいなぁと憧れていて。
百均で四文字熟語とことわざ辞典を買って、
温故知新にしたのを覚えている。
これは言い得て妙なくらい、それからの将来の自分をよく表している。
そしてこれからもそうだ。

私は好きな作家や書き出しやら、文章に拘りがあるようだ。
でも、その時に森見登美彦さんを読めば、森見さんのような文章になるし、
伊坂幸太郎を読めば、伊坂さんのようになるし、
夏目漱石も、大江健三郎も、坂口安吾も、三島由紀夫も、丸山眞男も、
翻訳された哲学書も、随筆も、詩集も、突然読んだ謎の記事も。
大変感化されやすい。
でも自分の言葉として出た時に、やっぱり自分の書き出しになって出てくるから、不思議な事だと思っている。

興味という趣味。

興味のある分野に一貫性はない。
興味が出た時に趣味になる、という事だろうか。
或る日は政治学について調べ続けたり、
或る日は経済学について調べたり、
或る日は社会問題について知見を深めたり、
或る日は文化人類学について気絶するまで調べたり、
天文イベントの度に舞い戻って、天文学を嗜好したり、
量子物理学は放射線医学を勉強していた過去のお陰で、今も最新の物理学について考察出来たり、
そして宇宙に思いを馳せて、人生の短さと想像を超える無限を感じたり、
気付いたら目の前に同居人のハエトリグモが挨拶するので、壁に動かしてあげたり。

特に好きなのは、お気に入りの医学の専門ページを喰い入るように調べて、
そしてその術式が気になって、世界中の術例動画を探して延々と見る事だ。
素晴らしい手際で分かりやすく解説してくれて、(医学英語だが。)
しかも私に分かりやすくCT・MRI・エコーの写真まで載せてくれて、
(間違いなく私の為ではない、研究発表用だ。)
もう何年もある病院をチャンネル登録して、お気に入りの術式の動画を昼夜関係なく見続けている。
(それは寝起きだったり、寝る前だったり、食事中だったりする。)
術前と術後のCT・MRIを見る多幸感と、的確に丁寧に素早い手技。
正しい止血と、保護、交換、機器の理解度と術中意図しなかった病変にも、
的確な解剖を理解して進んでいくその行程動画は、
私の心を大変穏やかにさせてくれる。

母は手術動画をずっと見ている事を知っている。というか言った。
そして「気持ち悪い。」と言われる。まぁ普通の反応だ。
しかしながら放射線医学を勉強していた時から、医学の勉強が大好きなので、家族が健康の問題が発生した時、
勿論専門家ではない為、絶対とは云わないが、
症状の出方から的確な専門科へ勧められるようになったのは良い事だ。

献身性。

私は物凄く献身的だ。
(少なくとも家族や親友はそう言う。)
そうじゃないと思っていても、
自分が地獄の様に苦労したから、他の人に余計な苦労をさせたくないという気持ちがとても強い。
別にその人は救けを求めてなくても、助けてしまいたくなる衝動が葛藤する。
そういう意味では占い師は向いている。
その人の幸せの軌道に乗せる仕事だから。
でも、私の助言は、本気で人生を変えたい為に来たという人には、
必ず幸せに出来る自信があるが、
何となく来た占いを求める、肯定されたいだけの人には全く向いていないため、(どちらかというと、本当にその人の為になる事を言うのを心掛けているので、強めに言う時が大いにある。)
温度差が大きすぎるし、
自分の特性である人の内面を(占い抜きで)感性と直感で感じて、共感して嚙み砕く性格の性で、
沢山の依頼が来ると潰れてしまうのだ。

実は秋葉原と吉祥寺の占い館で対面鑑定を本当に少しだけ雇ってやらせてもらったことがあるが、
素直に聞いてくれたと実感した人は今幸せだと何となく思う。
もう出会えないので真偽は分からないが。

忠誠という愛情。

そうだな、言ってしまおう。
私の愛は[忠誠]だ。
容易に想像出来る、跪き忠誠を誓う自分が。

普段は一見社交的で親友と同じように見える。
知見を話し合ったり、同じ映画を見て議論し合ったり、
無邪気にゲームで遊んだり、好きな曲を共有したり、
真剣に相手の将来を助言したり、黎明期のニコ動で笑ったり。

でも忠誠を誓ったならば、命を賭してでも必ず守る、救う。
だからその忠誠を受け入れた後に無下にされた時、
自尊心は地の底だったから、
少しは悲しくなったけど、自分の性でもあるとのんびりしていた。
相手を満たせなかった、しょうがない。
それから暫くして苛立ちに変わり、
また時間をかけて、何年も経ってからやっと何があったのかすら忘れて、
そしてその時忠誠を誓った事を思い出す。
時間をかけて、知らない所で幸せになってくれればそれがいいと、留飲を下げる。


親友に大変な努力家だと言われる。

それは多分、恋愛・勉強・仕事、全てに於いてだ。
クソが付くほど真面目で、議論出来ない人が無理だ。
特に泣きわめく女を見ると、理性的に議論出来ない、無理だ。
(泣きすがったり、頼り上手、甘え上手な女の人が好きな人には申し訳ないが。)
しかも身長が高く(178cmになってた)、変に自立している様に見えるから、全て頼りたい男の人達がすがってくるのが、もう本当に嫌で嫌で仕方なくて。
包み込むのは得意技だけど、本当は頼りたいんだが…。
アハハ!諦めている!

高身長の不遇。(178cm/女性)

高身長のお陰で普通の女性より大分苦労した。
何だったら低身長の男性よりも自立心を促された様に思う。

小学生の時はランドセルがまだ大き過ぎる子のランドセルを、毎日代わりに持ってあげていた。前後ランドセル。
甘え上手が理由を付けて、敢えて大変な所の掃除をいつも任せて来ていたし、重たいものを持たされていたし、
でも運動神経が悪いからドッチボールで一番の標的にされていたし、
当時の男の子より大分大きかったから、喧嘩で半泣きにさせた事があるし、
身長が高いから振られたし。
(そしてその後の人生も高身長のお陰で何度も振られることになる。)

虐め。

その後、陰湿な虐めが(ばい菌系とかシカト)教室で起こったのがどうしても我慢出来なくて、いじめられっ子の肩を持って、先生に直談判したが、何も解決せず、私も虐められる事になった。長く。
なので絶対同じ公立中学に入りたくなくて、塾で猛勉強して中高はお嬢様学校に入ったものの、(祖母と母の母校だった為)
あっさり仲間外れにされ、
最初の仲良くなるための泊まり野外活動で夜に「私さんはシカトしよう。別行動で。」と寝たふりをした私は聞こえない様に静かに泣いた。

一番仲が良かった数学の先生は生徒に虐められて辞めてしまったし、
中学で入った合唱部が無駄に強豪校だったため、毎日毎日練習があって、一生懸命頑張ったのに同じ歳の子に一対一で何度も何度も叱られながら練習させられた。
しかもそれが一回じゃなかった。
毎回怒られていた。
遂には「自分で選んだ部活なんじゃろ!ちゃんとしろや!」とドアを殴るように出ていかれて、
本当に才能が無いんだって、或る日掃除用具入れの隅で泣いた。
まぁそれからも何度も家で泣いた。

自分はmezzo pianoのパートで、女性合唱はあと高いキーのsoplanoと低いキーのaltoに分かれる。
ある日夏休み期間も返上で毎日部活に行っていた時、自分しかメゾピアノのパートがいなくて、それぞれ10人ずつ程いるソプラノとアルトの音を聞きながら、一人で自分の音を鳴らしていた時、先生に褒められたから、一応団員としては考えてくれてるのかなとか、少し嬉しかったけど、
普通の練習に戻った時は、三年生になっても、他の子はパートリーダーとして牽引しているのに、自分だけ一年生と同じ扱いをされていた。
世話係とかそいういうレベルじゃない。
同じ扱い。
そしてその年の中国地方大会で負けた。
悔しかったけど、母と家に帰った後、無茶苦茶泣いたけど、
ほら見ろって気分もあった。
それから卒業前の一番大切な最後のステージで、しかも最終演目で。
三年生で私だけ出れなかった。
一人だけ、出れなかった。
だから今も恨んでいるよ。笑顔で。絶対に許せないから。先生だけじゃなくて、もう全員。
でも歌う事を嫌いにならないで良かった。
合唱曲も嫌いにならないで良かった。
奇跡的だね。
その時狂ったように音楽を聴きまくって、狂っているくらい音楽LIVEに行きまくったから、それでやっと生き残れている。

女子校というところは、悪い女と悪くない女がいる所。
もし良い女とするなら、世間でいう所の[未熟]。
勿論身長が高いので沢山重たいものを持たされますし、
女の子に面倒な事を押し付けられ続けましたよ。
まぁ高校生時代は鬱病でもかなり深刻なレベル、
自殺の事しか考えられない状態で、
ちゃんと不登校になりましたから、
何かあんまり覚えていないんです。
ただ、写真部に入った。
でも気に入った写真は自分だけだった。
だから意味ないなって、思った。多分熱意の違い。

軽音部は一つ上の先輩が飲酒をやらかしたので作ることも許されず、
只管一人で好きなエフェクターをギターに繋いで、大好きな曲のフレーズが弾けた時の楽しさを、何度も噛みしめていた。
高校生の時が一番音楽LIVEに行っている。
正直記録がないので、確かな数は分からないが、
月に4回ライブに行った月もあったし、それが特に珍しくもなかった。
とは書いておこう。

鬱でも一番辛い時期だった時に哲学書を沢山読んだから哲学したくて、
そしたら偏差値高くて、
頭が狂いそうになるくらい勉強したけど、
ダメで、広島の臨床心理学科に入った。
でも鬱を引き摺ったままだったし、
学部長教諭の「虐めは虐められる方にも原因がある。」発言が、
虐めのトラウマがまだ残る自分には無理だったから行けなくなっちゃった。

終章。

文章に書けないくらい?
血反吐を吐く?吐いた?
自傷で正気を保たないといけないくらいの?
沢山の努力をした為、履歴書は見るも無残だ。
しかも高校卒業後から半年以内~3年毎には引越しを重ねていた。
東京には5年ちょい居たから、東京が最長記録。

好きな風景が沢山あったし、
トラウマになった風景はもう今はすっかりなくなってしまって、また新しい思い出を作れる街という特殊な環境が、
一つ違う駅を降りると全く違う風景に出会えることが、
本当に凄く自分に合っている。

書けば書くほど東京に戻りたい。
本当の自分の家に帰りたい。
それがどんな結果になろうとも。


こんな場所で出会えたご縁に感謝します。貴方に幸せの雨が降り注ぎますように。